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そもそも“スピリチュアル”とは何か。


“スピリチュアル”って何ですか?と聞かれて、皆さんは何と答えますか?

オカルト?占い?霊能者?

結論から言いますと、実はどれも違います。

本日は“スピリチュアル”の本当の意味についてお話していきます。


前回のお話に絡めながら続いていますので、未読の方は是非どうぞ!


【そもそも信仰ってなに?】

先日の9/11は「アメリカ同時多発テロ」が起きた日です。
あれから19年もたちますが、今でも世界のどこかで宗教や思想の違いによる抗争は起こっています。
「これこそ絶対」「これこそ正義」というものに振り切ったとき、それは時として真逆になることもありますよね。

各々が自分のなかに確固たる信仰を持ち、それを自らの教養と組み合わせていれば、他者を傷つけることで成立するような答えには至らないように感じます。


では「信仰」とは何か。

まず、私個人の見解ですが、「信仰」と「宗教」は少し違います。
宗教とは、同じものを信じる人が集まった団体、組織、そしてそれを維持するために金銭などの対価が必要とされるものです。

そして信仰とは、神や仏などに限らず、その人にとって「絶対的なもの」を堅く信じることです。
それは物でも情報でも事象でも構いません。
心に残って離れないもの、感動したもの、自分を変えた切っ掛け、人生に大きく変化を与えたもの、出会った瞬間衝撃の走ったもの。

とにかく「絶対視」するもの。

それが本来の「信仰」なのです。

ですので「信仰」と「宗教」は別物であり、信仰は「その人自身」が行う自由なものなのです。


そんな信仰や宗教。
日本ではどこかオカルト染みていて、ところにより怪しくて、どうにも近寄りがたいものがありますよね。

そういったものを含めて“スピリチュアル”や“スピ系”等と言われて遠巻きに見られることも多いですが、そもそも“スピリチュアル”自体を知っている人は少ないのではないでしょうか。


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【スピリチュアルの本当の意味とは】


スピリチュアルやオカルト、宗教について嫌悪感を抱いている日本人は少なくないと思います。
何故なら、1970年~1990年代のオカルトブームの先に待っていたのは、カルト集団による犯罪・宗教を盾にした詐欺行為でした。

有名なところで言うとオウム真理教ですよね。


これは、何か一つに非常にのめり込んだときに生まれる「過激な思想」からくるものであり、あくまでも自制の効かなくなった人間による、「マインドセルフコントロール」ができなかった例でもあります。

こういった切っ掛けから人は徐々にオカルトや宗教を毛嫌いするようになり、仕舞いにはその単語を聞いただけで「あやしい」という一言で知ることを辞めてしまうのです。

身を守るために必要な感情かもしれませんが、知ろうともしないで否定するだけなのはちょっと勿体ないですよね。

知ることを辞めてしまった多くの日本人だけが、未だに「スピリチュアル=オカルト=宗教=幽霊などの怪しい物」と捉え、その先に進めないでいるのです。

スピリチュアルとは単なる宇宙人、霊現象、オカルト、オーラ等というものではありません。


その語源を解いていけば自ずとその意味を見いだせます。

英語のスピリチュアル(英: spiritual)は、ラテン語の spiritusに由来するキリスト教用語で、霊的であること、霊魂に関するさま。 英語では、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味する宗教形態。


これがスピリチュアルの本当の意味なのです。

海外でスピリチュアルいえば・・・

「自分の生まれた意味とは」
「どうやって生きていくのか」
「人生の指針、生き方とはなんだ」
「心理学であり哲学である分野」

という、人智を越えた道徳の事を指します。

しかし日本のスピリチュアルに対するイメージは・・・

「霊能者」
「占い」
「宇宙人」
「オカルト」
「ヒーリング」

という、不思議現象として認識されているのです。

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【スピリチュアルは“パフォーマンス“でも“娯楽“でもない】

人生の本質をどう見て、どう理解するか。
それをどのように人生に活かしていくかという、学問の一種であると考えられます。

もともとキリスト教用語であることから海外では馴染みが深く、日常にスピリチュアルは取り入れられています。
彼らにとって当たり前に存在しており、人生をどのように生きていくかという手段であり、心理的に前向きになれる為の指針なのです。
心理学や科学的な面での研究の対象として、今でも深く追求され続けています。


スピリチュアルという外国語であるために誤解を招きやすいですが、日本でいうところの仏教的思想であるとか、禅のような思想であるとか、そういったものと何ら代わりが無いのです。

「信仰」とは哲学であり、宗教的なものであり、自らを支える人生の根本的な指針。
誰が何と言おうと「この世界で、私はこういう“考えで”生きている」と言えるものがあることです。

それが日を追うごとに変わっても良いのです。
その時々で、「なんとなく生きる」のを辞め、「世界はこういうものだ」と自分の考えを持って生きているかどうかだと感じています。

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最近の記事で伝えている「将来スピリチュアルブーム&メンタルヘルスブームの到来か?」ということの大本は、このスピリチュアルの本当の意味について理解し、各々が確固たる信念の置けるものを持つべき時代が来るかも・・・という考察からきました。

今特に意識していない人、特に持っていない人も、良いものに巡り会えたら違う視点で人の道が見えて一層面白くなるかもしれませんね。

今後、スピリチュアルという言葉に対し少しは偏見が無くなり、見方が変わって行く人が増えたらな~と思います。


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