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大河「いだてん」の分析【第11話 感想】 百年の孤独の短距離走

第11話、この週のはじめにピエール瀧の問題が発覚し、いだてんの放送も一次危ぶまれたが、無事放映。
第11話では、日本スポーツ界の記念碑的な写真にも残る、「日本人がオリンピックに初出場した入場行進のシーン」が再現された。

今週も、印象的だったシーンの分析を書きとめておこう。

1、初めてのオリンピックの入場行進

「1912年7月6日。快晴、快便。」
今回の大河では、ストックホルムオリンピックの状況は、四三のつけていた日記を史実資料として参考し構成されている。日記の続きにはこうある。
「観客席からニッポン、ニッポンの声、起こる」「生きた心地ナシ」
あのたった一枚の写真の背景に、こんなに人間らしく緊張していた感情がわかると、あの写真を見る目が変わる。

その入場行進の写真の実物を転載する。
特によく背景の観客席をみてほしい。

満員の観客。
四三のナレーションによると会場のオリンピックスタジアムは2万人の観客で満席だったそうだ
これを今回の大河ではかぎりなく再現している。
転載すると怒られるかもだけど、テレビの画面を写真で撮った画像を載せる。

どこまでエキストラを入れてるのかわからないが、超満員の会場の雰囲気はよく出ているし、観客は多国籍だし、すごくリアルだ。NHKが力を入れてこのシーンの撮影に臨んだのがよくわかる。視聴者である私たちも、四三たちと同じ気持ちで、満員のスタジアムに圧倒される感情を体感した
こういった“歴史の1ページを追体験”できる経験は、大河ドラマの醍醐味のひとつである。

ところで、
先ほどの実際の入場行進の写真をもう一度よく見てみると、金栗四三は国旗に隠れて姿が写ってはいないが、足元だけは撮れている。その足には“足袋”をはいている
これはたしかに四三だと、足元でわかり、笑ってしまう。

2、「日本人は短距離走では百年かかっても勝てない」と弥彦は言った

三島弥彦は日本国内では負けナシだったが、オリンピックでは完全なる敗北の最下位に終わる。
それでも弥彦は、さわやかに、通快男子らしく、“オリンピックを楽しんで”みせた。
その心境に辿り着くまでの過程は感動的でさえあった。

それでも弥彦は、悔しさ混じりにもこういう言葉を残している。
「日本は、短距離走は100年かかっても欧米には追いつけそうにない」
今週のタイトル『百年の孤独』がつけられている意味は、ここの“百年”からきていることがわかる。

また、ドラマの続きで毎週放映される『いだてん紀行』でも、今週は「日本短距離走界のメダル獲得までの軌跡」が特集された。

三島から96年後、北京オリンピック400メートルリレーで、日本男子はトラック種目で初のメダルを獲得しました。(下記公式サイトより引用)

約100年後、日本人は短距離種目で初のメダルをとるのである。“百年の孤独”からの目覚め。
そこに至る軌跡を、少し丁寧に分析を加えてみよう。

1912年から約100年ぶんの、100メートル走の「日本記録」と「世界記録」のふたつのデータを、独自にチャート化したのが下記だ。
もくもくとつくってみた。

日本記録は、1912年時点では約12.0秒。
弥彦が体感したとおり、この時点では世界との距離の開きはとてつもなく大きかった。
しかしここから1935年に10.3秒の記録を叩き出すまでは、たった23年間でメキメキと日本人の記録はスコアを上げるのである。

(データ元:文末に表記)

この1935年は、かぎりなく世界記録に肉迫していたことがわかる。三島弥彦が走った道があったからこそ、後続する日本短距離選手たちには世界への門戸が開かれていた。

こののち、日本記録はとても長い長い停滞期が続き、10.2秒台の記録がでるのは、1988年、つまり53年後のことである。

今回の大河ドラマでどこまで短距離走が描かれるのかはわからないが、日本陸上の短距離の世界にも、大きなドラマがあることがうかがえるチャートである。

3、大森兵衛の言葉が弥彦を支える

あまりこのブログでは歴史の先読みはやらないようにしているんだけど、ここでひとつだけ史実をひっぱっておくと、ストックホルムオリンピックの監督、大森兵衛は、オリンピックからの“帰り道の途上”で、持病の悪化によりその人生を閉じるようである。

そのことを思うと、今週の大森の言葉は重く切ない。

100メートル走の予選の当日、どうしても三島弥彦は、欧米人への劣等感・敗北感に苛まれ、ロッカールームからスタジアムのトラックに出られないでいた。そこに大森がふらりとやってくる。

「欧米人相手に、ひとりきりで戦争を仕掛けるような顔をしてるな」
大森兵衛を演じる竹野内豊は、その登場時から一貫して、飄々とした態度で大森を演じてみせた。肩の力を抜きたまえとでもいうように。

「短距離走者たちの敵は“タイム”のみ。他の選手たちは敵ではないよ。“タイム”という共通の敵に立ち向かう“同士”と思いたまえ。」

この言葉イッパツで、三島弥彦は悩みから解放され、狭く閉ざされていた視野が広がる。
「気が軽くなったかね?」と笑う大森。
「ありがとうございます。もっと。もっと早く聞きたかったです」と弥彦は言う。

大森兵衛という人物がもしも持病を持たなければ、日本初のオリンピック選手団の有り様はもっと変わっていたのかもしれない。

でもそれもまた、ドラマである。

※他の回の分析と感想はこちら↓

※データ参照元サイト
・日本陸上競技連盟公式サイト(JAAF)
・社会実情データ図録
・Wikipedia(100メートル競走)
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