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映画感想 ナチスの愛したフェルメール

 本日紹介の映画は『ナチスの愛したフェルメール』。オランダ、ベルギー、ルクセンブルク制作、2016年発表の作品。
 どうしてこの作品を視聴したのか、その経緯を話すと、いま絵画芸術に関する本の執筆を進めていて、その中に「メーヘレン」も少しネタとして登場してくるのだけど、「そういえばメーヘレンを題材にした映画があったなぁ」とふと思いだし、探したらAmazon Prime Videoで会員限定無料配信をやっていたので、よし見るぞ……というのが経緯。見れば執筆中の本のネタになるかな、と思って。
 タイトルに『フェルメール』の名前が掲げられているけど、フェルメールは登場してきません。メーヘレンのお話が中心となっています。ついでにナチスもあまり出てきません。
 メーヘレン……といえばフェルメール絡みの本を読むとちらちら登場してくるので、名前を聞いたことがある……という人はわりと多いでしょう。メーヘレンとその事件はフェルメール研究の歴史において、それなりに大きなものだったから。
 メーヘレンは“あの事件”があまりにも有名になり、テレビでもそこを切り取りされて取り上げられることも多いけど、そういったものを見るとどうにも誤解があるなぁ……という気がしている。その一つが「メーヘレンは実力・才能がなかったから贋作を作って売ったんだ」というもの。
 いやいや待て。当時のフェルメール研究の権威を全員騙すくらいの実力はあった。ということは相当の実力はあったんだ。しかしメーヘレンは20世紀のはじめ頃、画家として大成することはなく、というか生活もギリギリという状況に追い込まれてしまった。どうしてそうなったのか?
 この辺り、「20世紀初頭」という時代観を見ながら読み解いていかないと、作品を見誤ることになってしまう。ここを踏まえて、今回は映画の感想文を書いていきます。

!ネタバレあり!

 ただし今回は「解説」に徹しているので、映画視聴前に読んでもわりと大丈夫。

映画の感想文

 はい、ここから映画の感想文に入ります。
 今回は映画の感想文を進めながら、解説も書いていきますよ。


 まずメーヘレンという人物について。
 Wikipediaによるとメーヘレンは画家になりたかったが父親の反対にあい、一度は建築学の道へ進む。しかし画家への憧れを捨てきることはできず、1913年卒業制作(24歳の頃)として絵画を提出する。この絵画が建築学部の学生として初めてのロッテルダム賞を受賞し、メーヘレンは見事画家としてデビューした。
 この辺りは映画でも描かれたとおり。メーヘレンは“実力”が認められ、真っ当な段階を踏んで“画家”になった。
 ところが――時代はメーヘレンの意に沿わない方向へ進んでいた。メーヘレンは古き良き古典芸術をかなりきっちり学んで、古典絵画に憧れて画家になった。古典的な絵画というのは宗教や神話をテーマとした格調高い画面構成、モデルさんを置いてありのままを精密に描いた絵……のことだった。19世紀頃まではそういう絵が間違いなく西洋画壇(サロン)の主流だった。
 ところが20世紀はじめ頃というのは、そういう古き良き画壇の権威主義の崩壊が始まる時代に入っていた。いわゆるキュビスムやフォービスムといった、素人目にはいったい何が描かれているかよくわからない、「なんだかよくわからないものが芸術」みたいな奇妙な空気が芸術界隈に流れつつあった時代だった。
 映画中でもメーヘレンの絵について「個性がない」とさんざん言われるのはそういうこと。写実を目指した絵を描いても、「こんなものは誰にでも描ける」と言われるし、素人が言いがちな台詞「写実的な絵はつまらない」という認識が広がろうとしている時代だった。
 しかし真面目に古典を勉強したメーヘレンにとってみれば、「個性ってなんだよ!」だった。古典への憧れが強かったメーヘレンは、生涯モダニズム芸術を軽蔑し続けた。
 映画中、ピカソふうの絵をさらっと描いて「こんなものに価値はない」とその場で燃やしてしまうシーンがあるが、これに近しいやりとりは実際にあったらしい。当時流行していたピカソっぽい絵は描こうと思ったらいくらでも描くことができた。メーヘレンにはそれくらいの実力は備わっていた。でも古典をきっちり勉強してきたプライドが、(当時最先端だった)モダニズムやシュールレアリスムへ行くことを拒んだ。

 古典に学んだ絵画は20世紀のはじめ、まったく評価されることはなく、それどころかボロカスにけなされるだけだった。「リアルな絵は写真を引き写しただけだ」「テーマがありきたりだ。時代錯誤」……評論家は言いたい放題だ。
 画家になったものの絵画制作の仕事がまったくなかったメーヘレンは、修復の仕事を引き受けるが、修復師としての仕事をきっちりこなして提出すると、「こんなもんはニセモノだ」と言われる始末。新しい絵だからアルコールで絵具が溶けるのは当たり前で、なのに「どうして昔の絵なのにアルコールで溶けるんだ」とか言われる。
 画家として評価されることはなく、作品がまったく売れず、修復師の仕事をしたら詐欺師呼ばわりされて、そんな日々を過ごすうちにメーヘレンはとある「復讐」を思いつくようになる。それがフェルメールの贋作を作ることだった。

 偉そうに絵画評論やっている評論家連中の審美眼というやつは本当に正しいのか? お前ら本当にわかって絵について語っているのか?
 メーヘレンは評論家を試してやろう……と思いついた。
 メーヘレンが描いた絵は評価されない。しかしじゃあこれを「フェルメールの絵です」と言って出したら、あいつらはどんな反応をするのか? 評論家が見ているのは「作品」か「肩書き」か……これで一発でわかるというものだ。

 評論家というのは厄介なもので……。作品と全く関わりを持っていないどころか、作品制作をまったくやったことのないようなド素人のくせに、わかったような口ぶりで“評論”なんぞをやりやがる。絵が描けない人間が、絵画評論やってるんじゃねーよ。
 しかも評論も権威となると大衆に対して強力な影響力を発揮してしまう。評論家が「面白い!」と大絶賛するとみんな大喜びで観に行くし、逆に評論家が「つまらない」と言ったらみんな作品をこきおころすようになる。
 これはどういうことかというと、知識のない大多数の人は、自分自身で考えるよりも「権威が語っていること」をコピーする性質を持っているからだ。こういう構造は昔からあるもので、いわゆる“知識”や“感性”はそれぞれの個人が独力で備わって育まれるものではなく、大部分がその時代の権威に頼って、それをなぞろうという性質がある。要するに、その絵画が良いか悪いか、自分の頭や心で考える力がない。だから多くの人は「リアルな絵は誰でも描ける、つまらない」とかしょーもないことを言ったりする。これも権威ある人の言葉をなぞっているだけに過ぎないわけだ。人間一人一人の感性なんて、こんなもの。人の感性とは、インフルエンサーによってコピーされていくものなのだ。
 テレビで「あの政権は良くない! みんなで打倒しよう!」と号令をかけたら日本中が反応してその意見一色になる。テレビに力があった時代は、多くの人はテレビに思想をコントロールされていた。こういうのが2000年初頭まではっきり“空気”としてあった。
 それが今の時代、「一人の権威主義」からネット上の「みんなの意見」という、一見するとあたかも民主主義的な思想が中心となっている。それをなぞっていれば安心だ……という。でもそういうのは単に付和雷同でしかない。それは軸を持たない“空気”に過ぎず、それに流されていくことほど危険なことはない。
 私がネットからも距離を置いているのはこういうところ。自分の頭で物事を考えようと思ったら、まずテレビとネットからは離れたほうが良い。私は自分で考えよう……と思うようになったから、テレビもネットも見なくなった。流行……? 知るか! 流行を追いかけることほどむなしいことはない。
(私は「流行っているから作品を見る」とか、「流行っているから逆張りして批判する」とか、そういう作品の見方をしない。「見たいと思ったものを見る」)

 私もこういう感想文で厳しく書くこともあるから、気をつけないといけないな……とは思っている。私は映画感想文やアニメ感想文で厳しく書くことはあるけれども、基本的には「人格攻撃は絶対にしない」というのは決めている。
 ネットの“評論家様”の書いた激烈な批評を見ると、やっぱりあるんだ、そういうの。作品批評はちょろっと書いただけで後は作家に対する人格攻撃的な文章を書いている人が。そういうのは、そもそも作品の批評として成立していないから……というもあるし、人道的な観点からしても書くべきじゃない。
 だからまず、批評には個人の感情は一切載せない。感情を載せて「自分の気持ちをわかってくれ!」みたいな文章の書き方は恥ずかしいし、理性と感情の区別の付けられない子供でもない。
 その作品がつまなくても、感想文の最後に「才能はあるのは間違いないのだから、次回作に期待しよう」みたいな締めくくり方をするのは、そういうところ。その作品がつまらなくても、作家にはチャンスがあったほうがいい。
 その作家が持っている実力がどういうものか、それはきちんと見て、「良いところもある」と書いた方がよい。作家の実力を見通せず、感想文を書くのは良くない……といつも思っている。
 でもネットの小さな感想文でもおかしな影響力を持つことはあるから、やっぱり気をつけたほうがいいだろうな……。

 映画本編に戻ろう。
 フェルメールのニセモノを作るぞ……と決心したメーヘレンはフェルメールがどんな絵具を使っていたか、調査し、それと同じものを作るところから始める。映画中でも絵具の調合に悪戦苦闘する姿が描かれている。
 現代は「絵具」といえば画材専門店に売っているチューブ式絵具のことを思い浮かべるが、あれも19世紀ごろになって発明されたもの。フェルメールの時代である17世紀頃というのは画家自身が元になっている鉱物を取り寄せて、ゴリゴリ砕いて、油と混ぜて絵の具を作っていた。17世紀頃の画家は、そういう化学的な知識を持って調合をやっていたわけだから、その時代の画家は“錬金術”の知識・技術も必須だった。だから画家ごとに作られている絵具の成分が違っていた。
 「画材屋の絵具を使って描けば良いじゃないか」と思う人もいるかも知れないが、それだと成分分析で一発で贋作だとバレる。例えば現代では白の絵具は白亜鉛が使われているが、昔は亜鉛が使われいた(鉛を腐食させ、その表面に浮き上がってきたものを採取して絵具として使っていた)。17世紀当時、どんな調合法で絵具を作っていたか、それを再現しなければならないのだ。
 そういったわけで、現代では科学的な鑑定法でいったいどんな原料を使って絵具を作ったかわかるが、20世紀はじめ頃というのはよくわかっていなかった。それをメーヘレンは執念でもって調べ上げて同じものを調合で作ったというから、なかなか凄い話である。

真珠の耳飾りの少女 M71-851

真珠の耳飾りの少女 ヨハネス・フェルメール 1665年?

有名な話だが、『真珠の耳飾りの少女』で少女が身につけているターバンにはラピスラズリが使われている。ところが、オランダではラピスラズリは産出しない。とある本で読んだ情報で正確かどうか不明なのだが、あのラピスラズリはアフガニスタン産だそうだ。これ、本当かどうかわからないので、まあ参考程度に。17世紀の時代、遠い外国から船で運ばれてきた宝石を買い付け、それをゴリゴリ削ってためらいなく絵具にしてキャンバスに塗る……この贅沢さがわかってくると『真珠の耳飾りの少女』の凄さもわかってくる。

 次にメーヘレンは古い絵画を購入し、それを適当なサイズに裁断し、その上に白い絵具で塗りつぶして新しい絵を描く……ということをやっている。
 これはなんなのかというと、科学鑑定の基本中の基本、使われているキャンバスがいつの時代のものか、その国で生産されたものか……を判定する、というものがある。雑に作られた贋作は、現代のキャンバスで作られたりする。そういうものは絵を見るまでもなく、一発で贋作だ、と見破られてしまう。
(絵画鑑定をやる時は、絵を見る前に、まずキャンバスを裏返して確認する……という)  だから贋作師は17世紀の絵の贋作を作ろうと思ったら、17世紀の無名作家の絵を手に入れてきて、表面の絵具をこそぎ落とし(古い絵は絵具が結晶化しているので、こそぎ落とすことができる)、その後に有名作家のニセモノを描く。
 こういう贋作作りのために“犠牲”になる絵……というものも存在する。映画中に出てくるサインの入っていない無名の、しかしよくできた作品も贋作作りのための犠牲にされることもあった。ああいったものがことによると後々「有名作家」として再発見されるかも知れないわけで、とんでもない犠牲の上にニセモノ絵画は作られているわけである。
 映画中ではメーヘレンは元になっている絵から絵具を落とさず、その上から真っ白に塗りたくって、新しい絵を描いている。これが後々のX線撮影でニセモノが発覚する……という展開を取っている。

 そうやってできあがった絵を、今度はオーブンの中に放り込んで、焼き上げてしまう。
 これはなんなのかというと、300年分の経年劣化を物理的に生み出してしまおう……というもの。古い絵は長年の太陽に晒されたり、何かしらの環境汚染に晒され経年劣化が起きているわけで、そういう状態を火であぶって再現しよう……というもの。
 私も色んな文献で「贋作制作用のオーブンがある」というのは読んでいて知識としてあったのだが、映画中のものとはいえ実際のものを見るのは初めてだった。なるほど、ああいうものなのか……。
 しかしその火加減が難しいらしく、火の勢いが強かったらキャンバスは布だからあっという間に燃えてしまうし、火が弱かったら絵具が定着しない。
 古典絵画を見ると表面にひび割れが入っている。これをクラクリュールといって絵具の成分が固まり、硬質化することによってこのクラクリュールができる。このクラクリュールが光を反射し、古典絵画特有のきらめきを生み出すことになる。かなり乱暴な鑑定方法だが、絵具が新しいかどうかを判定する方法に、針で刺してしまう……というものがある。もしも本当に古い絵ならば、絵具の成分が固まって薄いガラスのようになっているはずだから、針で刺すとパリパリパリという反応が返ってくるが、もしも新しい絵画だと「むにゅ」という感覚になる。絵具が硬質化していたら、当然ながらアルコールで拭いても絵の具が溶け出すこともない。
 このクラクリュールが良い感じにできていたら、見た目的にも古典名作が……と見る人を欺くことができる。逆に言えば、クラクリュールがうまくできなければ、科学鑑定を欺くことはできない。
 メーヘレンはこれがうまくいかず、煩悶する。

 映画中では、
「オイルではなくフェノール樹脂を使いました」
 という台詞がある。「高圧で成形し、冷ますと石のように硬くなる。熱に強い」と説明される。
 この辺りの説明が精確がどうかの判定はできないが、顔料に何かしらの「液体プラスチック」を混ぜたというのは本当らしい。顔料に液体プラスチックを混ぜたものをオーブンで焼き上げると、みごと絵具がキャンバスに定着し、アルコールで拭いても溶け出すことはなかった。見た目的に本物にしか見えない絵ができあがったのだ。

メーヘレン エマオの食事

ハン・ファン・メーヘレン エマオの食事 1937年

 映画中でさらっと時間が流れていったが、あの『エマオの食事』を描き上げるのに5年の歳月を費やしていた。絵そのものを描く時間……というよりはおそらくは技術研究に費やした時間だと思われる。
 そうした苦労を重ねてできあがった『エマオの食事』は……見事美術評論家を欺き、「真画」と判定された。


フェルメール? 赤い帽子の女

ある時期までフェルメール作品として紹介されていたが、現在誰の作品か不明。1665年~1666年頃と推定。

 しかしどうして当時の美術評論家はこうもあっさりと騙されたのか?
 それは当時の美術評論家達は功を焦っていたからだ。
 まずフェルメールという作家自体がまだ“発見された”ばかりの芸術家だった。例えば有名な作品『真珠の耳飾りの少女』は1881年、ハーグのオークションにて歴史上に再び姿を現すが、その当時の落札価格は2ギルター30セント……日本円にしておよそ1万円ほどであった。再発見された当初の『真珠の耳飾りの少女』は表面が非常に汚れていて、かろうじて「女の子が描かれている?」くらいの感じだったらしい。
 その後、絵画はマウリッツハイス美術館に寄贈され、修復される過程で、「これはひょっとして……?」となったのである(無名の作品も大事にしなくちゃいかんね)。
 フェルメールはいま現代でこそ超有名画家という地位を得ているが、当時は死後ひっそりと埋葬され、作品が散逸し、300年間忘れられていた作家だった。
 それが「300年前のオランダに凄い画家がいたぞ」と再発見される。まあ、未知の恐竜の化石が発見された……みたいな感覚だね。
 すると評論家や研究家がこぞってフェルメール研究をはじめ、「我こそはフェルメールのこの作品の発見者」という冠を欲しがった。フェルメールの作品の発見者になることが、あの時代の評論や研究界隈の“権威”になるための条件みたいなものだった。研究家達も“勲章”が欲しかったわけである。
 フェルメール関係の本を何冊か読んでみるとわかるが、巻末に「フェルメールの作品?」という一覧が掲載されていたりする。真贋が曖昧だったり、ある時代においては「フェルメールの作品」と思われていた作品たちである。ああいったものが掲載されているのは、フェルメール研究自体がまだ若いからだ。
 映画中に出てくる『赤い帽子の女』も現代ではフェルメール作品のリストから外されている。もしかしたら映画中の時代では「フェルメール作品」として紹介されていたのだろう。その作品が劇中に登場される辺り、メーヘレンの今後を予感させるものとなっている。

レンブラント デュルプ博士の解剖学講義

レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン デュルプ博士の解剖学講義 1632年

 映画中の時代の評論家達の関心は、フェルメールの宗教画と風俗画の間を埋める作品であった。
 17世紀当時も絵画といえばやはり宗教画や神話画がもっとも偉いものだった。17世紀のオランダでごく普通の庶民を描いた作品が多かったのは、普通の人々がお金を持つようになったからだった。それだけ裕福な時代背景があり、普通の人が画家に依頼して絵を描いてもらうことができるようになったから……というものがある。
 それで、当時流行していたのは「集団肖像画」。絵を描いて欲しい人がみんなでお金を持ち寄って、一緒に描いてもらおう……と、そういう絵があった。そういう集合画で頭角を現した画家が存在する。
 『デュルプ博士の解剖学講義』を描いたレンブラント・ファン・レインである。当時の集団肖像画といいうのは、あたかも修学旅行の集合写真のように全員が整列して描かれるものだったが、レンブラントはこれを舞台の一場面のような、劇的な空間として集合画を描いた。これでレンブラントは一気に時代の最先端に立ったのである。
 そんなある時、教会が新しい絵を画家に依頼しよう……という計画を立てているとレンブラントが知り、「どうかその役目を私めに……」という手紙を教会に送っている。風俗画の時代であっても、やはり宗教画は絵の中で一番の格上だし、その絵が教会に飾られることは画家にとって一番の名誉だった。実際、レンブラントはこの時、教会直々の依頼を受ける栄誉を得て『キリスト昇架』を描き、大出世の切っ掛けを作ることになる。

レンブラント キリスト昇架

レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン キリスト昇架 1634年
キリストの足下にいるのがレンブラント本人。

 ここでどうしてレンブラントの話題が出てきたか……というとフェルメールはレンブラントとだいたい1世代ぶんくらい離れているが、ほぼ同時代のじオランダの作家だからである。つまり、取り巻く世情はそれなりに同じ。絵画のステータスは宗教画・神話画が一番上だった。
 フェルメールの初期はよくある画家と同じように宗教画を描き、レンブラントのような大画家を目指していたような跡が見られる。しかしその後、どういうわけか風俗画しか描いていない。これが研究家達にとっては違和感だった。
 例えば『牛乳を注ぐ女』は超有名な名作だが、しかし絵としてみると「そのへんのパン屋のおばちゃん」である。技術的には例を見ないくらい傑出した作家なのに、どうしてこうも地味で平凡な絵ばかりなのだろう。
 フェルメールはすでに書いたように、300年間忘れられていた作家で、映画の時代は「発見されたばかりの画家」だった。その時代はまだ「未発見のフェルメールがまた発見されるかも知れない」という期待感のあった時代だった。だから「ひょっとすると初期に描かれたような宗教画と、風俗画の間を埋めるような作品が存在するんじゃないか……」と評論家達は想像していたわけである。

フェルメール 牛乳を注ぐ女

ヨハネス・フェルメール 牛乳を注ぐ女 1657年 - 1658年頃

 メーヘレンはまさにこれを描いたわけである。だから評論家達はメーヘレンの描いたニセモノに飛びついてしまった。
(ちなみにこういう専門家が欲しいお宝があると思って飛びついてしまって、贋作をつかまされることを“くさむ”というらしい)
 メーヘレンが描いたような絵をパスティーシュと呼ぶ。
 パスティーシュとは「おそらくその画家が描いたであろう画風を再現して、実際には存在しない絵を描くこと」である。普通の贋作作りは現存する絵を再現することだが、パスティーシュはその画家が描いたかもしれないニセモノを作るわけである。贋作制作においては一段高い難易度を持った手法である。
 現代のパスティーシュ作家といえば田中圭一である。手塚治虫風の絵柄を再現して、新しい漫画を描く……ということを“ネタ”として“芸風”として取り入れている作家である。

 ちなみに私もパスティーシュっぽいことを漫画で描いたことがある。後にして思えば、顔だけじゃなく、体全身元の絵柄に寄せればよかったなぁ……。

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 メーヘレンが『エマオの食事』で何を試みたのか?
 フェルメールの作品といえば、彼のアトリエで描かれた作品群である。作品の特徴を見ればすぐにわかるが、どの絵も窓が左側。これはフェルメールのアトリエの形そのものとされている。フェルメールはこのアトリエにモデルや小道具を置き、小さな舞台を整え、それを見ながら描いた……とされている。おそらくカメラ・オブ・スキュラというカメラの原初的なものを通して対象を見つめながら描いた……というのが今時代の定説となっている。
 メーヘレン『エマオの食事』もこれにならい、左側に窓を置き、その光を浴びながらキリストがパンを食べつつ説法している姿を描いた。またフェルメールといえば光を細かな点として描写することを特徴としていた。メーヘレンの『エマオの食事』を見ると、かなり雑だが光が点で表現されているところが見られる。
 これこそ、研究家達が「探し求めていたもの」だった。「やっぱり宗教画と風俗画の間を埋める作品があったんだ!」と研究家達が飛びついた理由だった。当時はまだ「フェルメールの新作」が発見されるかも知れない空気感があったし、研究家達は「我こそはフェルメールの発見者だ」という勲章が欲しかった。というところに、まさにそれというべき絵が出てきたから、研究家達は飛びついたのだった。

 メーヘレンにとっては「ざまーみろ!」な事件だった。
 映画中ではメーヘレンはその『エマオの食事』を一般披露した壇上で、その作品をナイフで引き裂き、ニセモノであることを明かして、購入金額も返却する……という計画を立てていた。「ざーんねんでしたー」とドッキリを発表するつもりだった。
(この場面、階段を上っていくシチュエーションが作られているが、底辺におちぶれていたメーヘレンが、天上人のブレディウスとそこに並んでいる絵を引き裂く……という暗喩があるんでしょうな)
 この辺りは実際だったのかどうかは、よくわからない。
 映画中ではここで美女が横に入ってきて、計画は中断されてしまう。「宿命の女/ファム・ファタール」である。ファム・ファタールの登場によって、メーヘレンの人生はおかしな方向に捻れてしまう。
 きっとあのファム・ファタールことヨーランカの存在は映画中の空想なのだろう。正直なところ、現実的に考えてあんな美女がうらぶれた売れない画家に恋をして手助けするなんて不自然だ。しかし映画の物語として、男の人生を狂わす美女は一定の存在感をもたらしている。
 絵を発表しているその横で対話するのはどうかと思うが(聞かれてるぞ、あれは)、メーヘレンは息子と美女に挟まれて、結果として美女を選んでしまう結末が、その後の悲劇を確定させるものになっている。

 映画はさておくとして、現実ではどういった事情があったのかわからないが、メーヘレンは自分が描いた絵を「ニセモノ」と明かすことができず、そのままズルズルと贋作を作り続けることになってしまう。
 フェルメールの贋作は高額で売れたが、メーヘレンの生活は荒んでいった。絵を描く意欲がまったくなく、酒を飲んでモルヒネを打って、なんとか絵を描いている……という状態だった。
 このあたりのメーヘレンがどういった心境だったのか、それはわからない。メーヘレンは古典をきちんと学んで画家になったはずなのに、時代はキュビスムやフォービスムとかいうなんだかわからないものを賞賛するような時代に入ってしまっていた。メーヘレンのようなきちんと勉強して描いた絵は「古くさい」「個性がない」と誰も注目しなくなっていた。そういう最中、メーヘレンは評論家達を試してやろうと、「お前ら絵を本当にわかっているのか」と贋作を作ってみせた。それで評論家達はまんまと騙されて、メーヘレンの意のままになったが、しかしそれからメーヘレンは嘘をつき続ける人生が始まってしまった。
 思ってもいなかったような大金が転がり込んでしまったからなのか、周りの声が同調圧力になって言えなくなったのか……。とにかくも絵画に対する意欲も情熱もまったくない状態で、つまり評論家達に対する復讐はすでに終わっている段階で、メーヘレンはモルヒネを打って贋作を作り続ける生活に入ってしまう。おそらくはメーヘレンにとっては望まない作品作りだったのだろう。

 私の想像だが、フェルメールの贋作を作る、というのは言葉では簡単だが相当の気合いのいる仕事だ。「贋作だから容易に作れる」……というものではない。それがフェルメール作品のような精密さとなると、ひたすら気を張って描かないと、あのクオリティは出せない。
 それに最初の『エマオの食事』を描くだけで5年を費やしていた。おそらくはその時点で“燃え尽き”もあっただろうと思われる。
 メーヘレン的には「もうフェルメールはしんどい」という状態でさらに描くわけだから、憂鬱に感じていたのかも知れない。
 ……この辺りは全部私の想像だが。

アドルフ・ヒトラー 聖母マリアと聖なる子イエス・キリスト

アドルフ・ヒトラー 聖母マリアと聖なる子イエス・キリスト 1913年

 そのメーヘレンの絵画は、こともあろうかナチスドイツの最高幹部ヘルマン・ゲーリングの目にとまることとなった。
 ヒトラーは知られているように、もともとは画家を目指す青年だった。しかし才能はまったくなかった。当時のスケッチを見ると、確かに下手。しかしヒトラーはその後も芸術に対する興味が尽きず、各地を占領していく最中、様々な名画の蒐集を行っていた。
 そんなヒトラーは、その時代に流行っていたキュビスムやフォービスムを徹底的に嫌っていた。ヒトラーが好んでいたのは、古典的な名画。ヒトラーはキュビスムといった近代絵画に対して弾圧を行い、それに抵抗してその時代の画家(ピカソとか)がより訳のわからない絵画をカウンターとして描く……という図式があった。現代でも左翼がやたら意味不明な絵画を「アートだ!」という傾向があるのはそういう歴史観の上である。
 それはさておき。
 ヒトラーが芸術愛好家であるならば、幹部達もやはり芸術愛好家。ヘルマン・ゲーリングもまた芸術の蒐集を行っていた。映画中ではゲーリングはちょっとお間抜けな感じに描かれているが、ゲーリングもかなりしっかりした鑑定眼の持ち主。そのゲーリングもメーヘレンが描いた『キリストと姦婦』を本物だと信じて購入する。メーヘレンの絵にはそれと信じさせるだけの力はちゃんと備わっていたわけである。
 メーヘレンがこの時「贋作です」と言えなかったのは、贋作とバレたら殺されるような状況だったから。メーヘレンはそういう危ない連中に一目置かれてしまい、より「ニセモノです」と言えない状況に陥ってしまう。そんな綱渡りをして、またしても大金を得てしまう……。メーヘレンの後戻りできない人生がより深まってしまう。
(「NOと言えないなんてみっともない」とか思ってはいけない。「NO」と言ったらその場で銃殺刑という状況だった)

 さて終戦。
 メーヘレンはナチスに絵画を売った罪で逮捕されてしまう。メーヘレンは大金持ちから一転して、敵国に絵画、つまり文化遺産を売り渡した「売国奴」として罰せられてしまう。
 映画中のシーンを見ても、裁判は件の絵が「フェルメールの本物」として進行する。メーヘレンは間もなく「これは自分が描いた」と弁明するが、しかし裁判官も傍聴人も誰も信じてくれない。なにしろ時代を代表する評論家たちがみんな「真画」と判定する作品である。メーヘレンという聞いたこともないような絵描きが「私が描きました」なんて言っても、誰も信じないような状況になっていた。
 それでメーヘレンは獄中で自分の絵を実際に描いて再現することになった。これも実際にあったことである。
 しかし映画では、できあがった絵を見て、ブレディウスはメーヘレンの描いた絵と『エマオの食事』は別人の作と言ってしまう(ブレディウスはすでに名前が出てきたが、この時代の「フェルメール研究の権威」として有名な人。メーヘレンに騙された人としても有名)。当時のメーヘレンは意欲を失っていてモルヒネを打ってなんとか描いていた、という状況だったし、獄中の監視のついた中で描かなければならなかったし、それにモデルを立てず一切の資料なしで描かなければならなかった。クオリティが落ちるのは当然のことだった。
 それもX線撮影によって、ようやく「贋作」と判定されて、メーヘレンが初期に思い描いていた「専門家に恥をかかせること」を達成させる。紆余曲折があったが、ここでやっとメーヘレンは復讐を達成させられたのだ。

 ところが映画を見てわかるように、ナチスに絵画を売ったのは、ゲーリングに贋作を売って「一杯食わせるため」と理由が変わってしまっている。これも当然ながら嘘。メーヘレンの人生は嘘に嘘を塗り重ねなければならない状態に陥っていた。
 作品が贋作と判明して専門家に恥をかかせ、さらに「売国奴」から「愛国者」に転身したメーヘレンだったが、捻れた人生がほぐれることが最後までなく、結局のところ「芸術家」ではなく「詐欺師」として人生を終えることになる。
 メーヘレンの絵画は贋作と発覚した後はこう言われるようになる。
「贋作だから醜い」
 作品が「メーヘレンの作品」として評価されることはなかった。
 評価されていたのはあくまでも「フェルメールの作品」のほう。みんなメーヘレンの絵をフェルメールの作品だと思い込んでいたから、作品に値打ちが付いていた。評論家たちは普段から偉そうに作品に審判を下していたが、結局のところ評論家が見ているのは“冠”だけ。中身は見ていない。所詮は絵画も“権威”が全てである。
 映画の最後、メーヘレンの絵画は贋作とわかった途端、雑に扱われる。その以前のシーンではそこそこ丁重に扱っていたのに、贋作とわかったら……である。贋作だったら、価値がない、という理屈なのである。“権威”という“冠”が失ったら、もうその作品を誰も見てくれない。
 こうやってメーヘレンの人生は「詐欺師」として語られ、絵画は「贋作だから無価値」という評価でその後も語られることとなる。

 しかし近年、メーヘレンの評価は少し変わりつつあり、「そういえばよくよく考えれば、当時の評論家をみんな勘違いさせるくらいの実力はあったんだな……ということはメーヘレンってそれなりの実力だったんでは?」と思う人々が現れるようになった。
 そこで「フェルメールの贋作」という視点ではなく、「メーヘレンの作品」として改めて見直そう、という動きが出てきている。こうした経緯もあり、メーヘレンの絵画はモダン芸術として美術館に飾られるようになった。
 ……ここまでが映画のお話。

 メーヘレンの事件は、絵画の価値とは? ということを考えさせられる。
 絵画の良し悪しとは、作品に描かれているもの、ではなくその時代の流行や気分で決められているのではないか。20世紀に入ってから権威に対するカウンターとしてキュビスムやフォービスムが始まり、ダダに発展し、今やアートは虚無になってしまった。権威が力を持っている時代ではカウンターには一定の価値があるが、その権威が失墜した後の時代、カウンターで描かれていた芸術にどんな意味があるのか。というか、カウンターでやっていたものが今の時代「権威」となり、絵画からある種の「真面目さ」を失わせている……というのが今の時代の事実ではないか。「リアルな絵なんて誰でも描ける。リアルな絵は下らん」と言いながら、では何をもってその時代の最先端であるか……を誰も提唱できなくなってしまった。「独創性」とかいうものがあれば、デッサン技術も真面目に磨かなくてもいい……という風潮すら今はある。現代アートの世界は虚無でしかない。「神は死んだ」ならぬ「アートは死んだ」とは言えないだろうか。
 それじゃ、みんな結局のところ絵そのものを見てないのではないか。絵画評論家は偉そうに語るが、その審美眼は本当に正しいのか。みんなが見ているのは“時代”であって絵画そのものではない。そこに何が描かれているのか、何が表現されているのか――絵を鑑賞する人はそれを考えて見ているのであろうか。
 メーヘレンが描いたのはそういう時代の権威に対する挑戦状だった。メーヘレンにしてみれば、絵描きとしてのプライドもあったし、評論家連中を一杯食わせてやろう……という狙いもあった。
 20世紀以前のサロンが権威をもっていた頃は、絵画には一定のルールがあり、それに則っていないものは絵画として見なされない風潮があった。例えばホイッスラーの『白い服の少女』は落選展に出品された時、失笑された。全体が白い絵は、当時、絵として見なされなかったからだ。あの時『白い服の少女』を見て笑った人々は、絵の何を見ていたのだろうか……? 現代ではホイッスラーの『白い服の少女』は“名画”である。
 結果としてメーヘレンは『エマオの食事』を描いたことによって捻れた人生がよりおかしな方向に捻れるだけだった。それもあの時代がもたらした悲劇。かつては権威主義的な絵を描かなければ絵として見なされなかったし、メーヘレンの時代ではかつての権威的な絵を描くと絵として見なされない。そういう狭間の時代だった。
 今ではあれから100年が過ぎているから俯瞰して事件を観ることができる。なにをもって絵画とするのか、芸術とするのか、余計な権威主義を抜きにしていかにして見るか……そういう大切さを改めて問われているような気がする。

 映画感想としてはまず俳優達の演技のすさまじさ。鬼気迫るとはこのことで、見応え充分な力強さがある。
 画家の陰にファム・ファタール。すでに触れたように、あんなうらぶれた画家に美女が寄り添ってくれるのはあまりにも不自然。映画の創作だと思うが、物語としては悪魔的な魅力を添えている。
 ただ気になるのは演出面で、俳優の力強さに反してどこか上滑りしている感が全体にある。これが惜しいと感じるところ。物語の全体も、時間を前後させる構成は物語の見通しをむやみに悪くさせてしまっている。
 ……という話をすると、偉そうな評論家と一緒、ということになるんだよね。今回はここまでにしておこう。

 映画を見ていて気になったのは、みんな絵の前でやたらとタバコをすっていたこと。絵の前でタバコなんぞすっていたらキャンバスに脂がついて黄ばんでしまう。ヘビースモーカーの家に絵をプレゼントしたら、数ヶ月で絵が煤だらけになった……みたな話もある。名画の前でタバコ……というのは「非常識」という以前にある意味で犯罪行為ですらある。
 でも、映画が描かれた当時では、絵の前で喫煙は普通の光景・習慣だったんだろうね。こういうのも、時代感覚の違いだ。
 もしかしたら古典名画が発見された時、経年劣化で真っ黒になっていた理由も、当時の人たちの喫煙習慣が原因なのかも知れない。


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