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マチネの終わりに

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『マチネの終わりに』第七章(49)第八章(1)

『マチネの終わりに』第七章(49)第八章(1)

 早苗は、動揺した様子だったが、すぐに笑顔になった。そして、フライパンの火を止めると、蒔野と向かい合った。

「――子供が出来たの。病院に行ったら、三カ月だって。」

 蒔野は目を瞠った。

「いつわかったの?」

「一週間前くらい。コンサートの準備に集中してるから、せめて初日のあとに言おうかと思ってたんだけど、あー、言っちゃった。」

「そっか。……ごめん、気がつかなくて。」

「ううん。わから

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『マチネの終わりに』第七章(41)

『マチネの終わりに』第七章(41)

 蒔野は、会えば会うほど武知を好漢だと感じ、その「きちんとした」という言葉がピッタリの演奏も信頼していたが、それがまた、彼の音楽活動を行き詰まらせていることもわかるだけに、折々、やるせない気分になった。

 遠慮すべきことでもないので、蒔野は気を遣いながらも三曲のうち二曲はリハーサル中に話し合って楽譜に手を入れ、もう一曲のラヴェルのピアノ協奏曲のアダージョは、一旦引き取って全面的に書き直すことにし

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『マチネの終わりに』第七章(40)

『マチネの終わりに』第七章(40)

 蒔野はそれを、自分の演奏に対する、最も鋭利な批評であるように感じていた。祖父江が言っていた、「もっと自由でいいんですよ。」という一言とも呼応し合っているようだったが、実感としてよくわかる割に、言葉で考えようとすると、雲を掴むようだった。

 どうして洋子といつもスカイプで会話していた頃に、この本を読んでおかなかったのだろうかと、彼は後悔した。彼女と話がしたかった。そういう話題を、あまりに多く抱え

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『マチネの終わりに』第七章(31)

『マチネの終わりに』第七章(31)

 洋子は、リチャードの言い分に納得しなかったが、彼が最後に言った言葉には、胸をえぐられたような痛みがあった。

「誰と結婚しても」と強調した時、彼が蒔野のことを当てつけているのは明らかだった。そして、その効果は、彼が咄嗟に期待したよりも遥かに大きかった。

 洋子の脳裏には、蒔野から別れを切り出された、あのメールの内容が蘇った。

「あなたには、何も悪いところはありません。」と彼は書いていた。それ

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