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映画感想 スクリーム6

 レガシークエルの新しい教科書。

 『スクリーム』シリーズ6作目。前作は『スクリーム(2022)』とナンバリングが入ってなかったためにわかりづらかったが、今作は改めて『スクリーム6』となっている。ちゃんと前作もシリーズの中の1本に加えられている(だったら前作は『スクリーム5』にすれば良かったのに)。『スクリーム』の4作目と5作目が間に10年の空白があったが、今作は前作が劇場公開された数週間後に続編発表。その年の内に撮影が開始され、翌年3月に全米公開された。日本では劇場公開されず。
 今作ではシリーズで主演を務めていたシドニーを演じるネーヴ・キャンベルが出演していない。事情を要約すると、「屈辱的なギャラを提示されたために、抗議の意味をこめて出演を拒否した」……ということらしい。こういう時こそエージェントが間に入り、出演料交渉すべきなのに、なにをやっていたんだ……。後から言っても仕方がないが(抗議の意味を込めての出演拒否なので、後から出演料交渉してももう駄目だったかも知れないが)。
 実は出演者にまつわる問題は次回作にもすでに出ていて、まずジェナ・オルテガがドラマ撮影(『ウェンズデー』の第2期)とスケジュールが被ったために出演しない。さらに新シリーズの主演であるはずのメリッサ・バレラも出演しないかも知れない。そういう状態でプロジェクト進行してしまう映画会社はどうなんだ……という気がするが、この話はもしかしたら次回作の感想文の時にするかも知れない。
 監督は前作と同じくマット・ベティネッリ=オルビンとタイラー・ジレット。マット・ベティネッリ=オルビンの経歴を掘り下げると、実は異色のクリエイターだった。もともとはミュージシャンだったが、その後音楽ジャーナリストとなり、次に「ラジオ・サイエンス」というチームを作り映画制作を始めるようになった。タイラー・ジレットとはこの時からのコンビで、2011年に『チャド、マット&ロブ』をはじめに、2015年『サウスバンド』、2019年『レディ・オア・ノット』を発表し、それから2022年『スクリーム(2022)』の監督を務めた。マット・ベティネッリ=オルビンはすでにミュージシャンとしては引退しているが、2016年にかつてのバンド「リンク80」結成20周年記念コンサートが開催され、2公演でソールドアウトするくらいの人気を今でも保持している。
 音楽はブライアン・タイラー、撮影はブレット・ジュトキェヴィッチ……スタッフリストを見るとだいたい前作と同じ座組で構成されている。
 制作費は3500万ドルに対し、世界興行収入が1億6900万ドル。このシリーズで1億ドルを突破したのは2作目以来で、シリーズ最大の興行収入となった。映画批評集積サイトRotten tomatoでは批評家によるレビューが310件あり、肯定評価76%。一般レビューが91%。なかなかの高評価だ。ハリウッド批評家協会ミッドシーズン映画賞ホラー映画賞でノミネート。ちょっと変わった評価として、MTVムービー&TVアワードで「バトル賞」を受賞している。この辺りは後ほど触れましょう。

 それでは前半のストーリーを見ていきましょう。


 ニューヨークのとあるバー。そこで女性教師がパートナーを待っていた。出会い系サイトで知り合った男性で、今日初めてのデートだったが……その彼がなかなか現れない。しばらくして電話がかかってきた。いま向かっているところだが、道に迷ってすこし遅れる……という話だった。そのまま、お互いの仕事の話になる。女性教師は大学で映画学を教えていた。最近は20世紀のスラッシャー映画について教えているという。
「分析すると面白いのよ。お約束的な表現から当時の表現が分析できて……。マスクの犯人、いろんなルール、仲間と離れちゃ駄目、あと駄目なのが……セックス」
「あと電話に出るな」
「ええ、そういうこと」
 話は続くが、男性はやっぱり店を見つけられない。ちょっと店の外に出て手を振ってくれないか……と提案される。女性教師は言われたとおり店の外に出て、誘われるように近くの路地に入り――そこで殺害されてしまう。

 前作の惨劇を生き延びたサムは、ニューヨークに引っ越し、カウンセラーのもとに通っていた。しかし話があの惨劇に及び、その犯人をこの手で殺した……という話になると、カウンセラーは怯えてしまってセラピーを打ち切りにしてしまう。またか……サムはウンザリしてカウンセラーの元を去り、アパートへ戻る。
 アパートではウッズボローの惨劇を生き延びた仲間達と、さらに新しいルームメイトを加えて共同生活をしていた。サムが帰宅すると、妹のタラがいない。タラはどこに行ったの? 大学のパーティに行った。それを聞いて、サムはすぐに大学へ赴き、タラを強引に連れ戻す。
 ウッズボローから離れて1年……サムとタラの姉妹は今でも好奇の目で見られていた。ネットではあの事件の真犯人はサムだ――という根拠のない噂が流れて、姉妹は隠れるように過ごしている。周囲に対し過剰に警戒するサムに対し、タラは過保護になってしまったサムから解放されたい。サムとタラの関係性に亀裂が生まれていた。
 アパートに帰宅して静かに過ごしていると、とあるニュース番組が始まる。アパートの近いところで殺人事件だ。しかも被害者はタラが通っている大学の生徒。さらに事件現場からゴーストフェイスのマスクが発見される。それだけではない。事件現場からサムの証明書が発見され、「すぐに警察署まで来て欲しい」と要請されるのだった。


 ここまでで前半30分。サムとタラのその後が描かれ、事件が起きて警察署まで来てくれ……というところまでが前半パート。

 細かいところを見ていきましょう。

 冒頭、シリーズのお約束、電話のシーンから始まります。電話を受けたのはどうやら大学の先生のようだけど……先生、エロくないですか。こんな先生の授業なら、喜んで受けに行くけども……。
 でも電話に出た人は必ず「最初の犠牲者」になってしまいます。ああ、残念。
 その後……

 あれ? 最初から犯人の顔出しちゃうの?? 予想外の展開。
 『スクリーム』の歴史を遡ると、最初の『スクリーム』が劇場公開された時、すでにスラッシャー映画ブームは終了した後。ブーム終了した後に、そのジャンルを統括し、さらにそのもう一歩、違うなにかを提唱しはじめたのが『スクリーム』。スラッシャー映画のお約束を守りつつ、さらにもう一歩……が『スクリーム』。シリーズでやってきたお約束はなぞるけども、そのお約束から一歩飛び出す何かを提示する。シリーズの本質をよく理解しているといえる展開。

 それはともかく、前作で生存したメンバーはニューヨークへ引っ越し。ルームシェアをして、お互い助け合いながら過ごしていた。ルームシェアをしているメンバーには、今作からの新顔も。
 サムは仕事を2本掛け持ちして生活費を稼ぎ、タラはそのお金で大学へ通うけれども、警戒心が異常に強くなったサムの拘束が疎ましい……という状況。
 サムとタラの状況は平和的……とは言えなかった。というのも、前作でのウッズボローの事件、ネットでは「真犯人はサム説」が囁かれるようになり、それを信じる人からの嫌がらせを日々受け続けていた。あの事件から逃れるために都会へ……のつもりが、噂を信じる人々に毎日脅かされていた。

 そこで冒頭の殺人事件が起きる。本編となんの関係が……と思われそうだが、殺人事件はサム達が住むアパートのすぐ近所、タラやミンディが通う大学の先生。しかも現場にサムの証明書と例のゴーストフェイスが残されていた。1年前のウッズボローの事件と何か関連が……ここまでが冒頭の30分。

 警察署にはFBIがやってくるが……ん? 誰だっけ?
 2011年の『スクリーム4:ネクスト・ジェネレーション』に出演し、生存した人(ああ、私見てないわ)。カーヴィ・リードはあの事件の後、FBIになり、ゴーストフェイスに関係ありそうな事件を追っていた。ネットでウッズボロー事件について頻繁に書き込みしている2人について調査していたのだが、その2人が殺された……と聞いてやってきた。

 ゲイルも登場。シリーズ皆勤賞。まさかシドニーよりも出演回数が多くなるとは……。

 はい、ここまでで今作の登場人物は全員登場。だいたい40分くらいで前半パートがまとまっている。

 はい、オタクたち注目! 映画の話をするよ!

 登場人物(容疑者)が全員集まったところで今作の「語り」が始まる。『スクリーム』といえば「自己言及」。映画の中で「スラッシャー映画とは何か?」を語り、語ったとおりの内容を作品の中で踏襲し、さらにもう一歩違う何かをする……というのがこの作品だ。普通であれば評論誌の中でやっていることを作品の中で語り、提唱までやるのが『スクリーム』シリーズ。
 こういうのを「オタク的な言及」という言い方はされるけど、本当にオタク的であればただなぞるだけ、同じことを繰り返すだけで終わる。スラッシャー映画がマンネリに陥った理由とは、ジャンルを新しくするためにどうするべきか……そこまで提唱できているのは、オタク的なものを乗り越えたクリエイター的な意識を持っているから。オタク的に見えるものはただの偽装。

 それはさておき、何が語られているのか詳しく見てみよう。

ミンディ「まじ超絶ビビる状況だけど、アタシ的には名誉挽回のチャンスでもある。前回犯人外したから。おそらく誰かがレガシーがえり作品の続編を作ろうとしている。『スタブ1』の舞台はウッズボローで、『スタブ2』の舞台は大学だったよね。誰かが映画の真似をしようとしている。主人公は今や大学生になった。怪しげな新キャラ達が加わって容疑者と死者数が増えた。どれもこれも当てはまる。でもただの続編なら『スタブ2』と同じでいい。でもそんなわけないよ。もう誰もただの続編なんて作らない! これはフランチャイズだよ! それを続けて行くには、一定のルールがある!
ルールその1。すべて前作よりもビッグに! 制作予算もキャストも死人の数だってね。銃撃戦にチェイスに首切り! 集客には前作を上回らなくちゃ。
ルールその2。前作で起きたことの逆が起きるの。フランチャイズは予想を裏切らないと生き残れない。前作の犯人がSNSで映画を語るのに夢中なオタクだったわけだから、今回はそれとは真逆だと思う。
ルールその3。危ないのは全員。レガシーキャラも使い捨てにされちゃうの。ファンをつなぎ止めるために安易に出てきてもすぐに殺されるのよ。でも最悪なのはそこじゃないよ。最悪なのはね、フランチャイルズってただただ知的財産を殖やすためだけの、永遠と続く連作なの。となると、主要なキャラクター達も使い捨てなんだよ。ローリー・ストロード、ナンシー・トンプソン、エレン・リプリー、サリー・ハーデスティ、ジグソー、トニー・スタークにジェームズ・ボンドにルーク・スカイウォーカーまでも死んだ! フランチャイルズを作るためにね。死ぬのは友達グループだけじゃない。あたし達の誰もがいつ死ぬかわからないの。サムとタラは特にね」

 よく喋るお姉ちゃんだねぇ……。
 ここで何が語られているかというと、この後、この映画の中で何が起きるか……シリーズ映画のパターンから予想を立てている。そして実はミンディの語る内容は大枠で正解。この辺りは、実際の映画を見てのお楽しみ。
 前作の語りの中で、『スクリーム』は「レガシークエルだ」と語られていた。『スターウォーズ』や『ターミネーター』といった作品と同じく、数十年前に大ヒットしたシリーズ映画の再始動作品。傲慢にも『スターウォーズ』や『ターミネーター』と同列に語ったんだよね。まあ確かに『スクリーム』は一時代を築いたし、現在見事に新世代キャストでシリーズ再始動したから、外れてはいないわけだけど。
 そのレガシークエルの続編――というのが今回の作品だ、と自ら語っている。ところがレガシークエルの続編は難しい。例に挙げられた『スターウォーズ』は不評だったし、再始動する予定だった『ターミネーター:ニュー・フェイト』は1本で終了。『エイリアン』はリドリー・スコット監督自身でシリーズ再始動されたが、不評だったため、2作目で終了。映画表現に革命をもたらした『マトリックス レザレクションズ』もかつての生彩さはなかった。『ゴーストバスターズ:アフターライフ』もなんだか微妙……。
 こんなふうに、レガシークエルの続編の成功作品は実はかなり少ない。『猿の惑星』『ジュラシック・ワールド』『マッドマックス』それから『ハロウィン』シリーズもうまくいっている。成功作品はあるといえばあるけれども、それぞれで違ったことをしているので「成功の法則」といったものは見いだしにくい。ミンディが語るように、1作目でやったことのグレードを上げるだけで集客できるか……というのは怪しい。というかグレードを上げる……というのは『スクリーム2』でも語ってたような……?
 「成功の法則」とは言えないけど、単に観客の予想を裏切る、逆張り展開をやる……というだけではなく、それまでシリーズでやってきたことの可能性を拡張すること、「このシリーズはこういうものだ」というみんなの思い込みや「枠」を破壊し、さらに違った魅力を提示すること……ではないか、と言いたいけれども、それも自分で言ってみて「どうなんだろうか?」と考えてしまう。『スターウォーズ』の新シリーズはそれを目指した作品であるはずなのに、不評だった。シリーズの約束事を越えよう……と思ったけどそれは観客の望む方向ではなかった……ということはよくある話。シリーズの約束事を「深化」させるつもりが滑っちゃった……という作品の方が多いような気もする。シリーズの拡張は言うのは簡単だが、実現は難しい。シリーズクエルの続編に「成功の法則」なんて現時点であるのだろうか……?

 とにかくも、前半40分で容疑者は全員出そろっている。さて、殺人鬼は誰かな? ……という話し合いを見ていると、あっ、これって『人狼』だ、と気付く。誰かが嘘をついている。そういえば『スクリーム』って『人狼』的なお話しの作り方をしているなぁ……。

 ミンディの語りに続いて、ウェイン・ベイリー刑事とカーヴィ・リードの語りが続く。ミンディは「映画ジャンル」という大きな枠で事件について語ろうとしたが、2人の刑事はこの映画の中、設定の中で今回の事件がどういう内実なのか……を掘り下げている。2つの語りが続いている……というのがポイント。実は刑事の語りはミンディの語りを引き継いでいる。
 『スクリーム』シリーズで登場した殺人鬼は全員で9人。今作の殺人鬼は、なぜか過去の殺人鬼が持っていたゴーストフェイスを持っていって、犯行現場に必ずマスクを残していく。最新の事件にはじまり、1作ずつ遡ろうとしている。つまり、『スクリーム』シリーズの原典に還ろうとしている。
 事件について語っている場ではあるが、その一方で「シリーズクエルの続編は原点へ戻れ」と示唆しているようでもある。シリーズの原点をきちんと踏まえた上で深化せよ……という作品からのメッセージであるかのように感じられる。

 そうこうしているうちにゴーストフェイスから襲撃されます。サムとタラはとっさにコンビニに逃げ込むが……なんとゴーストフェイスがコンビニの中まで追いかけてきた!
 このシーンで「おや?」となる。ほとんどのスラッシャー映画は、殺人鬼が出現している時……その時、殺人鬼と被害者の間に目に見えない結界が現れる。たとえすぐ側に人がいても、殺人の瞬間は決して目撃されない……。殺人という行為は、どこか秘められた行為のように扱われる。
 それが今作では、群衆の中、堂々と殺戮が行われる。それどころか、妨害しようとした一般人を次々と殺す。その立ち回り方が格闘アクションとしてしっかり描かれている。
 あっ、これ今までのスラッシャー映画と違うわ。今までと違うものを作ろうとしているわ。

 その最初の襲撃シーンで気付いたことだけど……このカット。銃撃を受けて頭部破壊される一般人。その瞬間、なめ物で破壊される頭部を隠されている。あ、そういう気遣いするんだ。他にもナイフで刺される瞬間なども編集でカットされている(ただし、すでに刺された状態のものは出てくる)。

 撮り方も良い。ただ立っているだけでも存在感が出るように、光の当て方や構図が工夫されている。
 構図作りは前作よりも格段にグレードアップしたところ。あまりにも進化しているので、カメラマンが変更になったのかと思ったが、そうではない。ただ本気を出しただけ。

 秀逸なのは電車のシーン。ハロウィン当日なので、電車に乗るとゴーストフェイスを付けたやつがウヨウヨいる。ポイントは、ゴーストフェイスの中でも「こいつは大丈夫だろうな」というやつと、「こいつはヤバそうだ」というやつを配置関係だけで見せていること。ゴーストフェイスを付けながら喋ってるやつ、携帯電話を弄っているやつ……そういう中で、こんなふうにじっとこちらを見てくるやつが混じっている。こういうやつを、ただ編集にぽつぽつと混ぜているだけ。実際には何も起きていない状態が数分続く。それでも緊張感が高まる。うまい見せ方だ。

 今作の映画としてのポイントだけど、ゴーストフェイスから襲撃を受けるシーンが、ステージとしてきちんと練られている。コンビニのシーン、アパートのシーン……。シチュエーションがきちんと練られている。ホラー映画というか、アクション映画としてどのシーンもしっかり作られている。
 MTVムービーアワードで「バトル賞」に輝いたのがこちらのゲイルVSゴーストフェイスの戦闘シーン。このシーンに入った段階で「おや?」となる。もう明らかにセットがバトルステージとして作られちゃってる。このステージで、ゲイルが宿命的な対決をやる……確かにこのシーンは「燃えるシーン」。作中でも盛り上がりがピークになる場面。
 でも後で考えると……ホラー映画として緊張感があるか、というとなかったね。

 女優さんの撮り方も、明らかによくなっている。前作、新主人公としてメリッサ・バレラが登場したが、申し訳ないがぜんぜん美人には見えなかった。明らかに構図も照明も悪かった。それが今回はちゃんと美人に見える。女優の撮り方が変わってるから、スタッフが変わったのかと思ったが、そうじゃなくて本気出しただけ(ここは前作から本気を出して欲しかった)。

 ジェナ・オルテガは当然かわいい。こんなに可愛いのに、ホラー女優としての実績をどんどん積み上げていく。ハリウッドではかわいい見た目って、なかなかアピールの場がないのかな?

 シリーズで主演を務めてきたシドニーがいない本作……そこが引っ掛かるのだけど、それを差し引いても率直に面白い。場面設計がしっかり練られているから、どのシーンも見応えがある。エンタメ映画としてきちんと作られている。ホラー映画というより、ミステリとして作られているし、殺戮シーンがもはやアクション映画……という作りになっているので、ホラー映画が苦手……という人にもお勧めの一本。

 映画のシナリオを俯瞰して見ると、中盤から後半に向けて、シリーズの歴史を遡る……という作り方をしている。あちこちで殺戮が起きるわけだが、そのたびにシリーズの犯人の名前が1人1人挙げられていく。「レガシークエルの原点はなんだったのか?」それを意識させるようになっている。
 その一方で、細かいところでシリーズの定石外しをやっている。例えば冒頭の殺戮シーンの後、すぐに犯人の顔を出しちゃう。あっ、今回最初に犯人の顔を出すんだ……と、思わせておいて2段オチが用意されている。憎い作り方をしている。
 ミステリーがわからなくても問題ない。映像としてサプライズがあちこちに張り巡らされている。シチュエーション設計がよくできているから、ぼんやり見ていても楽しいはずだ。

 映画の中盤に「レガシークエルの続編をどう作るべきか」という討論があるが、シリーズと統括しつつ、逆張りをしつつ、原点へ戻る……。これを忠実に守りつつ、作品としてうまくいっている。もはや「スラッシャー映画とは?」を語る作品から、普遍的な「レガシークエルとは?」と語るということをはじめていて、そのレガシークエルの続編を意識的に狙って、しかもうまくいっている……かなり珍しい作品になっている。後々映画学校で教科書になりそうな作品だ。

 それからもう一つ……実はこの作品、サムの「覚醒」が描かれた作品でもある。冒頭のセラピストとの対話シーンで、前作で殺人を犯した時、「とてもシックリきた」と語る。その後、アパートの階段で1人で佇んでいるシーン、手前に窓ガラスが配置されていて、サムの姿がブレて映るようになっている。サムの内面に、隠されたもう一つの面があることを示唆している。
 で、クライマックス――サムはありえない立ち回りで殺人鬼に逆襲する。ここで一瞬「覚醒」している。将来、最強の殺人鬼になりえる存在……ということをここで予感させている。この伏線が、シリーズのどこで描かれるかわからないが。

 レガシークエルをどう延長するか。その提唱をして、見事シリーズ最大の収益を上げた本作。ではその新しいトリロジーをどう畳むのか……。すでに問題を抱えている次回作をどう乗り切るのかが見所でもある。


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