家族の絆を深める「会話のタネ」の育て方。
小学校1年生の息子は、家では1人でトイレに行けないことが多い。
廊下が薄暗くて怖いらしい。理由は一応そう言っているけれど、きっと「なんか妙に怖い」というのが本音なんだろうと思う。どうしてそう思うのかというと、私もそうだったからだ。大人になって、さすがに昼間に怖いと思うことはなくなったけれど、夜にトイレに行くのは今だに怖いときがある。家を選ぶときに1番大切にしたことは「廊下が短いかどうか」だったから、限りなくその回数は減ったけれど。
変なところが遺伝してしまったなぁと思う。
というわけで、私か父ちゃんかのどちらかが、息子のトイレについていく。平日は父ちゃんが仕事でいないことが多いので、「私が8割、父ちゃんが2割」という割合だろうか。
ある土曜日の朝、その日はめずらしく息子が1人でトイレに行った。私は朝ごはんを食べたあとコーヒー牛乳を飲んでいて、父ちゃんはソファでくつろいでいた。
ダダダッと小走りでリビングに戻ってきた息子に、父ちゃんがサラリと言った。
「りんりん、手洗った?」
「・・・・」
「洗ってきな。汚いから。」
スパーンと命令する口調で、父ちゃんはそう言った。私は命令されるのが大嫌いだ。余計にそれをしたくなくなる。もしかしたら、そんなところも息子に遺伝してしまったのかもしれない。息子は納得がいかないとき、表情を固くして動きを止める。そもそもがんばって1人でトイレに行ったあとに、また1人で手を洗いにいく力なんて、きっと残っていない。そんな様子をみて、私はついつい口をはさんでしまった。
「超汚い公衆トイレとかならわかるけどさ、家のトイレでも毎回手を洗わないといけないの?オシッコとかウンチがべっちょり手についちゃったとかならわかるけどさ。」
「いやいや、普通洗うやろ。」
父ちゃんは、地雷を踏んでしまった。私は「普通」という言葉も大嫌いなのだ。「普通」と聞くとツッコミたくなるし、頭のスイッチがカチッと入ってしまう。
「普通って?ちなみに、うちはウンチしたら手洗うけど、オシッコは手洗わないときも多いけど、やばい?」
「いやいや、汚いやろ。特に男はチンチン持つし。」
「自分のチンチンなのに?オシッコだって、自分から出るものなのに?」
「もう!めんどくさいなぁ!とにかくトイレのあとは手を洗えってこと!」
父ちゃんの口調がキツくなりはじめた。父ちゃんは最近仕事が忙しくて疲れているのだ。そう考えると、確かに私の絡みはめんどくさい。ここでやめとけばよかったのに、私の口は閉じてくれなかった。
「父ちゃんがそう思ってそうするのはもちろんいいんだけどさ、命令しなくてもいいと思うんだけど。"父ちゃんは汚いと思ってるから、手を洗った方がいいと思ってる"って言うのはいいけどさ、それをやるかやらないかはりんりんが決めることだと思う。」
「もう!めんどくさいなぁ!もう何も言うなってこと?」
「ちがうやん。命令しちゃったらさ、そこで終わりやん。話終わるやん。私は洗う派だよ、私は洗わない派だよ、って話すのが楽しいのに。」
私と父ちゃんのここ最近のケンカのほとんどは、だいたいこんな感じで始まる。父ちゃんが息子に一方的に「〇〇しなさい」と言っている感じがすごく嫌なのだ。そして、ついつい横から口出ししてしまう。めんどくさい女なのかもしれないなぁと自分でも思うのだけれど。でも家族だからこそ、そのモヤモヤをそのままにしてしまうと、取り返しのつかないことになってしまうような気もする。
「でもさ、うちがトイレついていく時が多いんだから、オシッコしたら必ず手を洗わないといけないことなんて、そもそもりんりんは知らないんだよ。」
私がそう言うと、そのあと父ちゃんは息子を「説得」しはじめた。なんでそこまで手を洗ってほしいのかが私にはわからない。オシッコして手を洗わないことで、なにかヤバい菌に感染して、命さえ危なかった・・・なんて聞いたことがない。もしオシッコのあと手を洗わないことで、息子が何かしら困ることがあれば、勝手に手を洗うようになるだろう。それまで待てばいいのに、と思ってしまう。
「オシッコのあと手を洗うか」
険悪なムードがリビングに漂う中、私はスマホでコッソリとそうググる。なんてマヌケな検索ワードなんだろう。
検索していろんな記事を流し読みしてみると、やはり洗う派も洗わない派もいるようだ。洗う派の理由も、洗わない派の理由も、それなりに納得できる。だから別に、自分が好きな方を選べばいいんだと思う。
「オシッコのあと手を洗うかどうか」ということに関して、1人でこっそりとGoogleで答えを探したいんじゃないんだけどなぁ。父ちゃんとりんりんとアレヤコレヤとただ話したいだけなのになぁ。めっちゃおもしろいテーマやんか・・・
ふとそんなことを思った。
結婚して7年。父ちゃんがオシッコのあとに絶対手を洗っているなんて知らなかった。父ちゃんだって、私が手を洗っていないなんて知らなかっただろう。
長く一緒に居ても、知らないことなんてたくさんあって、それがおもしろいのになぁと思う。そんなおもしろい会話のタネが、ひょこっと私たち家族のもとに現れたのに。
自分は手を洗う。
だから息子にもなんとか手を洗わせる。
それじゃあ、あまりにもつまらない。
あまりにも味気ない。
父ちゃんは手を洗うよ。それはね・・・
母ちゃんは手を洗わないよ。それはね・・・
りんりんは手を洗いたい?洗わない?
ただ、そんな会話をしたかっただけなのだ。
「命令」は、私が大切にしたいと思っている会話のタネを一瞬にして潰してしまう。だから嫌だったのだ。
自分がモヤモヤとしていた理由がわかって、ちょっとスッキリした。
「オシッコのあと手を洗うかどうか」ということに限らず、会話のタネは日常にあふれている。
でも、自分が当たり前にやっていることが「正しい」と思いこんでしまって、それ以外の人たちを「まちがっている」と思ってしまった瞬間、会話のタネは消えてしまう。
私も自分の「考え方」や「やり方」とちがう人と出会ったとき、心の奥から「私が正しい!」という気持ちが湧いてくることだってもちろんあるけれど。
正しいとかまちがっているとかは脇に置いて、「この人はどうしてそうするんだろう?どうしてそう思うんだろう?」と興味を持って、会話を始められる余白を持っていたいなと思う。
余裕がないときは、子供にもついつい「〇〇してよ」と命令してしまうことだってある。命令するのは、会話するよりも簡単なのだ。時間もかからない。子供が従えば一瞬で終わる。頭もつかわない。
でも、一方的に命令してしまいそうになったその場所にはきっと、家族の絆を深めてくれる「会話のタネ」が落ちているような気がする。
いつもそうするのはむずかしくても、ほんの少し余裕のあるときは、そのタネに家族みんなで水をあげるような気持ちで育てたい。
下へ下へと根っこが伸びて
上へ上へと茎が伸びる。
四方八方へ枝分かれして、葉っぱをつける。
そうしたらきっと次々と、
つぼみが現れ花が咲く。
「話に花が咲く」なんて言うけれど、
次々と話したいことがやってきて。
話せば話すほど、お互いのことを知ることができる。絆が深まっていく。
そんな家族でありたいなと思った。
何度も何度もこの気持ちを父ちゃんに話しているけれど、いまいち伝わらない。
私は頭の中にあることを、口に出して伝えるのがきっと苦手だ。頭と口がうまくつながっていないような感じがする。「こんなことが言いたいんじゃないのに。なんてお粗末な言葉なんだろう。」といつも思いながら、父ちゃんになんとか伝えようとしている。
でも私は頭の中にあることを、文字にして伝えることが得意だ。グワ〜っと集中して、頭の中にあるものを一気に文字に変換する。それを自分で読み返してみると「そうそう!こういうことが言いたかったんだ!」とスッキリする。
今もスッキリしている。
この文章を父ちゃんに読んでもらったら、私の気持ちは伝わるのだろうか。伝わったとしても「そんなのめんどくさいなぁ」と思われてしまうのだろうか。
それはわからないけれど。
次にケンカしてしまったら、父ちゃんにそっとこのnoteを贈ってみようと思う。
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