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ローマ帝国 地中海を瀬戸内海に置き換えると…

お酒の席で「ローマ帝国絡みはよくわからない、難しそう」とおっしゃった知人に対し僕は、彼が広島出身だったこともあって、「地中海を瀬戸内海に置き換えるとね…」と思慮なく大掴みなローマ史を話しました。
こんな感じ。

大阪をローマに例えます。
高速道路を整備し、地方の首長たちと対話し、京都や奈良を支配下におき兵庫や岡山と姉妹都市提携を結んだりしながら勢力を拡大した大阪。
関西圏全域を支配し日本でも最大勢力となった頃、大阪に対して、淡路島(シチリア)の有力者から淡路島内の敵対勢力から守ってほしいという依頼がきた。
それまでろくに船を使ったこともなかった大阪の人たちは「ここは頑張りどころ」と英断し淡路島に上陸。戦いの場は瀬戸内海の海上にも及んだ。
ここがターニングポイントだった。
淡路島の戦いは、敵対勢力側についた四国(アフリカ)の香川勢(カルタゴ)と、大阪(ローマ)の一騎打ちとなった。

高松の武将(カルタゴ)は37頭のアフリカゾウを従えて愛媛から九州(イベリア半島)に渡り山陽道を東へ進み、兵庫に入った辺りであえて内陸へ進み、六甲山地(アルプス)越えから一気に大阪を攻めた。
戦いの序章だった。

香川との戦いに勝利した大阪は瀬戸内海(地中海)の覇権をとる。
そして、大井川(ドナウ河)を越え中部(ゲルマン)、関東(オリエント)へ勢力を伸ばす。

時は流れ、歴代のトップたちは皆個性的政治手法を用いたが、大帝国の、あまりにも広大なエリアとなった大阪の統治は簡単ではない。
そして東京周辺(トルコ)に息づいていた宗教(キリスト教)を大阪人をコントロールする策として考えたリーダーの登場が、帝国衰退の道の始まりとなってしまった。
彼は都内(イスタンブール)にシンボルとして教会(アヤソフィア)を建てた。

東京周辺は「東大阪帝国」、大阪周辺は「西大阪帝国」と呼ばれるようになり大帝国の勢力は一気に萎んでいってしまった。
ちゃんちゃん。

ツッコミどころ満載ですが。

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