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映画感想 グレイマン

 Netflixの困ったこと……といえばマイリストの中身がぜんぜん減らないことで……。例えば3本の映画を観て、マイリストから消すでしょう? するとなぜか5本増えているんだ……。怖いでしょう? オススメされるたびにマイリストを増やすから、永遠にすべてを消化しきれないんだ。いったいいつになったら全て消化し終えるのやら。

 今回の作品もNetflixに発表されたときにすぐ入れたんだけど、今になってやっと視聴。『グレイマン』は2009年に出版されたマーク・グリーニーの小説『暗殺者グレイマン』を原作にした作品。監督はアンソニー・ルッソ&ジョー・ルッソ兄弟。ルッソ兄弟といえばご存じ『アベンジャーズ』を大成功に導いた2人。私はまだ見てないけど……。『アベンジャーズ/エンドゲーム』の後、ルッソ兄弟はマーベル映画から離れて、様々な映画に挑戦している。そのうちの1本がこの作品『グレイマン』。
 発表は2022年7月15日。1週間だけ北米で劇場公開され、それ以降はNetflixにて全世界配信となった。1週間の劇場公開でいくら稼いだかデータがないのだが、30万ドルから37万ドルほどを稼いだだろう……と推定されている。
 ネット配信ってどれだけ儲かるか私にはよくわからないのだが、本作の制作費は2億ドル。こんな短い期間の劇場公開と配信だけで予算を回収できるのかどうかはよくわからない。
 同年7月22日Netflix配信に切り替わり、最初の3日間で8855万時間ストリーミングされた。9月までに合計2億5380万時間視聴。……この数字が凄いのかどうか、どうにもピンと来ない……というのが配信の難しいところ。
 映画批評集積サイトRotten Tomatoesでは46%が肯定的評価、平均点は5.6点。やや厳しめの評価となっている。結構面白かったんだけどなぁ……。みんな手厳しい。

 では前半部分のあらすじを見ていこう。


 場所は2003年のフロリダ州立刑務所。そこに収監されている1人の若者がいた。若者のもとにD・フィッツロイと名乗る男がやってくる。
「コートランド・ジェントリー。1980年生まれ。1995年に収監。2031年に仮釈放予定……。先は長そうだな。君を出してやる。私がここを出るときは、君も一緒だ」
 その条件とはCIAの工作員となり、働くこと。精鋭部隊シエラ・プログラムに所属して見えない存在である「グレイマン」となることだった。

 それから18年後。
 バンコクのそのお屋敷ではパーティで賑わっていた。主人公シエラ・シックスはパーティの中にいてその一時を楽しんでいた。そこに1人の美女がやってくる。
「パーティ開始よ」
 仕事だ。シックスは指令通り秘密の部屋に入り、武器を受け取り、標的を狙う。
 しかし標的との線上に子供が割り込んできた。無線からはCIA本部長のデニー・カーマイケルが「早くその男を殺せ!」とせっついてくる。
 シックスはあの場では殺せない……と断念する。CIA本部の指示を無視して、標的に自ら接近し、直接対決を挑む。
 シックスは標的を制圧し、銃を突きつける。しかしその標的はこう言う。
「俺はシエラ・フォーだ。指令は身内殺しだ。カーマイケルはクソ野郎だ。次はお前だぞ。これを受け取れ。こいつであのクソ野郎を潰すんだ」
 シエラ・フォー……つまりシックスと同じシエラ部隊の1人。シックスはフォーが差し出したペンダントを受け取り、その場を去るのだった。
 すぐにカーマイケルから電話がかかってきた。「遺体から回収して、私に渡したいものがあるんじゃないか?」……その言い方にシックスは不審なものを感じて、件のペンダントを手に入れたことを秘匿し、その場から去って行く。
 ペンダントの中身はメモリーチップだ。しかしその中はパスワードに阻まれて閲覧できない。
 シックスは恩師であるフィッツロイと連絡し、バンコクから脱出するための飛行機を手配してもらう。
 カーマイケルは先の電話でシックスに勘づかれたことを察し、友人のロイドと連絡を取る。
 ロイドは元CIAだったが常軌を逸した破壊活動や非人道的な拷問でクビになり、民間に移って半ば趣味的な活動を続けている男だった。ロイドは噂に聞いていた手練れシエラ・シックスと対決ができると喜んで仕事を引き受ける。
 しかしシックスは姿を隠すことに関しては一流……どうやってやつをおびき出すか。ロイドはシックスとフィッツロイの関係に注目し、その姪であるクレアを誘拐する。


 ここまでの前提となる設定を解説し終えるまでに25分。見せ場となるアクションをふんだんに盛り込みつつ、手際よくストーリーを進行させている。実はルッソ兄弟の作品を見るのは初めてだけど、前半シーンだけでも手腕の高さがよくわかる。
 まずシエラ・フォーから受け取ったペンダント……というのは映画用語でいうところの「マクガフィン」だね。登場人物を動機付けさせるために用いられる特殊アイテムのことであって、それを手に入れるためのドラマが本質であって、それそのものには“特に意味はない”……というもの。
 本作でもシックスがマクガフィンであるペンダントを受け取った、それを切っ掛けにCIAから狙われ、あらゆる刺客から攻撃されるようになる……という切っ掛けとなるアイテムであって、その中身自体は物語進行からいってどうでもいい。理由付けとして最低限説得力さえあればいい。
 件のペンダントの中にはメモリーチップが一つ入っていて、その中にはどうやらCIA現本部長カーマイケルを追い込むための何かが記録されているらしい。それを手にしたためにCIAから狙われるようになった……というのが前半のあらすじ。
 それはそうとして、このカーマイケルってオッサン、なぜか時々爆笑問題の太田光に見えるんだ。別に似てないのにな……。
(ある場面で画面を止めてトイレへ行き、戻ってきて改めて止まっている画面を見ると……どういうわけか太田光に見えてしまった。それで以降、ずっと太田光にしか見るえなくなってしまった)

 前半の展開はここまでで、33分から40分あたりまで2年前のお話しに遡っていく。しばらく落ち着いたシーンに入るのでアクションはお預け。
 こうしたアクション映画の定石だけど、アクションとアクションの幕間にある対話シーンにどんな意味があるかというと、主人公の背景設定について解説される。ここのパートが次のドラマを作るための準備期間・解説のシーンとなっている。
 お話しは2年前、フィッツロイの姪であるクレア(めっさ可愛い!!)を護衛するための任務を命ぜられる場面が回想される。
 そこでのシックスとクレアの対話シーンを見てみよう。

クレア「素敵なタトゥーね。どこで? 刑務所?」
シックス「ああ、そうだ」
クレア「なんて意味?」
シックス「人の名前だよ。ギリシア語。山に岩を運んだ男」
クレア「なんで?」
シックス「命じられたから」
クレア「誰に?」
シックス「神様」
クレア「岩が必要だったから?」
シックス「たぶん罰だろう」

 シックスの腕に、ギリシア神話の誰かの名前が刻まれている。それは「山に岩を運んだ男」だという。たぶん、それは《シーシュポス》のことだろう。
 シーシュポスに関する物語はちょっと長いのだが、重要と思われるのは次のエピソード。シーシュポスは神を二度も欺いたために、罰を受けることになった。彼はタルタロスで巨大な岩を山頂まで持ち上げるように命じられるが、その岩は頂上まで運びきることができず、転がり落ちてしまう。シーシュポスは永遠に持ち上げては落とし、持ち上げては落とし……という罰を受け続けることになる。
 このエピソードはシエラ・シックスがおかれている立場を示している。シエラ・シックスは何かしらの罰で刑に服していたのだけど、その刑期を終える前に出てきてしまった。つまり自分の罪をきちんとそそいでない。フィッツロイに見出されて連れ出されたのだけど、途中から出てしまった。ゆえに現在、その罰を受け続けている……という状況を語っている。
 それでも「塀の中よりマシ」というのがシックスの現在の心境。塀の外にいるのだけど、延々罰を受け続けている……そのように感じている。
 映画中、シックスは何度か「椰子の木の生えた国」の話をする。それはシックスの罪が浄化されて、天国に到達するイメージのことを語っている。天国のイメージを「椰子の生えた国」と表現している。シックスは自身で、そういう国での隠退生活は永久にない……と語っている。つまり、刑罰を受けている状態がこの後も永久に続くのだ……という意味となる。
 このエピソードがシックスが置かれている第一の状況。ここで語られているのは、そういう話。

 33分から40分までの間は、ほぼアクションはなし。シックスとクレアの関係性が語られる。クレアはフィッツロイについて「唯一の家族」と話し、シックスもフィッツロイは「唯一の身内」と感じている。だからクレアとシックスは家族なんだ……。そういう結束が2人の間にある、ということが確認されて終了する。

 41分から現在形の時間に戻るが、アクションはまだもうしばしお預け。
 シックスは隠し倉庫へ行き、現金と暗号メモを手に入れる。そのお金とメモを持って、ラズロ・ソーサの家へ行く。ラズロ・ソーサはクリーニング屋を装ったパスポート偽造業者だった。
 このラズロの家がやたらとオシャレ。たぶん、セットではなく、実在する何かしらのオシャレ建築だと思われる。詳しく知りたい。この建築を見せるためにわざわざウィーンに行く展開が取られているのだから、よほどの建築だろう。
 ラズロに偽パスポートを作ってもらおうとするのだけど、そこでの対話シーンが次第に変な感じになっていく。こうしたアクション映画の定石だけど、アクションとアクションの合間にある対話シーンは主人公の背景設定について解説されている場面だ。詳しく見ていこう。

ラズロ「偽名が必要だな。簡単に忘れられやすい名前がいい。よくある名前だ。感情を呼び起こしたいなら別だ。例えば、希望や怒りや恐れとか……もう一歩前へ出て。ただ問題は、そういう偽名は感情と結びついている記憶がずっと残る。悪名なんかがそうだろ?」

 話の途中からまるでラズロがシックスの内面を語っているように囁き始める。ラズロ自身が怪しげだし、だんだん「悪魔の囁きっぽい」雰囲気になっていく。おや、変だぞ、ここ……と引っ掛かるように作られている。
 これは主人公シックスに何かしら「忘れられない記憶」があって、それは怒りや恐れの感情と結びついて、ことあるごとに思い出してしまう……という。それはなんなのか?
 このシーンの直前に、シックスは父親のことを思い出している。シックスの父親はイカレたオッサンだったらしく、幼い頃のシックスの腕にタバコで根性焼きを作っている。その体験がシックスのトラウマとして残っている。

 続いてシックスは落とし穴に放り込まれる。ラズロに怪しげに囁かれて、「抜け出られない穴」に放り込まれる。これは象徴的なシーンでもあって、シックスが心理的に抜け出せない葛藤を現した場面。そこから抜け出すために、シックスは水道管を破壊する。この「水」のモチーフも、シックスのトラウマと関連しているのだが……。
 そこに飛び込んできたのがロイドたち率いる傭兵部隊。軽めのバトルシーンがあって、シックスはそこから脱出する。
 ここでのアクションシーンも抑え気味。まだ本当に見せ場ではない。

 シックスはバンコクで一緒に仕事をした美女・ミランダと合流し、プラハへ向かう。件のメモリーチップの入ったペンダントはプラハにいる信頼を置ける知り合いのもとへ送っていた。その信頼できる知り合いである、マーガレットのもとを尋ねる。
 ここでメモリーチップの中身がなんなのか明らかになる。ちょうど映画が始まって1時間といったところ。映画の折り返し地点で、メモリーチップの中身が明らかになり、誰が一番悪いのかハッキリする場面。シックスとミランダが、あの太田光によく似たアイツを倒さねばならない……ということで目的意識が定まる場面でもある。

 アクション映画としての見せ場はここから。プラハを舞台にしたかなり大がかりなアクションシーンが展開する。
 ここからのアクションがかなり凄い。見所だらけ。観光地を舞台にしたアクションはそもそも許可が下りにくいし、許可が下りても「景観を一切破壊してはならない」という縛りが生じる。そうした縛りを感じさせない大破壊シーンが展開される。こんな凄いシーン、よくやりきったな……と驚くほど。
(破壊される部分、というのは映画スタッフが精巧に作った偽物。実際のモノとスタッフが作った偽物との区別が付かないくらいに作り込んでいる。例えばクライマックスで列車が歴史のありそうな建築に突っ込むわけだけど、あの建築も偽物のはず。あんなのよくやるなぁ……と感心する)
 時折ドローン撮影のカットがあるのだが、そこも凄い。そのシーンの中へとドローンがどんどん奥へと入り込んでいき、状況を見せていく……。映画制作は基本的に、「カメラの前」だけ作っていればいい。カメラの裏側にいけば豪華なセットも実はハリボテで、様々なスタッフが照明を当てたり、マイクをぶら下げて音を録っていたりするもの。
 この映画の場合、ドローンカメラでどんどんシーンの奥へと分け入って、さらに俯瞰になって状況全体を見せるようなシーンへとシームレスに移っていくような場面がある。こういう撮影になると、普段はカメラフレームの外になるような場所も映り込むわけだから、ひたすらに作り込まなければならない。エキストラスタッフとの段取りをしっかりやって、一度に数十人が動き回る光景を作り出さねばならない。これが完璧な造りで、状況をワンカットで延々見せて、ずーっと奥に分け入って主人公の活躍している場面へとシームレスに繋がっている。こんなワンカット撮影よく作ったなぁと感心する。
 とにかくも感心するシーンだらけ。よくできている。

 プラハのアクションシーンからその後、次から次へとアクションがバンバンと続くのだけど、一回だけシーンが落ち着く場面がある。動物病院に潜入して、シックスが怪我の治療をする場面だ。
 そこでシックスとミランダが語り合う。シックスがそもそもなぜ刑務所にいたのか……という話だ。
 話をザックリまとめると、シックスの親父はイカレた暴力男だった。暴力を正義だと思い込むような奴だった。シックスには弟がいて、親父の弟への暴力は日々ひどくなっていって、そのうち弟を殺してしまうかも知れない……。危機感に捕らわれたシックスは、父親を銃で殺した。それで刑務所行き。
 と、こんなふうに語られるのだけど、シックスの過去話についてお話しの順序が逆になっている。父親を殺した、その罪からいまだに逃れられずにいる。いまだにトラウマ。それで自分の腕にシーシュポスの名前を刻み込んでいる……という。話を逆にすると、シックスの内面がよくわかる。
 シックスの内面がわかると、映画の構造もわかる。まず宿敵ロイドだけど、なんか変だよね。オールバックにヒゲって、ダサいなぁ……って思ったでしょ。なんであんな格好をしているのか、というとシックスの父親がイメージされているから。シックスの本当の父親はもっと違う顔だけど、普遍的などこにでもいそうなお父さんって顔をわざわざ作っている。シックスがいつか対峙しなければならない父性がロイドに当てはめられている。
 で、姪のクレアはシックスの弟のイメージが当てはめられている。女の子になっているのは、実際の弟よりさらにか弱い存在として描くため。あの女の子を暴力的なイカレた父親から守ることができるのか……がシックスに当てはめられた使命であり、映画全体でシックスが乗り越えなければならない精神的葛藤、ということになっている。シックスがクレアを守る動機は家族のように感じているフィッツロイの姪だから……という結びつきも説明されているが、もう一つの理由はシックス自身がトラウマから乗り越えるため。

 と、こんなふうに見所たっぷりのアクション映画。楽しいシーンが一杯、2時間数分しっかり楽しめる娯楽映画だった。
 内容自体に不満はないというか、「よくできているなぁ」と感心したのだけど、一つだけ引っ掛かりがあった。それは主人公にいまいち愛嬌を感じづらいんだ。
 こういう映画って主人公に愛着がもてるかどうか……は大事なポイントなんだ。例えばジャッキー・チェンはアクションの最中に大袈裟な身振り手振りでコミカルな面を見せて親しみを持たせたし、ブルース・ウィリスの『ダイ・ハード』シリーズは過酷な戦いなのに主人公はひたすらブチブチ愚痴ってばかり。ぜんぜん強そうに見えない。それが妙な温度差があって、親しみが感じられた。トム・クルーズ『ミッション・インポッシブル』シリーズは言うまでもなくトム自身が魅力的。
 まずそのキャラクターが好きになれるかどうか……で映画に対するのめり込み具合が変わるわけだけど、『グレイマン』はそこが弱い。そこだけが弱い。主人公シックスの「人間味」の部分がいまいち伝わらない……ということが弱点。実は映画の合間合間にシックスがどんなトラウマを抱えて、映画全体でトラウマをいかに克服しようとしているか……が描かれているのだけど、その部分がわかりづらい。ごくありふれた対話シーンの裏でシックスの内面が語られていたのだけど、それは一般客から見てまず気付かない。例えばラズロとの対話のトーンが「何かおかしいぞ。途中からシックスの内面話になっているぞ」……なんてほぼ誰も気付かん(あれは脚本作りの作法を知ってないと気付かん)。
 全体を通して「クールな内容」に徹しすぎて、よくできているけれど愛着を感じづらい……そういう映画になってしまっている。「すごいシーン」が上滑りしているように感じられてしまう。
 映画は「ホットな映画」であったほうがいい。そういうホットな部分に人々は愛着を感じ、その活躍をもっと見たい……と思うようになる。映画『グレイマン』はほとんどのシーンの造りは「パーフェクト!」と言っていいくらいのクオリティは間違いなくあるのだけど、その一点が欠落して、見ていてもいまいち感情が動きづらい作品になっているところが惜しい。


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