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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その14、最終回)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その14)
15)息子の死と歎異抄との出会い
1974年12月、高史明は『生きることの意味 ある少年のおいたち』をちくま少年図書館の一冊として出版した。自身の少年期を描いた自伝的作品だ。この作品で日本児童文学者協会賞、産経児童出版文化賞を受賞した。
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その13)
※↑ 季刊『人間として』筑摩書房刊1970年創刊
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その13)
14)夜がときの歩みを暗くするとき
金天三が小説を書こうとしたのは罪障感のためだ。
天三は罪のない同志を査問した。彼の潔白を感じながら党中央の決定にしがみつこうとしたのだ。そのあげく
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その12)
※↑ 著作者:Photographer2008 CC 表示-継承 3.0
(詳細はページ末に)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その12)
13)長男誕生
結婚して5年目、下北沢に引っ越した。
金天三は野間宏から本を読めと言われて文学書を沢山借りてきて読み倒し、そのうち古本屋から安
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その11)
※ ↑ 六全協と日本共産党33周年記念式典(写真詳細はページ下に)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その11)
12)離党
結婚して5ヵ月ほど経ったある日、夜遅く天三は酔っ払って帰ってきた。そして布団に倒れ込み声も出さずに泣いた。
その日金天三は地区委員会に呼ばれて行った。
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その10)
↑ ※高史明・岡百合子夫妻と作家の黄英治さん
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その10)
11)結婚
数カ月後、地区委員会から唐突に恋愛許可の通達が届いた。
金天三の相手である北慶子こと岡百合子は大学卒業の直前だった。
組織は二人の結婚を進めた。
二人は再会して党への献身を語り合
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その9)
※ ↑ 1950年頃の共産党本部(写真詳細はページ末に)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その9)
9)恋愛と査問
その年の夏、下町の倉庫街にある非合法機関紙印刷所に足を運ぶと、顔見知りの女子大生が印刷助手として来ていた。
金天三は、党の非合法機関紙「平和と独立のために」の発行責任者で学生対
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その8)
※ ↑ 血のメーデー事件「暴徒と警官隊」(写真詳細はページ末に)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その8)
8)血のメーデーと火炎瓶闘争
翌1952年5月、いわゆる「血のメーデー事件」が起きた。
東京メーデーは明治神宮外苑で午前10時30分から約15万人が参加して開催された。
サンフランシス
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その7)
*↑ 旧小河内村(詳細は中程のキャプション)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その7)
7)山村工作隊
1951年2月、日本共産党員であった金天三は、秘密裏に開催された共産党第四回全国協議会に連なる会議に出ていた。
四全協で所感派は国際派を地上に残して地下潜行したうえで、中国共産党の支持を受
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その6)
*↑日本に来た米軍のマッカーサー陸軍大将たち
(詳細はページ末)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その6)
6)共産党に入党する
1950年3月、在日朝鮮人連盟解散命令に伴って接収の対象になった台東会館での抗議運動に巻き込まれて、警官を殴って警棒の乱打を浴び意識を失い検束用のトラックに投げ入
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その5)
*↑写真:GHQの前で快哉を叫ぶ朝鮮人たち(詳細はページ末に)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その5)
5)東京へ
1949年秋上京した。
朝鮮人学校の悪仲間のひとりが同行した。
この年は、レッドパージによって公務員が大幅解雇され、組合のストライキを含む闘争に対して、国鉄下山事件、三鷹
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その4)
*写真↑ 当時の朝鮮学校の授業(詳細ページ末に)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その4)
4)朝鮮人学校
いったんは改心したつもりの天三は父の勧めで朝鮮人学校に通うことになる。
戦後の日本に起きた朝鮮人の教育運動は、民族語を奪われた植民地下の苦痛に耐えてきた人々が、その苦痛への思いを民族
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その3)
*↑写真:日本上空に爆弾を投下するB-29(詳細はページ末に)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その3)
3)日本敗戦、小悪党の世界に生きる
1945年6月29日と7月2日、下関も米軍による空襲を受け、中心市街地は焼け野原となった。
8月15日、天三は自分のたった一人の理解者のように思っ
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その2)
*↑写真 :操業開始時の彦島造船所(1914年)(詳細ページ末に)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その2)
2)小学生金天三少年
尋常小学校1年生の頃、父が朝鮮へ墓参り帰郷を決断し、天三兄弟をつれて関釜連絡船に乗った。
金海の田舎に牛車にゆられて、洛東江を見下ろす小高い丘の上にある母方の祖
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) 参考文献
【参考】
高史明『夜がときの歩みを暗くするとき』筑摩書房 1971年
高史明『彼方に光を求めて』筑摩書房 1973年
高史明『一粒の涙を抱きて』毎日新聞 1977年
高史明『生きることの意味』ちくま文庫 1986年
高史明『闇を喰む Ⅰ海を墓』角川文庫 2004年
高史明『闇を喰む Ⅱ焦土』角川文庫 2004年
岡真史『ぼくは12歳』ちくま文庫 1985年
岡百合子『白い道をゆく旅―私の戦後史
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その1)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その1)
高史明を知る人の多くは『生きることの意味』の著者としてだろう。そしてもしかすると、岡真史の詩文集『ぼくは12歳』を編んだ父親として知る人もいるかも知れない。はたまた昨今は親鸞の教えを説く宗教者と思っている人がいるかも知れない。
野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第二話 高山彦九郎(9)の注 公家の家格について
→野口良平「幕末人物列伝」第2話 高山彦九郎(9)から
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(編注)公家の家格について
高山彦九郎(9)の本文中
彦九郎たちの関心は、尊号問題に集中した。天皇の実父閑院宮典仁親王は、幕府の制定した公家諸法度の規定では、五摂家と大臣家よりも低い身分とされていた。
のところなのですが、
一口に「お公家さん」といっても、公家のなかで「家格」