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映画感想 彼らは生きていた

彼らは生きていた 予告編

 『彼らは生きていた』――Amazon Prime Videoでは『ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド』のタイトルが使われている。私的には『彼らは生きていた』という邦題のほうがしっくり来ている。なぜならまさしく、あの場所で間違いなく生きていた“彼ら”を映し出した映画だからだ。

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 どこにでも書いている情報だが、とんでもない労作によって生まれた作品である。イギリス帝国戦争博物館に保管されていた2200時間もある映像を復元し、色を付けて音を付け、さらに3D上映向けに立体化まで施された映画だ。
 当時の映像はおそらく手回し式カメラで撮影されていたはずだから、秒間フレーム数は技術者ごとによって違う。それをすべて統一した24コマに修正。この修正にはAI技術が採用された、という話は断片的に聞いたが、見ていると上手くいっている部分と、いまいちな部分がある。特に兵士の顔アップシーンなど、ぐにゃぐにゃと奇妙な動き方をしていて、あの辺りが技術の限界か……という気がした。さすがに現代の技術とはいえ、完璧に復元、というわけにはいかない。うまくいっているように感じる場面は、もともと多めのフレーム数で撮影されていたんだろう。
 音声は元フィルムには音源が付いてなかったため、読心術のプロを呼んで何を喋っているか特定。その上でキャストを呼んで収録したようだ。音響ももちろん、もともとなかったものに追加。
 色彩についてはAI任せではなく、手付けの部分が結構あるようだ。実際現地に赴いて、壁の色や土の色がどんな色か、一つ一つ検証した上で着色していたようだ。
 と、こんなふうに元フィルムは100年も前のもので経年劣化が激しかったはずで、それを1つ1つ検証して再現して編集して、物語として成立しているように見せる。血のにじむような労作であっただろう。もちろん、ただ「がんばっただけ」の映画ではなく、きちんと物語映画として成立しているように再構成する。よく作ったな、こんなの……とただ唖然とするしかない。

 さて、映画本編。映画が始まって実は20分くらいはモノクロの映像だ。その意図はさておくとして、最初の20分はまだ若者達が戦地に行く前。戦地へ行く前、「戦争が始まったぞ」という知らせを聞いて、若者達は軽い気持ちで「いっちょやるか」くらいの感覚で志願していく。
 「第1次世界大戦」という名前からわかるように、人類史的に「世界戦争」なるものは初めての経験だった。ローマ時代にも数万VS数万の戦いはあったものの、実際にはほとんどのローマ兵はひたすら道路建設をしていただけ。参加した数万人全員が戦闘要員として戦った戦争というのは第1次世界大戦が最初になるはず。どうしてそうした大規模的、イデオロギー的戦争が実現してしまったかというと、それだけ世界にまとまりが生まれて、それぞれの国の人々に「国家」という帰属意識が生まれたから……ということから始まる。その以前の「世界」は、まだ「国家」とか「民族」といった意識は、あったといえばあったが、その以前ほど強くもなかった。

 以前、このブログにも「言語統一」が国家意識、ナショナリズムを生み出す切っ掛けになった、という話をした。日本の場合、明治はじめ頃というのは地方ごとの方言の差が凄まじく、さらに階級や職業によって使われている言語が違っていて、地方の人との会話がまるでできなかったし、違う職業の人との会話もかなり難しかった……と伝えられている。それを統一した「日本語」としてまとめよう。この運動が明治初期に起きた言文一致運動や、それをベースとする教科書作りに連なっていく。日本人全員が一つの言語でまとまり、共有することが結果的にナショナリズムを生み出すことになり、一つの号令で突撃が可能な環境作りの原型となっていく。
 世界でも同じような現象があり、国語の変更や統一が国ごとに盛んに行われていった。その以前の社会というのは領主が領民を率いてやっていた小さな戦争しかなかったし、どうして戦場に赴いたかというと褒美が目当てだったりした。それが「世界戦争」の始まりによって「国家のために」「国を守るために」というイデオロギーが芽生え始めたのである。
 先にも書いたように、この時代の人々は「世界戦争」なるものは初めての経験だった。先日観た映画、『トールキン 旅のはじまり』でも描かれたが、「戦争が始まったぞ!」という知らせが届いたとき、若者達はみんな明るい笑顔だった。「いっちょやってやるか!」「ドイツ野郎を殺してきてやるぞ!」「すぐに帰ってこれるさ」――戦争の実態が何もわかっていなかったから、その深刻さが誰もわかっていなかった。それに、「ナショナリズム」という動機が若者世代に恍惚とさせるものをもたらしていた。

 また第1次世界大戦は近代戦争の幕開けでもあった。まず無煙火薬の発明。その以前の火薬は、映画なんかで見た人も多いかと思うが、砲身が汚れて詰まってしまうので、一発撃つごとに掃除して磨いていた。それが無煙火薬によっていくらでも弾丸を撃ち放題だし、飛距離は長いし、殺傷力も高くなった。さらにガトリングガンの発明。ホッチキスの技術が転用された、という話だが、ガトリングガンによって一度に何十発の弾丸を撃つことができるようになった。この映画にはないシーンだが、ガトリングガンが登場した初期は相手も対処方法がわからず、騎馬隊で突撃して全滅した……という話が伝わっている。『長篠の戦い』が1914年という時代に再現されてしまったわけである。
 次に「戦車」が発明されたのもこの戦争であった。『彼らは生きていた』劇中に出てくる戦車は歴史史上初めての近代型戦車だそうだ。その目的だが、どうやら相手の塹壕を一気にまたぐこと……が本目的だったらしく、そういうわけで戦車の頭に砲台が乗っていない。戦車が“移動砲台”になったのは、もうしばらく後の話のようだ。
 と第1次世界大戦は人々にとってもわからないことだらけだった。だから若者達の気分としても軽いし、熱に浮かされた感じもあった。物語の中で語られるような英雄物語の中へ行くような感覚だっただろう。若者だけではなく、職業軍人たちにとってもあまりよくわかっていなかった。何も知らない、わからないままに、あの悪夢のような戦場に放り込まれてしまうわけである。

 冒頭20分で描かれるのは、若者達のそんな脳天気な戦争の始まりである。志願した若者達だけではなく、女達も行くべきだと考えていた。誰も「死んじゃうかもしれない! 行かないで!」とか言わなかった。ここまではモノクロで描かれる。
 戦地にやってきて、ようやくカラー映像が始まる。戦地に入ってから映像がカラー化するのは、その場所でのできごとこそ、彼らが生きていた証だから。彼らのもっとも精彩な瞬間がそこにあるから、ここからカラー……というわけ。それに、映画の作り手が伝えたいことがそこにあったから、ここからカラー化だ。

 戦場ではすでに延々と続く塹壕が掘られていた。上に書いたように、第1次世界大戦は近代戦闘が始まった戦争だ。歴史的に培ってきたありとあらゆる戦術が通用せず、だからお互いなすすべなく、ただむやみに塹壕を掘ってそこから一歩も進めない膠着状態がえんえん続いていた。時々銃を撃ち合ったり、ガスを投げたり、でそれ以外の時はすることがなかった。
 まず塹壕での窮屈極まりない暮らしが描写されていく。そもそも生活することを目的としない場所、その場所に居続けなければならない理不尽。ほとんど戦闘はない、とはいっても、むやみに頭を出したら撃ち殺されてしまう。死と隣り合わせの奇妙な共同生活が描かれていく。
 塹壕に横穴を作って寝る場所を作ったり、その辺の木片を集めて飯ごうを作ったり。ガソリン缶で紅茶を作ったり、ということもしたそうだ。戦場についてとりあえず紅茶を作る……イギリス人の紅茶に対するこだわりの凄さがわかる。
 雨が降ってしまうと塹壕の中に雨が溜まって泥水ができてしまう。映画なんかで塹壕周りがいつもぬかるんでいるのはこのためだ。爆撃跡であちこち穴が空いていて、その穴にも雨が溜まり、時々その中にあやまって足を滑らせて、そのまま溺死してしまう人もいたようだ。
 泥水は冬になると凍てつく氷となってしまう。長靴を履いたまま水の中に足を突っ込んだままにしていると凍ってしまい、靴が脱げなくなる。塹壕足といって、両足切断するしかなくなるそうだ。

 始まってみると不思議なことになんともいえない牧歌的な空気が映画の中に生まれてくる。まるで修学旅行にやってきた学生のような、男が集まってしかもそこに特に目的もないとそうなるものなのか、みんな何でもないことに笑い合う姿が描かれていく。同じ軍服を着て、同じ戦場にいる連帯感がそれをもたらすのか、戦場らしからぬ笑顔が描かれていく。不思議だが、それも戦場における一面の一つだ。
 えんえん食べ物の話をしたり、初めての売春婦で童貞を散らしたり。彼らにとって戦場は単に戦う場ではなく、日常から切り離れたモラトリアムを取り戻し、また素朴な人間主義を取り戻すチャンスとなっていた。

 後半に入り、いよいよ戦闘が始まるが、残念ながら戦闘シーンそのものはない。当時の戦場カメラマンは銃弾飛び交う戦いのなかには飛び込んでいかなかったようだ。それも当時の「飛び出せば撃たれて殺されるだけ」という状況を思うと仕方ないことだろう。生き残れた人は、ただ単に運が良かっただけ。戦略とか戦術とかそういうものはなく、ただ数に任せて飛び出していけ……みたいな作戦しかなかったようだから。結果的に戦場にいた兵士は3分の2が死亡。記録によれば軍人7000万人中900万人死亡と、数字を見てもその凄惨さがわかる。
 映画には戦闘シーンはないが、その代わりに生前の姿と、死んだ瞬間のスチール写真が何度も交互に登場してくる。見ていると気付くが、特徴的な髭が一致していたり、ちゃんと死亡した人間と動画中の人間を特定した上で編集しているのだ。これで動画中に登場してきた多くの人が死んでしまった……ということがわかる。
 生前の動画と死亡カット、この映像がえんえん続く。映画的なハイライトといえば「戦闘シーン」で、「反戦的映像」であるはずなのに奇妙なくらい高揚する映像になりがちだ。だがこの映画『彼らは生きていた』では出てくるのがえんえん死体だけ。戦闘の高揚感は皆無で、見ていると気分が沈んでいく。戦争のおぞましさ、むなしさを伝える効果的な映像になっている。

 それで多くのドイツ兵捕虜を確保するのだけど、また再び牧歌的空気が戻ってくる。あれだけ憎み、殺し合っていたドイツ兵と和気あいあいと対話したり、タバコを渡したりする場面が描かれる。ナショナリズムに突き動かされて「ドイツ野郎を殺してきてやるぞ!」と意気込んで戦場にやってきたのに、実際に接してみたドイツ人は憎むような相手ではなく、自分たちと同じ人間だった。それどころか、同じ死線を共有する仲間のような連帯感すら生まれてしまった。
 この映画ではなく別映画の話をするが、戦時中、イギリス・ドイツの間にひとつのサッカーボールが投げ込まれ、すると突然イギリス軍、ドイツ軍がサッカーを興じ始める……ということが起きたそうだ。ひとときサッカーを楽しんでお互いの塹壕に戻った後は、再び殺し合いを始める。「クリスマス休戦」と呼ばれる事件である。
 国家としては憎む相手であり、敵であるが、しかし個人としては友人になることができる。では「憎むべき国家」とは何だったのか? 誰を敵として憎んでいたのか……?
 見ているとナショナリズムというよくわからない幻想と向き合っているような気分になる。
 この映画の話から外れるが、敗北したドイツはこの後、経済破綻を起こして再び戦争の切っ掛けを作ってしまう。イギリス的には平和を勝ち得た戦い、かも知れないが、裏面では次なる戦争の火種を作った戦争に過ぎなかった。戦争で勝ったからおしまい、めでたしめでたし……そんなわけにはいかない。戦争なるものは始まってしまうと容易に終わらせることができない。それは胸に留めておくべきだろう。

 戦争が終わって兵士達が帰ってみると、誰も英雄として認めてくない。誰も褒めてくれない。誰も戦争について尋ねないのは、気を遣っているからではなく、興味がなかったからだ。
 日常に戻って、再び映画はモノクロに戻っていく。生と死がせめぎあうあの瞬間、素朴な人間主義の瞬間が終わり、人々の間から色が失われていく……そんなふうに読み取れてしまう。
 男達だけではなく、戦争が始まる前も白い羽を送り回っていた女達ももう興味をなくしていた。世間も興味をなくしていた。それどころか戦争から戻ってきた若者達を差別するような動きもあった。
 国を守ったのに? みんなの生活を守ったのに? みんながこうして平和でいられるのは自分たちのおかげであるはずなのに? ――みんなすでに興味をなくしていた。熱に浮かされたようなナショナリズムは人々の間から去ってしまっていた。この暮らしが誰が守ったのか、そういうことも人々にとってはどうでもよく、日々の忙しさの中、戦争があったこと自体も忘れられていく。
 日本でも同じような現象が起きた。戦時中はあれだけ熱を上げていたのに、終わるとスッと忘れられていく。参加していない者にとってはなかったことになり、参加した者にとってはずっと忘れられず胸のどこかに残っていくことになる。こうして戦争参加者と世間の間でズレが起きていく。

 よくある話として、かつて起きたような世界戦争が再び起きるようなことはあるのだろうか――? という話。私はないと考える。
 というのも、数を動員しても大半は特に何もしない……ということになってしまうからだ。第1次世界大戦の時代は、最前線に出て武器を持って戦った、相手を殺した、という兵士の割合はたったの2割だったそうだ。現代は「戦闘の効率化」が計られ、こういう無意味な動員はやらない。無意味な動員なんぞしても、使うのは国費。兵隊として「使える」ようにするための訓練費も必要になる。しかも兵隊徴用して動員すると国内生産(つまりは食料生産)がいったんストップしてしまうので、そんなことをやったら国内経済・国民生活がともに危なくなる。だったら現代のまっとうな政治家だったらやらない……という選択肢を採るはずだ。
 それに、戦争とは獲得物があるから始めるもの。「相手の国が嫌いだからやる」という動機でやるものじゃない。戦争というのは超大量消費だ。物、食料、人命……いっぱい消費する。獲得物と消耗するものとの折り合いがつかなかったら、やる意味がないじゃないか、ということに行き着くはず。いま世界戦争をやるとただただ消費ばかりになるから、どこもやらない。

 日本には頻繁に挑発してくる隣国というものがあるが、しかし本気でやりあうつもりはない。本気で撃ってこないのは、相手にとってもリスクが高いから。それなのになんで尖閣周辺でいろいろ挑発してくるのかというと、挑発すればいろいろ譲歩してくれる……と思っているからやっている。舐められたもんです。
 よく「いつか日本でも徴兵制が復活するかも」という話が出てくるけど、そんなの起きるわけがない。もしそんな時が来たら、本格的に国が傾いて破れかぶれになってしまったとき……でしょう。今の日本は衰退途上国ではあるが、そこまで末期ではない。
 第1次世界大戦くらいの時代は、“世界戦争”の経験自体がなかったから、若者は英雄物語気分で「いっちょやってやるか」で行ったけれども、現代の若者は戦場がいかなるものか、その凄惨な画像をいろんなところで見ている。あんなものを見たら誰も行きたいとは思わないはず。徴兵したって、志願する人もあまりいないだろう。

 こうして戦争は忘れられ、過去になっていく。忘れられかけた100年前の戦争を復元したのが、この映画だ。忘れてはならない。彼らは間違いなくあの場所で生きていた。その証をとどめ、思い起こすために作られた。監督ピーター・ジャクソンにしてみれば、あの戦争に参加した祖父に捧げるための映画だ。
 100年前のフィルムだから、相当に劣化が激しかったはずで、こういった復元が可能だったというのも、おそらくはギリギリのタイミングだっただろう。もう少し後だったら、復元不能になっていたかも知れない。

 この映画に関して多くの反論もあるようだ。「なぜイギリス側の映像しか使われていないのか?」「物語として自然に見えるのが不自然だ」「喋っていることが本当かわからない。捏造があるのではないか」――など様々である。こういう人はどこにでも書かれているような、「この映画がいかにして復元されたのか」その説明をまず読んで欲しい。明らかにそういうものを読まずに、賢しらに反論してみせて☆1を付けるのはバカのすることだ。批評する前に情報収集をしてほしい。検索すればどれも1ページ目で出てくる情報だ。それすらやっていない“批評家様”が多すぎる。それに映画のテーマをきちんと読み取ってほしい。賢しらに批評してみせたつもりが、実は無知を晒すだけになっている人が多い。
 世界大戦が終わってすでに70年が過ぎて、現世代はもう戦争があったことも知らない。かつて日本とアメリカが戦った……ということも知らない人も普通にいる。どうして現世代の人がこういう暮らしでこういう考え方でいるのか、それは戦争があってそれによって定められた――そういうことも知らない人たちがいま一杯いる。そうした今の世代に、戦争とはなんであったのか。その場所にどんな人たちがいて、どうやって戦って、生きようとしたのか。それを伝える優れたフィルムであった。


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