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心の底の方がゆっくりと冷えていくうちに、遠ざけていた話(日記22)

↑画像のように、今わたしの胸の奥にある心の底の方が、どんどん冷えていく感覚を思い出しています。


友人の話を聞いて、「まぁいいんじゃない」と言ったら、
「他の友達に言ったら、「考え直した方がいいよ」と言われたから、あなたがそう言ってくれて安心した…」
と言われた。
私は、否定する気持ちがただ失せているだけなのだと思う。
というか、友人とか知り合いの話に対して踏み込む気力がそこまでないのだと思う。

……ってなるのはなんだか久しぶりで、久しぶりな私に再会した。
そこまで親しくもないというわけではなく、かなり親しい友人だからこそ、自分がそう思うことにちょっぴり驚いた。

自分が疲れたくないだけなのかもしれない。
安直だけれど、「考え直した方がいい」と見捨てないその友達の方がよっぽど親身だと思える。

実際問題、その子がこれからどこで生きて誰と生きてどう生きたとしても、私に操作できたことではないという諦めと、根を掘り出せば他人であることが私をそこへ結論づけるのだと思う。

【不思議。昔はクラスメイトから相談を持ちかけられれば、嫌がられない程度に首を突っ込む姿勢は持っていた…かな?本当にそうだったっ毛❓❓】

でも、あまりに共感したら必要以上に疲れることを知っている。だから自分に臨床心理士は合わないと判断した(⇽隙自語😡)。


昨日の夜、やっぱり全然眠れなくて高校時代のことを思い出していた。
父親から暴力を受けていることを前から言っていた子が、その夜はリアルタイムでTwitterで父親に殴られている、死んじゃうのかなって呟いていた。
それを見ていた私は結局最後まで当事者になろうとしなかった。大変なことがあったらいつでもうちに来て、と言っていたくらいだった。(それが何になるの❓)

結局彼女は救急車で運ばれた。

私に非はないと言い聞かせることがある。
あの時リアルタイムで彼女の呟きを追いながら、それが“SOS”なのか分からなくなっていた。

勝手に通報をしても住所を知らなかったから出来なかっただろう。──学校はもちろん閉まってたし。
彼女にその場で電話をかけたり、連絡して助けを呼んだ方がいいか聞けばよかった?──もしそれを彼女の父親に聞かれて、余計に逆上して危険な目に遭ってしまったかもしれない。
そもそも彼女は本当に他人に助けを求めている?──自分ごときが出すぎた真似かもしれない。


今思えば、出すぎた真似でも、その後自分が彼女に嫌われようと、とりあえず通報していればよかったのかもしれない。でも後悔は先にたたないので、あまり考えないように蓋をする。
そもそも、彼女がどれだけ私のことを友達だと思っていたのか分からなかった。

(また隙自語をするよ♡)これまでも、相手と自分の思っている距離感が違くて、驚くことは多かった。自分は誰であっても(それは親であっても、兄弟でも)、他人というラベルを貼っていたものだから、それほど仲良くないと思っていたクラスメイトに、パーソナルな相談を持ちかけられたりして、何度か驚いたことがある。


だから今回のことも、私はまだ(いつまで?)その友人との距離感を測りかねているんだと思う。
「どうでもいい」と思うことは一つの逃避だと思うけれど、逃避しないと人間は生きていけないと思っているから、必要なこととして吸い取られていけばいい。


たとえば
正解があるとして
どれくらい人間に踏み込んでみたい?
                          (理芽『インナアチャイルド』)