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良縁を大切にしていたら、苦手な人と良好な関係になりました。

こんにちは、とらこです。
毎週火曜日、母を自宅に招いて食事をしています。昨日は、母の大好物であるお肉をたっぷり入れた、ガーリックライスをふるまいました。恥ずかしながら、親孝行のようなことを出来るようになったのは、アラフォーになった最近のことです。

思い返せば、母と過ごした時間は短かったように思います。母は、自分を犠牲にしてまで人に尽くしてしまう反面、他責の念が強くて嫉妬深い。思うようにならないと感情的になるなど、私にとって気難しくて苦手なタイプでした。

それ以外にも、私が幼いころは姉が小児てんかんを患っていたので、発作が起きると姉につきっきりで、入院に付き添ったりして家を空けることもありました。

私が小学生のときには、母が現実逃避から(姉の病や夫婦関係の悩みなど)、宗教活動に傾倒していました。そのため、学校から帰宅しても母がいないことが多く、ポストに鍵が入っていないときには、向かいに住んでいた叔母さん(親戚ではありません)の家にお邪魔させていただくか、ひたすら玄関ドアの前に座って待っていました。

中高生になると、部活と勉強で毎日が忙しくなりました。そのころから、祖母が両手を骨折したり、祖父が病気で入院したり、独身で祖父母と同居していた叔父(母の兄)が認知症になって退職したりして、母が往復4時間かけて実家へ通うようになったのです。

母が大変な想いをしているのを、理解しているつもりでした。

高校生のときから、祖母を自宅で預かるようになったので、少しでも母の負担を軽減してあげたい気持ちと、幼いころから可愛がってくれている祖母に喜んでもらいたくて、食事や入浴の介助をするようになりました。

ところが、介護のことで父と母が喧嘩することが増え、介護に無関心を貫く姉がいるなか、私に対して「介護を手伝うのは当たり前」だと受け取れる母の発言など、さまざまなことが重なったので、早く家を出る方法を模索しました。

大学へ通うようになってからは、実家を直ぐに離れて社会人になり夫と結婚しました。娘の子とらちゃんを妊娠したとき、母に「2〜3日で良いから産後の手伝いに来てほしい」と伝えたところ、「介護で忙しいから無理」との返事がありました。

ところが実際には、宗教の宿泊研修に参加していたことが判明したのです。これまで、私への心無い仕打ちが一気に思い返され、妊婦なのに動揺してしまって、怒りと悲しみとで頭がおかしくなるかと思いました。

母にはもっと、私の気持ちに寄り添ってもらいたかったのですが、それは一生叶うことはないと自覚しました。そんなことよりも、私を大切に思ってくれる夫や子とらちゃん、夫の両親や友人などの良縁を大切にしよう。

この決意によって、私の人生が良い方向へと導かれたのです!

ネガティブな気持ちを抱えたまま過ごしていたら、貴重な時間がもったいない。そんなことより、もっと私を大切に思ってくれている人に貢献したり、感謝や好きな気持ちを伝える機会を自分からどんどん増やしていこう。

するといつの間にか、母への恨み辛みが消えていました(感謝の力は偉大です)。母に会って悪口を聞いてもスルーできるようになると、母も私に言ったところで何の得にもならないと気づき、ネガティブな発言が減っていきました。そしてようやく、毎週会っても自然体でいられるような関係性を築くことができたのです。

世の中には、時間が解決してくれることもあるということにも気付かされました。

私が若いころからもっと我慢強くて、母を気遣うことができていれば、母娘の関係を良くするために時間はかからなかったはず。自分の未熟さに反省するばかりですが、時が経って祖父母や叔父が亡くなり、姉もようやく結婚して独立してくれた今でなければ、母は私に無関心ではけ口の対象のままだったでしょう。

健康な体で産んでもらえたことや、オムツを替えてもらったりしてお世話してもらったこと。すべてにおいて感謝の気持ちを持ちつつ、母の余生が幸せなものであることを心から願って、今後も親孝行していきたいです。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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