映画感想 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令
『シン・ウルトラマン』Amazon Prime Video公開とともに、何を血迷ったか同時に公開された作品が庵野秀明監督・主演の自主映画『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』である。『シン・ウルトラマン』の前作があるとしたら、この作品ということになる。
本作は1983年に開催された日本SF大会『DAICON4』のプロモーションとして制作された作品で、基本的には大学生が制作したビデオなので、低予算で市販の8ミリフィルムで撮影されている。さらにTBSならびに円谷プロからは一切許諾を得ないパロディ作品だ。それをVHSとして販売したことにはかつて一悶着あったと言われている。
無許可で制作していたために円谷プロから販売中止に追い込まれていた作品が40年の時を経て「公式のウルトラマン」として最新作『シン・ウルトラマン』とともにネット公開される……。当時の制作者としての感慨は大きいものだろう。
作品のコンセプトはパロディだけど本気でパロディを作ったらどうなるか? その当時、『ウルトラマン』や『仮面ライダー』の素人制作パロディムービーはすでにたくさん作られていたが、そのどれも「逃げ」があった。素人制作だから予算も技術もないから、いかにもな「パロディですよ」というおふざけを入れて批評から逃れようとしていた。
そういう逃げは一切せず、金も技術のない素人がガチでガチガチに作ったらどんな作品になるのか。
もう一つ、企画の第1にあったのは、庵野秀明自身がウルトラマンとして登場すること。ウルトラマンスーツを着ることなく、本人がそのままの姿で登場したら? ウインドブレーカーにウルトラマンの模様をスプレーで雑に入れて、ジーンズ、スニーカー、軍手……というもはやふざけた作り。変身に使う「ウルトラアイ」はただの黒縁メガネ。完全におふざけのギャグシーンだ。
どう見てももじゃもじゃ頭でメガネの冴えない若者……。でもそれが「ギャグにならない状況」というのはどんな状況であるのか? そんなウルトラマンが出てくることを第一において、どうやったらそんな物語を成立し得るのか、周囲を固めていく形で脚本が構想されていった。
では本編ストーリーを見ていこう。
突如ヒラツネ市に隕石落下! 街は一瞬にして崩壊してしまった。地球防衛機構所属・怪獣攻撃隊MATはただちに調査を開始する!
電算室がコンピューターシミュレーションによって被害状況を測定すると、隕石の大きさに対して質量が妙に低いことに気付く。隕石のサイズは直径60メートルで質量130キロトン。隕石は岩石の塊であるはずだから、もっと重さがあるはず……。
隕石の正体は怪物を封じ込めたカプセルだった! 間もなく隕石の中からのそりと出てきた怪物が、まだ生存者のいるヒラツネ市を中心に暴れ始める。
地球防衛機構隊員はただちに戦闘機で出動。怪獣の駆除にあたるのだが、怪獣はあらゆる攻撃をシールドで防いでしまう。バルカン砲、レーザー砲、ナパーム弾……どの攻撃も怪獣には効果がなく、ただむやみに被害を広げてしまうだけだった。
万策尽きた地球防衛軍参謀は、怪獣駆除のために熱核兵器の使用を決定してしまう。
核兵器なんかが使用されたら、怪獣だけでもその周辺の都市、さらに自然環境にまで甚大な被害を与えてしまう……。
ハヤカワ隊員は仲間達の制止を振り切り、ウルトラアイを装着して飛び出すのだった!
その瞬間、ハヤカワ隊員の姿がウルトラマンに……いや庵野秀明に!
巨大化した庵野秀明が怪獣と向き合う! 果たして庵野秀明は怪獣に勝てるのか! 核兵器の使用を防げるのか!! がんばれ庵野秀明! 日本の運命は君にかかっている!!!
ってな話。
今からおよそ40年前の制作で、予算も技術もない若者が8ミリフィルムで制作したビデオだ。今の時代に見ると画質や音声がなかなか厳しい。特に音声はどうにか台詞が聞き取れる……という状態。音声収録に難ありなのだけど、それ以上に出てくる役者がみんな棒読み演技で、何を言っているのか聞き取りづらい。
ミニチュア特撮が出てくるのだが、大学生がバイトで稼げる程度の予算しか出てないので、極めてチープ。建物や戦闘機などは紙だろうか? ミニチュアです、という質感を隠さず、いや隠しようもないので、どうにもならな素朴感が出てしまっている。
ただ造形のレベルが低いか……というとそんなことはない。ショボいと言えばショボいのだけど、ディテールにはこだわっている。崩れる家屋の中まで作り込んでいる。細かい家具やポスターも貼ってある。予算はないけど、やはり後にガイナックスを設立するメンバーが作っているだけあって、作っているもののディテールや破壊描写には「おおっ」と驚かせるものがある。
映画の後半は地獄の外ロケ。どう見ても「その辺の通り」で撮影が敢行される(どんな羞恥プレイだ)。この外ロケのシーン、全員の口パクがズレているし、表情と声のトーンも合っていない。さては音声収録ができず、アフレコにしたな。まあどう見ても普通の住宅街の通りなので、声を張るわけには行かなかったのだろう。
シナリオはごくシンプルで怪物が出た、防衛隊が駆除に乗り出すけれども戦闘機の攻撃はまったく歯が立たない。じゃあ核兵器だ! いや、核兵器を使わせるわけには行かない……という経緯でウルトラマンが出てくる。
まずこの時代のエンタメに核兵器が出てくることが驚き。エンタメの世界に「原子炉」は出てくることはあったのだけど……例えば鉄腕アトムやドラえもんの動力源は小型原子炉という設定だった(最近では原子炉設定は消えてしまっている)。原子核の平和利用に関する話は漫画やアニメは積極的に描いてきたけれども、核兵器として出す……というのはタブー扱いだった。
後に制作されることになる『エヴァンゲリオン』に出てくるN2機雷は核兵器のことだけれども、その名称はテレビ放送では使えないので、「N2機雷」という言葉が新たに作られた。
エンタメ世界においてなんとなくタブー扱いされていた核兵器が当たり前のように出てくる世界。そこで「核兵器を使用させまい」という理由でウルトラマンが登場してくる……という展開。これが40年経ったいま見ても新鮮な驚きがある。
ここでちらっと『シン・ウルトラマン』とのリンクが出てくる。『シン・ウルトラマン』の世界では、ウルトラマンは核兵器よりも安全で使い勝手のいい兵器だ。防衛力に問題のある日本は、外星人からの明らかに不利な条約を突きつけられているのに、その力が欲しくてホイホイと手を結んでしまう。
現実世界において「アルティマウェポン」となっている核兵器は、最強だけど使ったら最後、ありとあらゆる被害を後の世界にもたらしてしまう。核ミサイルを落とした場所はその後100年間呪われた土地になるし、放射能は風に吹き飛ばされて周辺国にも重大な被害をもたらす。人間、自然、土地そのものすべてを汚染する。1発の核ミサイルでどれだけの被害が世界中に広まるか想定もできない。
使ったらその土地が吹っ飛ぶし、放射能が風に吹かれて自国にも影響を与えかねないし、しかも使ったらその時点でその国は世界の連携から外されてしまう。
しかし現状の世界情勢は、平和維持のために核兵器を所有し、「使うぞ、使うぞ、使うかも知んないぞ」という気配を漂わせていかねばならない。日本の周辺国には北朝鮮というキ○ガイ国家があるのだが、北朝鮮には資源なし、技術なし、他国に誇れる文化もなし。核ミサイルしか外交カードを持ってないから、いつもちょっと「頭がおかしい」フリをして、核ミサイルを使うかも知れないぞ……というのを戦略的にやっている(北朝鮮は本当に頭がおかしい可能性もある)。
ウルトラマンはある意味、核ミサイルに勝てるかも知れない兵器でもある。核ミサイルほど強くないかも知れないが、核ミサイルほどの甚大な被害を及ぼすことなく、局地的にその場所を制圧してくれる。使い勝手やコストという面ではウルトラマンのほうがはるかに扱いが楽。たとえその足元に、局所的な被害を出していたとしてもだ。
『帰ってきたウルトラマン』では核ミサイルを使わせないために、核兵器以外の力ではどうにもならない怪獣を駆除するためにウルトラマンが登場してくる。「怪獣による被害を広げないため」ではなく、人間と政府に「核ミサイルを使わせないため」というのがウルトラマン登場の動機になっている。こうした展開はエンタメ世界ではタブーになっているから、なかなか見られないし、この設計のおかげで緊張感ある物語になっている。
『シン・ウルトラマン』では電気・核廃棄場が狙われるようになって慌てるようにウルトラマンが登場してきたが、ウルトラマンが登場してくる動機のようなものは共通している。
そこにイブキ隊員とその息子シンゴの物語が「人情」の部分を支えている。映像はチープだけれど、しかしよく作ってるなぁ……と感心してしまう。そこはさすがの岡田斗司夫脚本。
もう一つ気付いたのは「構図」。冒頭、たぶん大坂らしき街の様子が点々と流れるのだが、どう見ても庵野秀明カット。電柱を見上げるカット、パースキツめに車を捉えるカット、やたらとゴチャゴチャしたものを林立させるカット……どれも庵野秀明構図だ。『シン・ウルトラマン』よりこっちのほうが庵野秀明的な画面が出てくる。
地球防衛隊司令室の様子を見ても、なにかと人物手前になめ物を置くし、赤く発光する照明を斜め下から捉える構図があるし……。『エヴァンゲリオン』を連想させる構図が一杯。庵野秀明センスの基礎ってこの頃にはもうできあがっていたんだな……。庵野秀明センスが40年前と変わってなくて、あそこで見たものが40年刷新して洗練させ続けているのだと気付かされる。
ビデオの後半は、ウルトラマン……いや庵野秀明が巨大化して登場してくる。この場面は登場前からひどくて、ハヤカワ隊員がどう見てもただの黒縁メガネでしかないものを手にしている様子を見て「お、おい……」となってしまう。
その黒縁メガネを装着した瞬間、イケメンがもじゃもじゃ頭の冴えない若者になって巨大化!
どう見てもギャグシーンなのだけど、驚くことにここまでくるとギャグになっていない。なぜか見ているこちら側に、「巨大化したもじゃもじゃ頭の若者」を受け入れる体勢になっている。そしてその「巨大化したもじゃもじゃ頭の若者」がミニチュアセットの上で暴れ回っている様子を、感心するような気持ちで眺めてしまう。
笑える……という感慨ではなく、よくできているなぁ……という気持ちで。実際、ここがよくできているんだ。破壊描写やアクションがかなり堂に入っている。「え?」という気持ちは一瞬あるんだけど、それを消し飛ばす勢いで破壊描写がしっかりしている。
パロディだけどギャグではなく、本気でやる。こんな奇妙な試みがうまくいっていることに驚きだ。
ただし、実は制作の後半、庵野秀明はどうやら監督から解任されたらしく……。というのも、この頃から庵野秀明の手は遅く、なかなか成果物をあげてこない。それでとうとう、大学の撮影グループから追い出されてしまったとか……。
「心が弱い」という弱点もこの頃からだった。
40年前の大学生が、自分たちでできる範囲のもので精一杯頑張って作ったのがこのビデオだ。クオリティ面ではかなり苦しいところはある一方、「明らかにこれはその辺の大学生の作ったものじゃないな」というものも出てくる。若者達の持っているポテンシャルの高さとツールが見合っていない。そこでどことなく奇妙な風合いの作品になっている。
(ある意味、『巨神兵東京に現る』の前身のような作品でもある)
とにかく金がまったくない、良いモノが手に入らない……そうした中でもクオリティを高めてやろう……という力一杯のあがきがビデオの全面に現れてきている。そこから感じられるのはなんともいえない情熱。パロディ映画だからって誰1人冷めた目で作っていない。素人俳優の演技もド下手クソなのだけど、冷めた気持ちでやってない。できる範囲で本気を出している。全員が本気の情熱を燃やして作っている。
そうやって作ったモノはやっぱり商品としてかなりギリギリなものに過ぎないのだけど、見ているとなんだか胸が熱くなる。ああ、こういう情熱、忘れちゃいかんな……。そんな気持ちを思い起こさせてくれる、そういう意味では良い鑑賞体験だった。
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