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映画感想 座頭市 血煙り街道

!ネタバレあり!

座頭市16血煙り街道 (12)a

 今回視聴映画はシリーズ16作目『座頭市 血煙り街道』。ずいぶん血なまぐさいタイトルが採用されているが、内容はただひたすらに人情ものだ。流血シーンは後半にあるが、さほどショッキングなものではない。
 監督は三隅研次。『座頭市』シリーズは第1作目、8作目、12作目、そして今作16作目と、4度目の監督となる。当時の大映には「スタッフガチャ」の風習があり、東宝や東映のように座組が決められておらず、作品ごとにスタッフが入れ替わるという仕組みを採用している。そういった事情で『座頭市』シリーズは毎回監督が違い、新人監督が務めることもあれば巨匠が務めることもあり、今回のように以前と同じ監督が回ってくることもあった。
 16作目『座頭市』の見所はゲスト俳優である近藤十四郎だ。戦前、戦後と時代を股にかけて活躍した時代劇の大スター。勝新太郎の大先輩に当たる人である。どうしてこの人が指名されたのか?

 理由は勝新太郎が『座頭市』を演じ続けるうちに、本当に居合いの達人になってしまったからだ。並の俳優が1回打ち込む間に、勝新太郎は2回3回と打ち込むことができる。勝新太郎が達人過ぎて、座頭市と対等の立場で斬り合いができる役者がいなくなってしまっていた。
 例えば『リーサルウェポン4』という映画には、少林寺拳法の達人ジェット・リーが出演している。主人公がこのジェット・リーと戦い、最終的に勝利するという展開を作るために、最終段階で突如ジェット・リーが弱体化するという現象が起きた。俳優ごとの身体能力に差がありすぎる場合、シナリオ通りにシーンを作ろうとすると、どうしても不自然さが出てしまうのだ。
 同じ理由で達人になりすぎてしまった勝新太郎と対等に戦えるだけの身体能力を持った俳優がいない問題が起きていた。そこで時代劇スター近衛十四郎だ。近衛十四郎もまた、時代劇映画を何十本とこなすうちに、「殺陣の達人」となっていた。勝新太郎と釣り合いが取れる、数少ない俳優であった。
 近衛十四郎は『座頭市』出演のオファーをもらうと、返す言葉でOKを出したそうだ。近衛十四郎も自分と釣り合いが取れる殺陣ができる俳優がおらず、思い切り剣を振れる相手を探していたのだ。
 そういうわけで勝新太郎、近衛十四郎、達人同士の剣術勝負――これが本作の最大の見所となっている。ただシナリオ上の問題は、この二人をいかに戦わせるのか……。

 ではあらすじを見てみよう。

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 冒頭は背丈より高いすすきのが周囲に茂る道を、座頭市が一人歩いていた。側にはたまたま同じ道を歩いている侍がいた。
 座頭市の背後を、5人のヤクザが迫ってくる。どこで因縁をひろってきたのか、「あの時の親分の仇を取るという」と鼻息を荒くしていた。座頭市は迫ってくるヤクザを、一瞬にして斬り倒してしまう。
「座頭! なかなかやるな!」
 一緒に歩いていた侍が、称賛の声を上げた。

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 旅はその後も続き、座頭市はとある宿に泊まる。相部屋にいるのは幼い子を連れた女のようだ。しかも病気らしい。
 もはや虫の息である女から、座頭市は幼い子供を託される。
「命あるうちに、あの子を父親に会わせてやりたくって……。あの子の父親は、前原宿の庄吉って絵描きなんです」
 女はそう言い残して、この世を去ってしまった。

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 ……しょうがない。こいつも何かの縁だ。女を弔った後、座頭市は幼い子供、良太を一人残していくわけにはいかず、父親探しの旅に付き合うのだった。

 そんな旅の最中、同じ道を行く旅芸人の一座と遭遇する。旅芸人達はこの先の箕輪へ行き、興行をすることになっていた。しかしそこに割り込んでくるヤクザの一団がいた。「万造」一家を名乗るその連中は、旅芸人達を無理やり連れて行こうとして、そこで一悶着が起きてしまう。

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「天下の街道で乱暴狼藉許さん! はよう立ち去れ!」
 一瞬即発の緊張に割って入ったのは、あの侍だった。赤塚多十郎。冒頭の場面で、座頭市とすれ違ったあの侍だった。
 赤塚多十郎は不埒者を一瞬にして峰打ちで撃退してしまうと、旅を急ぐらしくそそくさと去ってしまった。

 間もなく箕輪にやってきて、興業の準備が始まる。街は賑わいを見せ始めるが、またしても万造一家が妨害に入ってきた。万造一家は箕輪での興業を取りやめさせ、自分の所へ来いというのだった。しかし旅芸人達はそこを仕切っている親分に義理があるからそういうわけにはいかない。

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 乱暴に詰め寄ろうとするヤクザに、座頭市が割り込んでいく。座頭市は素早い太刀筋でヤクザの眉毛を切り落とす。
「そのツラじゃ、恥ずかしくって外も歩けませんね。この興業が済むまでは、家の中で静かにしてるこった」
 ヤクザは「覚えてろよ!」と言い残して逃げ去るのだった。
 しかし、間もなく土地を仕切っている親分が万造一家の襲撃に遭い、殺されたという知らせが入る。結局興業はできないまま、旅芸人達はその場を去ることになり、座頭市と良太は旅芸人達と別れて旅を続けるのだった。

 ここまでで前半25分。

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 今回の『座頭市』だが、とにかくも撮り方が格好いい。冒頭の、すすきのが揺れる街道を全速力で走るヤクザ達。走りながらマントを脱ぎ捨て、傘を投げ捨てる――この時点ですでに格好いい。その後、斬り合いが始まるのだが、間に一度動きを止めて決めが入るのがまた格好いい。始まって1分で私はもう「好きな作品になる」と確信した。

座頭市16血煙り街道 (14)

 次にオープニングが入るのだが、まず語りから入る。
「オレたちヤクザはな、御法度の裏街道を歩く渡世なんだぞ。いわば、天下の嫌われもんだ。 ……ああ、やな渡世だなぁ」
 この語りに続いて歌唱が始まるのだが、もうたまらんくらい格好いい。
 描かれるのは、草むらを進む、座頭市の孤独な背中。この描写もいい。
 座頭市はこれまで、多くの人を斬ってきたが、みんな悪党だ。誰かを守るため、あるいは仇討ちのため、悪党を斬ってきた。悪党だけを斬ってきたはずなのに、背中には「業」が残る。ヤクザ連中からは命狙われ、名を上げたい渡世人達からも命狙われ、役人達からはお尋ね者になる。正しいことをしたはずなのにヤクザ者になって、天下の嫌われ者になってしまった……。いっそ誰かに刺されてしまえば楽になるが、無敵の剣士だからどんな修羅場も生き残れてしまう。生き残って、「業」ばかりを不条理に背負った背中……そんなものを感じさせる描写だ。

 その次に、たまたま泊まって相部屋になった女が死に、子供を託されてしまう。ここまでの展開でおよそ5分。展開が早い。率直にお話の本題へと入っていく。
 しかし座頭市と子供は最初から仲が良かったわけではない。たまたま相部屋になっために子供を託されてしまい、座頭市は「しょうがねえなぁ」「かわいげのないガキだな」とぼやきながらも、子供との旅をはじめる。子供も座頭市に心許していない。そんな関係性で旅は始まる。

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 映像がとにかくも良く、どのシーンも画が格好いい。何でもない枝や地蔵、案山子までも、バッチリ決まった構図で描写されていく。やや影の深い映像も、作品のトーンに合っていていい。この時代の、フィルム撮影特有の風合いが出ている(ただ色彩は沈みすぎている感じがある。現代のカメラほど、精彩さはない)。

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 それでいて、エンタメとしての作りに手抜かりは無い。
 旅芸人に出会ってからは中尾ミエの歌唱が入り、箕輪に着いてからは座頭市と大工とのやり取りで笑いを取ってくる。エンタメらしい描写が入ってくるが、トーンは変わらず、浮いた感じもしない。一つ一つのシーンが旅の情景として上手くはまっている。

 ストーリーの続きを見てみよう。

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 座頭市は茶屋で一休みしているところで、再びあの侍、赤塚多十郎と再会する。二人は、互いに以前にも会ったことを思い出し、お互いの剣の腕前を称え合う。
 赤塚多十郎はどうやら主君を失ったらしく、「あてもなく、足の向くまま、気の向くまま気楽な旅を楽しんでいる」と語っているが、どうやら何か秘めているものがあるようだ。これがなんなのかは、この段階ではわからず、ちょっと含むような描写に留めている。

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 茶屋での一時が終わり、座頭市は再び良太との旅を再開する。庄吉はこの先の宿にいる、窯焼き職人の家に住み込みで働いているという。  座頭市はその窯焼き職人の家へ訪ねるが、庄吉の姿はなかった。
「悪い奴らに誘われて万造の宅地場に出入りしていたら、一年ほど前から行方知れずだ」
 職人はそのように語るのだった……。

 座頭市は万造一家の宅地近くまでやってくるが、しかし入っていける隙は無い。途方に暮れているところに赤塚多十郎が再び姿を現す……。

 ここまででおよそ40分。映画の中盤まで。前半で座頭市と良太の関係性がしっかり描かれ、ようやく辿り着いた窯焼き職人の家で庄吉が行方不明になっていることを知り、ここからは庄吉の姿を探すお話が始まる。

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 茶屋のシーンで再び赤塚多十郎と会う。このシーンにはいくつかのポイントがある。まず赤塚多十郎は「正義の侍」であること。座頭市と斬り合うことになる相手というのは、基本的にはみんな「悪党」。正義の侍といかにして斬り合うことになるのか……そのお話作りが本作のポイントとなる。
 赤塚多十郎が悪役ではなく「正義の侍」として描かれるのは、ゲスト俳優として、あるいは同じ業界にいる先輩に対する配慮だろう。簡単に正義VS悪という構図で斬り合うのは芸が無いし、その斬り合いも簡単に勝負が付いてしまうような、安易な見せ方もしたくない。赤塚多十郎こと近衛十四郎ありきでシナリオが練られている本作だが、そこに至るまでの導線がしっかりと作られている。ヤクザとはいえ「正義」の側である座頭市が、どのようにして「正義」である侍と戦うことになってしまうのか。そこに、なんともいえない人情話がお話を骨として支えているので、最終的なバトルシーンがそれだけで感動の一場面に変化してしまっている。そこがこの作品の素晴らしいところだ。
 で、赤塚多十郎と座頭市は、あんまの支払いの件で揉める。ここが重要だ。赤塚多十郎は一分銀を差し出すが、座頭市は「こんなに受け取れねぇ」と返そうとする。赤塚多十郎は「だが俺も武士だ。いったん出したものを引っ込めるわけにはいかん」とやや険しい顔で問い詰める。
 ここで武士故の融通のきかなさが描かれている。武士であるから潔癖で勤勉で曲がったことは許さない。ゆえに融通も利かない。「まあ、いいや」で済まさない(一分銀を決して受け取ろうとしない座頭市も、相当に頑固だが)。この融通の気かなさが、後々に絡んでくる要素となっている。

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 さて、肝心の庄吉はどこでどうしているのか? 実は万造一家の中で監禁され、「春画」つまりエロ絵を描かされていた。
 現代の感覚で「エロ絵を描かされていた! 酷い!」というとなんかちょっと笑ってしまうのだが、この時代、「禁制」に指定されている絵を書いたら拷問刑や死刑が普通だった。しかも万造は、禁制エロ絵を産業として生産し、裏から売って大儲けしていた。『全裸監督』的に言うと「裏ビデオ」を作って売っていたようなものだ。
 赤塚多十郎は浪人のフリをして、万造一家の商売を調査し、関わった者全員をその場で死刑執行していた。ただ内部調査をしていただけではなく、刑の執行までその場でやっていた。侍であり、裁判官だからこそ、より融通が利かない人物像として描かれてしまう。

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 座頭市は良太を父親に会わせるために、どうにか万造屋敷に潜り込もうとする。一方、万造一家に刑を執行しようとする赤塚多十郎。同じ目標に向かっているようで、ある地点で微妙に食い違ってしまう。赤塚多十郎は庄吉も、禁制エロ絵生産者の一人だからと刑を執行したい。座頭市は「彼は無理矢理書かされてたんだから」とかばう。しかし融通の利かない侍である赤塚多十郎は、「庄吉も関係者だから斬る」の一点張り。ここでついにすれ違いが生じ、斬り合うことになってしまう。

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 最終的に赤塚多十郎は自身の負けを認める。
 まず赤塚多十郎は武士として、刀を持っている剣士を斬るわけにはいかない。それは信条に反する。次に座頭市は、人を守るため、武士の命たる刀を投げ捨てた。しかも、刀を振り上げる自分の前から逃げようともしない。
 さて、武士としての義を通したのはどっちだ。任務のために闇雲に「斬る!」と叫んだ自分か。それとも人を守るために刀を投げ捨てた座頭市か。
 赤塚多十郎は座頭市の中に、強力な武士の魂を見て、精神的に負けたと悟る。
 刀の勝負で勝ち負けを決めるのではなく、精神の強さで勝敗を決める。……この納め方が素晴らしい。スター同士の対決映画では半端に引き分けにしたり、第3の敵が現れて……という展開は多いが、「どちらに武士としての魂があるか」という勝負で見せている。これこそ、この作品ならではの納め方。納得の場面だった。

 戦いが終わり、良太を父親に引き渡した後は、お別れだ。最後のシーンがなんとも哀しい。
 座頭市には良太一家と過ごす道もあったかも知れない。しかし座頭市は凶状持ちだ。「俺みたいなヤクザと一緒になっちゃいけねぇ」とそこを去り、姿を消そうとする。
 自分から情の世界との関わりを断ち切って、一人でヤクザの道を進んでいく。ではその背中に残るのはなんなのかというと「業」だけ。色んな悪党を斬って、ついには公儀お役目の任を持った侍も斬ってしまった。「情け」を捨て、ただ業のみを背中にしょって、去って行く。
 その時、冒頭のあの台詞が蘇ってくる。……「オレたちヤクザはな、御法度の裏街道を歩く渡世なんだぞ。いわば、天下の嫌われもんだ。……ああ、やな渡世だなぁ」この台詞は冒頭であってもラストシーンであってもはまってしまう。
 ラストシーンも座頭市の背中で終わるのだけど、その背中があまりにも寂しい。首がうなだれて、小さく見える背中。温もり無き世界を、たった一人、孤独に歩いて行く男の背中だった。

 最初から最後まで、とにかくもたまらなくなるシーンばかりの傑作映画だった。まだ3作品しか観ていない『座頭市』だが、今のところ一番の作品だ。


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