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映画感想 長靴をはいた猫と9つの命

アメリカのアニメーションがアップデートされた瞬間。

 『長靴をはいた猫と9つの命』はドリームワークス・アニメーション製作の『シュレック』シリーズのスピンオフ作品。実は2011年に『長靴をはいた猫』を主役にしたスピンオフ映画は制作されていた……知らなかった(いや、知っていたけど忘れてたのか?)。今作は11年ぶりに描かれた続編。「長靴を履いた猫」であるプスを主人公にした映画の2作目である。
 監督はジョエル・クロフォード。絵コンテアーティストとしてキャリアをスタートし、2017年に『トロールの休日』で監督デビュー。2020年に『クルードさんちのあたらしい冒険』を発表。今作は3作目になる。ちなみにバンド奏者役としても出演している。
 興行収入は世界で3億4250万ドル。タイミング的にコロナウィルスと被り、しかも『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』とぶつかったために初登場2位で、充分に注目を集めることができなかった。
 評価は非常に高く、映画批評集積サイトRotten tomatoでは192件のレビューがあり、肯定評価が95%。オーディエンススコアが94%となっている。
 アニー賞長編作品編集賞受賞、長編作品絵コンテ賞受賞。ムービーガイド賞のファミリー賞を受賞している。

 おおむね評価の高い本作ではあるのだけど……。まあ掘り下げていきましょう。

 むかしむかし、願い星が落ちてきて、大きな森を真っ黒に焼き、その後に暗闇の森が現れた。その森の奥に、願い星は今も魔力を秘めながら眠っている……。

 とある街――。
 街の人々は歓喜の声を上げていた。総督の屋敷に集まり、一匹の獣を中心に酒池肉林の大騒ぎだった。
「ようこそ、俺のパーティへ! みんな楽しんでくれ! さあ食え、飲め! コルドバの皆さん!」
「ここデル・マールだよ」
「デル・マールの皆さん! 長靴をはいた猫からのプレゼントだ!」
 その獣――長靴をはいた猫ことプスは、総督の屋敷を占拠し、総督が保管していた食料を人々に開放していた。
 そんな大騒ぎの乱痴気パーティの最中、総督が戻ってくる。
「ここはわしお屋敷だ! この百姓どもを逮捕して、長靴ネコの首を捕ってこい!」
 総督の手下達がプスを攻撃する。プスはその攻撃を鮮やかにかわし、反撃。一瞬にして倒してしまう。
 そこに謎の巨人が現れる。街の近くの森に眠っていた巨人だ。街の大騒ぎを聞いて、目を醒ましたのだ。
 プスは巨人に挑んでいき、見事に撃破。人々の喝采を浴びながら――巨人が手に持っていたベルの下敷きになって死亡する。

 ふたたび目を醒ましたプス。そこは町医者の診療所だった。
「言いづらいことだが……君は死んだ」
 今まで何回死んだ? 改めて数えてみると……8回。あと1回で本当に死ぬ。医者はプスに「冒険の禁止」を命じ、引退するように薦める。
 しかしプスは医者の提案には従わない。
 その足で酒場へ行き、ミルクを飲んでいると……となりの椅子にオオカミが座る。
 何者だ? ただ者ではない。佇まいだけでもわかる。
「よかったらサインしてくれないか? ずっとあんたを追いかけている。ここによろしく」  とオオカミが差し出したのはプスの手配書……の「Dead」と書かれた部分。
 賞金稼ぎだな。2人は戦いになる。
 これまでの戦いのように、簡単に倒してやるさ……しかしプスの攻撃はオオカミにはまったく通じなかった。それどころか、あっという間に追い詰められる。
 プスは初めて死の恐怖に震える。殺される。プスは大慌てで逃げ出すのだった。

 もう冒険はできない……プスは帽子とベルトと長靴を封印して、ごく普通の家に潜り込み、ごく普通の猫として暮らすのだった……。

 はい、ここまでが20分。
 まずは気合いの入りまくったオープニングシーンから見ていこう。

 まずは長靴を履いた猫ことプスの登場シーン。可愛い~! やっぱり人間より獣だよね。

 総督の屋敷を占拠して、総督が保管していた食料を街の人達に開放してパーティをやっていた……そこに、総督が戻ってきてしまう。

 バトルシーン。エフェクトが手書きだね。

 大暴れしているとこに、近くの森で眠っていた巨人が目を醒ます。
 アニメーション的な面白ポイントはここから。

 ここからアニメーションのフレーム数が変わる。フルコマ24コマではなくなり、リミテッドアニメーション風。巨人の質感ものっぺりとした平面的な処理に変わっている。

 おっと、ここは『進撃の巨人』に影響されたな。

 最近のアメリカアニメの潮流に、あえてアニメーションのフレームを落とす、そしてルックをグラフィカルにする……というのが流行っている。『スパイダーマン:スパイダーバース』がその1例。今作の場合、普通の日常描写のシーンはノーマルに作られているが、バトルシーンになるとむしろフレーム数を落としている。これはなぜなのか? フレーム数を落とす……ということはクオリティの低下に繋がるのではないか?
 実はそうなっていない。フレーム数を落とすことで、むしろ逆に表現の幅が広がっている。
 CGが登場して以来、アニメーションはリアルであれば良い……と考えられていた。創造性のある動きよりも、シミュレーターに計算させた動きの方が格が上。人物の動きもモーションキャプチャーして、実際の動きに近ければ近いほど良い……。シミュレーター的に正しい動きが良い動き……CGアニメは長らくそう考えられていた(たぶん、今でもこの考え方が主流)。
 しかし最近になって、アメリカのアニメーター達はハタと気付く。「リアルなアニメーションが面白いわけではない」ということに。
 そこでいかにしてリアリティを落とすのか……そこでまず手を付けたのが「フレーム数を落とす」ということ。

 プスが走るシーン。足があり得ないほど後ろに飛び出している。
 なぜフレーム数を落とすと印象が変わるのか? 私はこの時、「抽象度」という言葉を使うが、フレーム数を落とす。それだけで「抽象度が上がる」という現象が起きる。

 例えばこちらの映画。1976年の映画『犬神家の一族』のワンシーン。このシーンに入ると急にフレーム数が落ちる。で、パッパッと2回振り向く動きをするのだけど、動きの速度自体は変わらないのだけど、フレーム数を落とすことによって、「振り向く」という動きが強調される。おそらく、普通にノーマル速度で出すと、役者が2度見する動きは特に引っ掛かることなく、素通りしてしまっただろう。しかしフレーム数を落とすことで、動きが誇張され、コミカルになる。
 こんなふうに、単純にフレーム数を落とすだけで抽象度が上がる。ニュアンスが変わる。このことにアメリカのアニメーターも気付き始めたのだろう。

 そうして抽象度を落として何を試みたのか……というと「インパクト重視の嘘の絵」を入れ込むこと。
 例えばこちら↓

 オオカミの顔面をグイッとカメラ手前に出して……

 プスを投げる!

 “リアルに”考えると、明らかにおかしい動き。インパクト重視の嘘の動きを入れ込む。こういう作画方法は、むしろフルコマではなく、リミテッドアニメで描いた方が活きる。
 まずフルコマで描くと、逆にこういう動きは違和感になる。なにしろ“動きとして繋がっていない動き”だから、おかしく感じるのは当たり前。次にフルコマにするとインパクト重視で作った絵が素通りしてしまう。『犬神家の一族』の例で見たように、フレーム数を落とすことで特定のポーズが誇張される。素早く動いても印象に残る。
 フレーム数を落とした方が実は表現の幅が広がるのだ。抽象度を上げた方が表現の自由度が上がる……という理屈だ。

 ただ、気持ちとして複雑なところもあって……。というのも、こういう原画の「決め絵」を活かす見せ方……というのは長らく日本のアニメの専売特許だった。とうとうアメリカのアニメに持って行かれたか……。
 アメリカ人というか、西洋白人の共通認識は、「動きは滑らかに繋がっていないとダメ」だった。キャラクターの口パクは完璧にぴったり合ってないと、違和感というか物語に集中できない。一方、日本のアニメはキャラクターの口の動きは基本3パターンで、概ね合っていればOK……という考え方。日本人は絵を「象徴」で考えるから、キャラクターが喋っているという象徴的な動きさえあれば、そこから情緒を読み取ることができる。一方、欧米白人はそれができない。
 ……だったのだけど、むしろフレーム数を落とすというやり方がこんなふうに受け入れられた、というのは明らかに日本のアニメの影響。かつてだったら、「こんなカクついた表現見てられない……」と言われたはずだが、そういう意見は皆無だった。日本のアニメが来るまで、「フレーム数を落としてアニメを作る」なんて思いつかなかったはずだ。
 ついに日本のアニメ手法も持って行かれたな……。というか、気付かれたか……。たぶん、この手法を採り入れるために、日本のアニメをコマ送りで研究したんだろう。
 日本のアニメは表現が凄いんだ……といつまでも言ってられないな……。

 では物語はどうなのか……というと……。どうなんだろう?
 まずプスには9つの命があった……なんて設定、今まであったかな……。『シュレック』シリーズを見たのはもうずいぶん前だったから覚えてない。「いきなり出てきた」という設定のように感じられて、なんとなく腑に落ちない。その上で「お前さんの命はあと1つだ」……と言われても。その重さが伝わらない。腑に落ちないまま、お話しが進んで行く。

 冒頭の巨人との戦いも、なんで出てきたのか……。そもそも何者? もしかして前作見なくちゃいけなかった? いや、前作は11年前なので関係ない。なんだかお話しが途中から始まった……という感覚で、ついていけない。

 オオカミとの戦いに恐怖を感じたプスは引退を決める。
 ほとんど平面のイラストのように見えるカット。印象的でいい絵だ。

 そこで「ごく普通の猫」としてママ・ルーナのお屋敷に住み込むことに。これがとりあえずの安住の地……ということになるが。
 ここでママ・ルーナとの関係性が一切掘り下げられない。印象としては「ただやってきただけ」。この屋敷にいてプスがどんな心情になったか……が描かれていない。
 その後、ふたたび冒険の旅に出るわけだが、特にためらいもなく、ふらっと旅に出てしまう。プス自身の本質がなにも変わっていない。ふたたび旅立つぞ……というとき、ママ・ルーナのお屋敷を振り返りさえしない。ここにやってきた、というプロットがただ「やってきた」というだけで有機的に機能していない。もはや必要なかったのでは? というくらい。果たしてプスは死の恐怖を感じて、本当に心折れてたのか?

 もう一つの疑問は、ママ・ルーナ、本当に猫好きか? 猫にとって環境がいいとはとても思えない。多頭崩壊しているように見える。猫の多さに対しトイレは一つしかないし、食べ物はいつも同じもの。猫だって同じものを食べれば栄養が偏る。しかも大きな器にザーッと入れるやり方をすると、力の強い乱暴者猫が独り占めしてしまう。お皿は猫ごとに分けた方がいい。それ以前に、ケンカしがちなネコがいたら、部屋を分けたほうがいい。
 猫好きの人の環境だとはとても思えない。制作者がたいして猫好きではないんじゃないか……と疑ってしまう。

 そんなママ・ルーナのお屋敷で出会うわんこ。……アメリカのアニメにありがちなキャラクターだ。どこのアニメにでも出てくるクローンキャラクターだ。

 しばらくして、ヒロインのキティ・フワフワーテが登場。黒白猫は可愛い。でもキャラクター自体はやっぱりありきたり。『シュレック』シリーズは「アンチ・ディズニー」から出発したはずなのに、ずいぶん保守的なキャラ造形だ。

 で、そのキティ相手に「目をキラキラ」させるプス……。いや、それ同族にやっても通用しないだろ。通用しないとわかっていることをやらせる……ということは、この定番のシーンをやりたかっただけ。お話しとしての意味づけが弱いので、「無意味なもの」を見せられているという気持ちになってしまう。

 出てくるキャラクターたちは可愛いのだけど、肝心のお話しが面白くない。まずプスの「9つの命」という設定にしても、今までそんな設定あったっけ? 設定が何となく腑に落ちない、キャラクター達の心情がわからない、掘り下げられもしない……そのままお話しが展開する。するとやっていることのすべてが薄っぺらく見えてしまう。それぞれのキャラクター達の動機付けが最初から最後まで薄く感じられてしまう。すると終局的なドラマに感動しない……ということになってしまう。
   9つの命をふたたび得るために、呪われた森に入っていくわけだけど、そこからのイメージもありきたりで……。こういうの、いろんな作品で見たような……。そこに何かしらの“驚き”があればよかったのだけど、最後まで何もないまま。表現上の新しい領域に踏み込んだ……とはいえるけど、物語上の新しさはこの映画の中には何もない。

 お話しは死の恐怖と闘いながら、死とは、生きる何か? という問いかけだが、そのテーマ設計自体は良いのだが、それが深まることはない。死神であるオオカミとの対峙に、「死と向き合うこと」というテーマが込められているはずだが、終局的に「それで良かったの?」という終わり方。果たしてこの物語を通じて、プスに成長はあったのだろうか……と疑問が残る。
 全体において、なにもかもが薄っぺらく、引っ掛かるところなく流れていってしまう。まるでディズニーランドのライドものを体験したような感じ。すべてのものが予定調和ですぃーっと流れて終わってしまう。果たして、この物語を経て本当に変化と呼べるものがあったのだろうか?
 どうしてこうも引っ掛かるのか……というとすべてプスの個人的問題に過ぎないから。プスはこれまで軽々しく自分の命を犠牲にしていたのだけど、そこに“後悔”がない。“責任”もない。「9つの命がある」ということに強い意味が与えられているように感じない。設定と物語の強い結びつきが感じられない。

 お話しは全面的に失敗しているけど、猫たちは可愛いし、アクションは確実に見応えがある。お話しのマイナス点くらいは回収するくらいのクオリティはある。そこだけに期待して見るぶんにはいいだろう。大衆人気だけは間違いなく高い1本だから。
 「長靴を履いた猫」は人気キャラクターだけど、ずいぶんお話しは簡単に作っちゃったな……。このテーマ設計であれば、もっと面白い作品にできたはずなのに。惜しい1本になってしまった。


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