林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その4)
*写真↑ 当時の朝鮮学校の授業(詳細ページ末に)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その4)
4)朝鮮人学校
いったんは改心したつもりの天三は父の勧めで朝鮮人学校に通うことになる。
戦後の日本に起きた朝鮮人の教育運動は、民族語を奪われた植民地下の苦痛に耐えてきた人々が、その苦痛への思いを民族的自立の願いに重ねて噴出させた民族的エネルギーの賜物であった。
しかし朝鮮語のできない天三は授業を理解できず、底知れない疎外感に陥った。それにここでも「ムショ帰り」というレッテルが幅をきかせ、悪童たちが悪の匂いを嗅ぎつけて近寄ってきた。
入学後2ヵ月で初めての試験を受けた日、問題を読めもしない天三の監督教師がカンニングの汚名を着せて殴りつけた。天三は反射的に殴り返して、学校を飛び出してしまった。
この年1948年は、4月に朝鮮人学校の閉鎖が米軍によって命令され、日本の行政当局が神戸の朝鮮人学校閉鎖に乗り出し、学校閉鎖に反対して大阪で開かれた抗議集会が警察隊によって弾圧された。
このとき16歳の少年が射殺されたのであった。
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◆参考文献
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*ヘッダー写真:朝鮮学校での当時の民族教育
著作者:不明
ソース: (国際文化情報社「画報現代史 第5集」1954年発行 より。)
パブリック・ドメイン
撮影日時:1945年~1948年頃
アップロード: 2008年1月26日
スキャン・編集:あばさー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E9%96%89%E9%8E%96%E4%BB%A4 より
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