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映画感想 メッセージ

 本日の映画は『メッセージ』です。前にブログに書いたように、Netflixで観る予定でマイリストに放り込んでいたけれど、いつの間にか消えていた作品。それで仕方なくAmazon Prime Videoで視聴。まあ300円なんで安いものです。


 それで、内容についてだけど……これは困ったな。『マッドマックス』は全人類がすでに観ているはずの映画だからネタバレしても問題なかろう、という判断だったけれども、『メッセージ』はそうではない。『メッセージ』は一つ大きなネタがあって、そこから映画を組み上げる、という作り方をしているので、ネタバレを書いてはマズい。でもネタバレを書いてはならない、というルールを立てると、急に色んなものが書けなくなってしまう。
 なのでネタバレを避けようとして、ちょっと迂遠に感じる書き方をするけども、その辺りは観た人なら「ああ、あのことね」と思いながら読んでください。


 視聴環境についてだけど、こちらはあまり良くなかった。私の持っているモニターは光が均一じゃないので、画像が妙に薄らぼんやりする。見づらいので輝度・コントラストを上げてみたのだけど、今度はブロックノイズ出まくり。ネット回線の問題も関係してくる話だけど。こういうムードのいい画が出てくる映画の視聴は、だいぶきつかった。回線の強い環境でなければ、ブルーレイで視聴した方がいいでしょう。
 前置きはこれくらいで、それでは映画の感想です。

メッセージ 予告編

映画の感想

 最初のカット。薄暗い食卓が示され、お皿やグラスが用意されているけど無人。開放的な大きな窓の向こうには、湖を眺めることができる。庭の木のシルエットが窓のフレームと組み合わさって、なかなかいい画になっている。無人の食卓を見せることで、誰かの喪失があることが示唆されている。
 そこから母親と娘の映像が出てくる。母親と娘のホームビデオ的な穏やかな映像が続き、やがて時は進んで娘が病気で倒れ、この世を去る姿が描かれる。
 描かれるのは母と娘だけ。父親は? ここが一つのフックとなっている。
「でも時に流れがなかったら?」
 この意味深な問いかけを間に挟み、主人公ルイーズ・バンクスの現在の姿が描かれる。ここまででおよそ4分。

 場所は変わって大学。ルイーズ・バンクスは言語学の先生だ。大学へ行くとなんとなくざわざわとしている。ルイーズは気にせず、自分の受け持ちの教室へ行くが、生徒はわずか数人。しかも次々と携帯電話が鳴る。するとある生徒が、
「ニュースを付けてくれませんか?」
 ルイーズは言われるままに講義用モニターにニュース番組を映してみる。
 もうこの時点ですでにエイリアンは訪問していて、それでみんなざわざわしていたのだとわかる。
 しかし、エイリアンの船は画面に映し出されない。出てくるのはルイーズの顔クローズアップのみ。
 ここまでで映画がルイーズ1人の視点を通してのみ進行していくのだということがわかる。
 続いて学生達が帰宅し、ルイーズが帰宅する場面が描かれるが、抜けが悪い。視野の狭いカットが選ばれている。
 これがもしマイケル・ベイ監督だったらこれみよがしにパニックになる人々が描かれ、その次が軍のシーン、その次に出てくるのが大統領……ここまで矢継ぎ早に展開していくわけだけど、映画『メッセージ』あえて一つ一つのカットを長回しで、しかも視野の狭い構図で淡々と進行していく。ルイーズ一人の行動を追いかけていくだけで、その周辺で何が起きているのか、あえて何も描かない……という判断でお話が進んでいく。

 8分。ルイーズ・バンクスが自宅に戻る。わかりやすく、冒頭に出てきた湖が見える食卓の場面が出てくる。この豪邸にたった一人で住んでいる……ということが示される。あの娘は? 夫は?
 その後も映像に出てくるのはルイーズただ一人だけ。豪邸で一人きりで過ごし、大学へ行くが誰も来ておらず、たった一人のルイーズ。徹底してルイーズのみに視点が絞られている。あえて引っ掛かりを感じるようにも作られている。大きな豪邸なのに、孤独なルイーズ。娘と夫はどこ??
 『メッセージ』は確かにエイリアン訪問話だけど、ルイーズの視点のみで進行し、ルイーズがどう過ごしているか、どう感じたかだけが切り取られ、ほとんどルイーズの日常と独白だけで構築されていているようなプライベートフィルム的な映画だとわかってくる。お話が進んでくると、ルイーズの過去(?)の画がインサートされるようになり、映画がどんどんルイーズの心象に絞られていく。
 ここまでで予備知識なしで映画を見始めても、だいたいの人は心構えができてくる頃だろうと思う。視野の狭いカットに、長回しの画が続く。この映画にアクションはないのだな……ということを受け取るだろう。

 18分。エイリアンの宇宙戦登場。ようやく俯瞰の画が入り、映像の奥行きが一気に解放される。狭い画がずっと続いていたから、ここで開放的な画が出てきて、さらに奇妙な宇宙船の画が出てきて、観る側はハッとさせられる。ここで映画の空気感が変わり、次なるシーンに進んだことがわかる。
 この宇宙船登場シーンがいい画だ。広々とした平原に、側の山から吹き下ろしてくる霧が宇宙船の足下に被さっている。こう描くと宇宙船が雄大な自然の一つに感じられるし、その巨大さが、なにか超越したような“ものすごいものが来た”という雰囲気にさせてくれる。
 もしかしたら宇宙人達を“天使”という暗喩を持たせたかったから、このように、神秘的なイメージで表現したのかも知れない(これについては後述)。

 続いて宇宙船の中に入り、コンタクトを取る場面に入るのだが……そこに行くまでが長い。色んな場面が映し出され、なかなかお話が前に進まない。
 開始から30分。やっとエイリアンと接触するが、なんだかよくわからない。真っ暗な空間が出てきて、スクリーンの向こうは真っ白……。この空間は要するに映画館。映画館に行くと、スクリーンの向こう側にさらにスクリーンがある、という構図になる。エイリアン達がいるのはスクリーンのさらに向こう側ですよ。まだ私たちはエイリアンと同じステージにはいませんよ……という示唆だ。
 そのエイリアンは結局のところ姿が見えず、ぼやけたシルエットが見えたところでカット。次のシーンへ移ってしまう。
 これはルイーズの意識がそこから飛んだから。もうそれ以降はよく覚えていない……という表現。SAN値チェックのシーンだ。ここでもルイーズの意識に視点が徹底されている。

 その後、やっとエイリアンの姿が映し出されるが、どう見てもタコ。7本の触腕で立ち、泳ぐ姿もタコ。触腕の先端が開いて字を書くわけだけど、墨で文字を書いてしまう。やっぱりタコだ。
 これはギャグだったのかな……。「エイリアンといえばタコのお化け」という昔ながらのイメージをわざわざ今時代に持ってきてしまう。今もってタコの化け物が西洋にとってもっとも恐ろしいイメージの源イメージなんだな……。日本ではタコは食い物でしかないけど。

 続いてエイリアンと筆記での交流が始まる。文字と文字なら交流可能と判明し、ようやくお話が進むようになる。
 このエイリアン(ヘプタポッドと名付けられる)の文字というのが円を描いたものというのが示唆的。(詳しく語れないが)この図形が後の伏線になっている。
 またルイーズの娘ハンナ(HANNAH)も前からも後ろからも読めるようになっている。始まりと終わりが同じ。この映画の一貫するテーマと繋がる。どういうことなのかは、ここから先、語れないけども。
 この文字については私はよくわからなかったが、ちゃんと理にかなった意味があるのでしょう。このあたりの解説はわかる人たちに委ねましょう。

 始まってから50分ほど。ヘプタポッドとの文字交流が始まったあたりで、ルイーズは奇妙なイメージを観るようになる。幼女の姿が頭の中に浮かぶ――それも「想像の画」というよりは「自分の記憶の画」。しかしそれはルイーズの頭の中だけで起きたことで、人に伝えるわけにはいかないし、なんだかわからないままお話が進む。映画を観る側としては、インサートされる映像が「回想」に見えるよう編集を組み立てている。
 この幼女の映像というのが断片的で、あえて意味がわからない・意味があるのかわからない画として作られている。むしろそういうふうに作ることで作品のフックとなっている。さらに幼女のインサートカットは意図的に“ノイズ”と感じられるように挟み込まれ、さらにフックとしての力を増している。
 ここで映画が当初からルイーズの視点や意識に集中していったことに意味が出てくる。ルイーズの視点のみで進行しているから、“意識の画”がインサートされるようになっていっても、展開に不自然さを感じさせない。

 映画は進行していき、ニュース映像を通して世界が混乱していく様子が描かれていく。
 しかしエイリアンは何もしていない。“何もやっていない”というのがポイント。ただやってきただけだ。ただそれだけで人々は恐慌状態に陥り、暴徒になってお店の襲撃をやったりする。
 上層部でも次第に国同士の混乱、特に左側世界の対立が浮上してくるようになってくる。
 こういうところは、ある意味の人間のおかしみというべきところか……。映画『パトレイバー2』ではミサイルが1発撃ち込まれ、以降、ほとんど何もしていないのに事態が進行していき、勝手に厳戒態勢に陥っていく様が描かれたが、『メッセージ』では世界スケールで同じような状況に陥る様を描いている。人は不安状態に追い込まれると、イデオロギーのお話にしようとする。いや、イデオロギーにすがりつこうとする。ここまで穏やかで、戦闘シーンなんて1カットもないような映画でも、人は勝手に闘争の切っ掛けを見いだしてしまう。
 ああ、実際にエイリアンが来たら、こうなるだろうな……。平和的に対話しているだけのはずなのに、なぜか戦争することになっちゃうんだろうな……。だからエイリアンは地球に来ないのかも知れない。
 とこういうことをしみじみと考えてしまった。

 この映画を読み解くポイントは、ちょうど1時間ほどのところに入ってくるルイーズとイアンのある対話の中にある。
イアン「外国語を学ぶと 考え方が変わるって」
ルイーズ「サピア=ウォーフの仮説ね。つまり、“思考は話す言語で形成される”」
イアン「ものの見方にも影響してくる。君は彼らの言語で夢を見る?
ルイーズ「何度か見た でも……仕事に影響はないわ」

 「サピア=ウォーフの仮説」は実際にWikipediaにあるので、解説はそちらで読んでいただくとしよう。
サピア=ウォーフの仮説

 この対話は映画のちょうど真ん中当たり、というのはここから映画の転換が起きますよ、ということになる。ここでこの対話をする、ということは相応の意味があるのだと思ってもらってよい。これはただの対話シーンではなく、転換の契機を示す対話だ。

 思考は言語に引きずられる……というのは本当の話で、どういう言語を備えているかで考え方の偏りが生まれるし、より幅広い思考を巡らせようとしたら当然そのぶん多くの言語が必要となる。世間では「知識がない方が自由に物事を考えられる」という意見はあるが、あれは大嘘。そんなわけがない。新しい考えを得るためには新しい知識が必要だし、その知識は言葉によってもたらされる。

 ずいぶん前に読んだ本の内容をうろ覚えで書くが、「中国語は論争の言葉。中国語で議論をすると喧嘩になるので、日本語を知っている場合は日本語で議論をする」。
 この話を読んだ後、街で中国人2人がなにげなく喋っている場面に遭遇したのだが、おそらく普通の日常会話をしていたのだと思うが、聞いていると喧嘩をしているようにしか聞こえなかった。中国語は普通に喋っていても勢いが強い、攻撃的に聞こえてしまう。あの様子を見て、「なるほど、確かに中国語は論争の言語だ」と納得した記憶がある。
 言語の問題を言うと、「同じ言葉が同じものを指し示すわけではない」という問題。
 私たちに身近な話でいうと「漫画=Comic」。日本人は「Comic」といえば「漫画」を英訳したもの、と思い込んでいるが、世界的には「漫画」と「Comic」は別のものを指す。「MANGA・ANIME」といえば日本産の漫画・アニメ、あるいは日本風スタイルの漫画・アニメを限定して指す。だから「米国作家によるMANGA」というのも実際存在し、海外の日本をテーマにしたアニメイベントで「米国発MANGA」のコスプレが流行っていたりすることもある。

 そうそう、前から思っていることだが、「かわいい=Cute」も違うと思う。というのもアメリカのドキュメンタリーで「猫コンテスト」をテーマにしたものを見たことがあるのだが、出てくる猫がまったく可愛くない。ことごとく目つきが悪い。ものすごく野性味のある怖い目つきをしていて、そういう猫を「Cute! Cute!」といったりする。日本人が思う可愛い猫といったら、目が大きく丸くなっている猫じゃないだろうか。
 それ以外にも、アメリカで「Cute!」と呼ばれているものを見ると、日本人感覚で「?」というものはわりと多い。「感性の違い」というのもあるが、「かわいい=Cute」は指し示している感慨、印象は少し違うんじゃないか……と考えている。
 言語には背景にある歴史や民族観というものが必ずあり、同じものを指しているようで少しずつニュアンスが違う。言語を学ぶことは、相手文化の考え方を知ることでもある。

 それで映画を遡っていくと、ルイーズはヘプタポッドの言語を学び始めたタイミングで幼女のイメージを見るようになる。ここが大事なポイント。ヘプタポッドの言語を知ったから幼女のイメージを見るようになった。
 これはルイーズが始まりも終わりもないヘプタポッドの言語を知り、ヘプタポッドの言語的に物事を考えるようになりかけたから。でも学び始めだから、頭の中に浮かんでくるイメージが断片的で、意味のわからないものになっている。だからあえて、インサートカットをノイズっぽい描き方をしている。
 ヘプタポッドにとっては時間は1方向に一定速度で流れるものではなく、ずっと円を描いているように感じられるもの。それはタイムリープとかそういうものではなく、そういう意識を持って物事を見ているから。そういう意識を持っているから、未来や過去が見えるようになる……というのはトンデモな話だけど、『メッセージ』はそういうSFとして描いている(SFは仮定の話をするものです)。その意識は言語の中に込められている(だからヘプタポッドの言語は円を描く)。
 ルイーズはその言語を学び始めたから、次第に、後半へ行くほど克明に、あるいは自覚的に様々なイメージを見るようになっていく。

 これはある意味ギフト(異能力)を授かる物語でもあるのだけど、それが「言語」という発想が面白い。言語を読み解き、言語を使うことでギフトを使いこなせるようになる。
 SF的な物語として描かれているから、やや難解に感じられるのだが、舞台がファンタジーで魔法を授かるお話、と転換していくとわかりやすいだろう。魔法言語を授かるけど、最初は読めない。しかし読み解くことでその魔法を使えるようになる……。ライトノベル作家なら飛びつきそうなネタだ。「異能力を授かるお話」だったわけだから。
 そのギフトを授ける存在が、空からやってきた何者か……というところでちょっとキリスト教的かな、という気もした。西洋人の観念からすると、ギフトを授けるのは空からやってきた何か、だから。ヘプタポッドはある種の“天使”だ(見た目がタコだけど)。宇宙船が登場してくるカットを神秘的に見えるように描かれていたのは、こういうところかも知れない。
 これが現代の日本人が描くと「異世界転生」になる。現代日本人にとって、“異世界”が空からとか地中からとかではなく、“異世界”というカテゴライズされた世界しかないからだ。“異世界”のイメージを私たちが持っていないから、そういうふうにしか発想できないんだよね(これは現代人が、というより、民族的に、という意味で)。

 最終的にルイーズは言語に込められたギフトを使い、大きな問題を解決するようになる。
 ここで一つの引っ掛かりとしてなぜその能力をルイーズだけが使えたのか? 一緒にいたイアンは? その他の国の研究者は、そこまで行き着かなかったのか? また未来の人々はこの力を誰もが使えるようになったのか……。“いつ異能を授かったのか?”がわからなかった。
 ここは私もよく理解していないけども……まずルイーズが言語学者だったこと。ヘプタポッドと直接接触を持ったこと。スクリーンにヘプタポッドの墨文字を描いてみせた、描いてみせたから使いこなせるようになった……ということかも知れない。このどれが一番の切っ掛けになったのか、私もうまく読み取れなかった。
 それで映像を見ていて気付くが、ルイーズの娘も過去と現在を見通す能力(千里眼)が備わっていることも示唆されている。言語もさほど多く知らないはずの娘・ハンナも幼い頃から千里眼の能力が備わっている。ということはやはりルイーズのみに授かり、その能力は子へと受け継がれていくものらしい。

 まとめとして。
 「エイリアンとの接触」を題材としながら、最終的には「娘と母親」という小さな、パーソナルな物語に収斂していく。似たようなお話を連想すると、ロバート・ゼメキス監督『コンタクト』がある。こちらも一見大がかりな「エイリアンとの接触」のお話を作りながら、最終的に「娘と父親」という小さな物語に収斂させていた。
 これは落とし所をどこにもっていくのか。ドラマとして何を感じてもらうのか、にかかってくる。遠大なSFのイメージを展開しても、見る人を置いてけぼりにしてしまう。そうじゃなくて、誰にでもわかるお話、誰でも共感できるお話、で考えていくと「娘と母親」という普遍的な家族の物語が出てくる。『スターウォーズ』がそうだけど、誰にでも理解できるような身近に感じられるテーマを一つ置いておく、というのが大事だ。
 要はどうやってそこに結びつけるのか。はっきりいえばルイーズの娘のお話は本筋と関係がない。一番関係があったのは、中国の要人との対話。物語を読み解くだけなら、中国の要人だけのお話を描けばいいのだけど、あえて娘のイメージを持ってくる。いったいあの娘は何なのか? 娘の父親は誰なのか? それを解き明かすことが物語の最終的な旗印にして、そここそ大きなクライマックスとして映画を組み立てている。

 結局のところは「娘は誰か?」「父親は誰か?」それだけを描いた映画でしかない。だがそこまでをゆっくり時間をかけて、一つ一つ読み解いていくことに作品の面白さが出ている。
 それに映像の良さ。ずっとルイーズの目線のみでお話が展開していく。出てくる人物はほとんどフルサイズにならない。ルイーズの目線で描いているから、視野が狭い。見ている側もじわじわとルイーズの目線へ意識が傾いていき、共感するようになっていく。
 一方、ルイーズのイメージ世界がやたらと美しく、幻想的で、現在の世界とはっきり違うように描かれている。これが最終的にはイメージの世界と現実の世界が結びつき、暗く沈んだ世界から華やかな世界へとルイーズが踏み込んでいく。結婚して娘が生まれて幸福な世界へ行く、という過程が映像で表現されている。映画のラストでイアンと抱き合う場面で光が差し込み、幸福な世界へ踏み込んだ、ということがわかるように作られている。ここに映画のドラマが集約されるようにできている。それがいい。

 ただ、私はAmazon Prime Videoの配信で見たのだけど、繊細な色の差がうまく表現されず、ブロックノイズとして出てしまったのが残念。『メッセージ』は繊細な絵作りのシーンが多いので、配信では画がうまく表示できない。きちんとした画面で見たい人はブルーレイでの視聴をお勧めする。


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