ママの私が、2年以上も続けている「運動」とは?
「あきらかに体力が落ちたな。こりゃいかん。」
息子が幼稚園に入るか入らないかの時期に、急に危機感を感じたのを覚えている。
公園でダダッと走り出す息子を追いかけて、ほんのちょっとだけ小走りをしただけで、息がキレてしまう。両足がすぐに鉛のように重くなってしまう。
体を動かさなきゃ!運動しなきゃ!
そう感じ、You Tubeを見ながらストレッチしたり筋トレしたり、時にはエクササイズしてみたり踊ったりしてみるけれど、ほとんどの場合が1日だけで終了してしまう。よく続いても3日。全然続かない。
ヨガインストラクターになるくらい大好きだったヨガさえも、ほとんどしなくなってしまっていた。ヨガマットを敷くのさえめんどくさい。そう思ってしまうくらいに、1日の最後には、それっぽっちのエネルギーも残っておらず、息子と隣でグウグウ眠ってしまう。
そんな状態だった私が、久しぶりに体を動かすきっかけを得たのは、もう2年以上も前のことになる。
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息子が幼稚園に通うようになったある日、息子を幼稚園へ送り出したあと、いつも通り自宅に戻ろうとエレベーターのボタンを押して待っていた。
「おはようございます!」
ニコニコとしたおばちゃんが、おそらくごみ捨てを終えたのであろう出で立ちで、私に元気よく挨拶をしてくれた。
「おはようございます!」
私もニコッと元気よく返事をした。
おばちゃんもエレベーターに乗るかと思って、少し立ち位置を移動したけれど、おばちゃんはスタスタとエレベーターの前を通り過ぎて、階段をのぼっていった。
おそらく1階か2階か3階くらいまでに住んでいる方だったのだろう。私は8階に住んでいるので、エレベーターに乗って家に帰ることがいつも当たり前だった。
階段をのぼるおばちゃんの背中を見た瞬間、ふと「私も階段をのぼって家に帰ってみようかな。運動にもなるしね。」と思ったのだ。
トコトコと階段をのぼりはじめてすぐに、息がキレ始めた。そして5段ものぼらないうちに、両足が鉛のように重たく感じ始めた。
踊り場がくるたびに息を整える。
太ももとお尻の筋肉が悲鳴をあげている。
背中に汗がつたうのを感じる。
でもなぜか「階段をのぼるのをやめたい」とは思わなかった。
今日は、自分の足で階段をのぼって、自分の家にたどり着きたいなと、なぜか思ったのだ。
休み休みだったけれど、すごくゆっくりだったけれど、自分の家のドアの前にたどり着いて。
ハァハァと息はキレているし
きっとホッペはマッカッカだっただろうし
両足全体の筋肉が痛いような気がするし
全身は汗でしっとりしているけれど
「気持ちいい!」と感じた。
この感じ、久しぶりだな。随分と味わっていなかった気持ちだ。この気持ち、どんな言葉で表せばよかったっけ?「達成感」という言葉で合っている?
しずかに興奮しながら、そんなようなことを思ったのを覚えている。
赤ちゃんとの日々は、わかりやすいゴールがないのだ。ごはんを食べさせて、抱っこして、遊んで、オムツをかえて、寝かしつけて、またごはんを食べさせて・・・という無限ループのようにも思えてくる。
そんな息子とべったりの3年間を過ごすうちに、私の頭の中の辞書から「達成感」という言葉がなくなってしまっていた。
そして1人で階段をのぼりきった瞬間、「達成感」という言葉が、ストンと私の頭の中に戻ってきてくれたような気がした。
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その日から、息子を幼稚園へ送り出したあとは、階段をトコトコとのぼって家に帰るようになった。
はじめて階段を使った次の日には、両側のお尻と太ももとふくらはぎが、ひどい筋肉痛になってしまった。
でも、息子を抱っこしすぎて筋肉痛になったわけじゃないのだ。
自分の意志で、自分の足をわざわざ動かして階段をのぼったから、筋肉痛になった。そのことがなぜか嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
「いたたたた・・・」と両足にムチを打ちながらも、2日目の階段を、苦しみとニヤニヤの交じったような変な顔で、のぼりきった。
1週間ほどすれば、筋肉痛もすっかりなくなって、両足が軽いような気がした。自分の筋肉が増えたということを、体で感じられた。
1ヶ月ほどすれば、息もほとんどキレなくなった。自分の肺は強くなったのだと、自分の体で感じられた。
さらに階段をのぼりつづけたある日、「私は毎朝、何段の階段をのぼっているんだろう?」とふと思った。階段をのぼりながら考え事ができるくらいに、余裕が出てきた証拠だ。
次の日には、階段を一段一段のぼりながら、数を数えた。
・・・108、109、110!
自分が毎朝110段の階段をのぼっていたことを知ったとき、なんだかうれしかった。
そしてそれは今も続いている。
今や息もキレない。足もほとんど疲れない。
人間の体は、使えば使うほど強くなる。
続ければ、その強さを保つことができる。
そのことを自分の体で体感した。
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「110段の階段を毎朝のぼる」ということが、私の生活に、無理なくしっくりと馴染んでいる。
なんだかすごく地味だし、オシャレ感もないし、ワクワクするようなことでもないけれど、とにかく「続いている」のだ。
エレベーターで帰っても
階段で帰っても
5分くらいしか変わらないのだから
運動がてら階段で帰ろうか。
なんか達成感があるしね。
なんか気持ちがいいしね。
そんな小さな小さな気持ちに毎日毎日寄り添っていたら、いつのまにか2年以上の月日がたっていた、という感じなのだ。
その110段を積み重ねる毎日が、
ママになって一度弱ってしまった私の"体と心"を、もう一度強くしてくれた。
生活が子供中心になるママにとって、
自分の体を整えたり強くする「新しい何か」を生活に追加することは、思っているよりもむずかしかったりする。
たとえば、エクササイズやストレッチやヨガ、マッサージや整体やエステ・・・
ふと思いついたときにやったり、月に1〜2回通ったりはできるかもしれない。たまのご褒美や気分転換にも、もってこいだと思う。でも、うまく習慣化できなければ、「自分の体を強くする」までには至らない。
体は、何かを"続ける"ことでしか強くなれないのだとしたら。
「ママが続けやすい運動」ってどんなものなんだろう?
その私なりの答えとしては、
「今ある便利な何か」に対して、
あえて「不便」を選んでやってみること
だと思っている。
たとえば、
エレベーターがそこにあるのに、
あえて階段を使ってみる。
いつも自転車や自動車で行くあの場所へ、
あえて歩いて行ってみる。
クイックルワイパーをもっているけれど、
あえて雑巾がけをしてみる。
などなど。
便利なものを全部捨てる必要はないけれど、自分の手を、自分の足を、たっぷり使えそうな場面を見つけたら、あえて道具を使わないでやってみる。
案外、気持ちよかったりするかもしれない。
案外、ゆっくり歩くことで普段気づけないことに気づけるかもしれない。
案外、自分の手で拭いた床が心地良いかもしれない。
その中で、無理なく続けられそうなことを、淡々と続けていく。もともと生活に馴染んでいることの「やり方」を変えるだけだから、やること自体を忘れることはないし、きっと続きやすい。
モデルさん並のナイスバディを作りたかったり、お腹をシックスパックに割りたいとかでなければ、ほとんどの人にとってはそれくらいの運動で十分健康に生きられるような気がする。
昭和の時代や、もっともっと昔の時代の一般の人たちは、体を健康に保つために"わざわざ"運動していたんだろうか?
自分の手と足をしっかり使って生活していたから、わざわざ運動する必要はなかったのかもしれない。
「みんながもっと楽になりますように。」
そんな優しい気持ちが発明の根っこにある
エレベーターやエスカレータ、
自転車や自動車、
掃除機や洗濯機・・・
有り難い存在であることはまちがいないし
それらがなかったら、そりゃ大変だと思う。
でもその存在たちが、私たちの体を弱くしていることも確かなような気がするのは、なんだか皮肉なものだなぁと思う。
もちろん、時間が十分にある時期にいるのであれば、自分の好きな運動やスポーツを生活に取り入れることは、人生を豊かにすることだと思うけれど、
自分の時間を捻出するのがむずかしい時期にいるママにとっては、「生活する中で、自然と体を動かす」というのが「続く秘訣」のような気がしている。
その小さくても「自然と続く習慣」は、ママの体をきっと整えてくれる。強くしてくれる。
毎日いろいろあるけれど、
私は毎朝変わらず110段の階段を、
淡々とのぼり続けている。
その「毎朝変わらない小さな習慣」が、
私の真ん中にドッシリと太い軸を作り、
体と心を安定させてくれているような気がしている、今日このごろだ。
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