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写真 #とは

TOMOKAです。とりとめもなく浮かんでは消える、写真に対しての呟きをnote日記にしました。時間、記憶、真実、そんなような朧げなもの。

立ち止まって気軽に読んでいただければ、と思います。日常生活のちょっとの刺激でも、思考は変わります。何度となく書くテーマになるかもしれません。noteの募集「お題」タグで綴ってみました。

写真×記憶

写真は、瞬間を切り取ったものです。撮影されたその一瞬から過去になります。長大な時間、そのことを考え続けていました。そこにある関係性や空気感が変わったら、この時は愉しかったなあ、と温かく嬉しく、優しくて懐かしい気持ちになるかもしれません。あるいは、写真を眺めながら感傷的に泣いてしまうかもしれません。

人間が持つ「思い出」とはなんでしょう。「記憶」が記録のようなものとすれば、「思い出」はその時に感じた人それぞれの感情で色付けされます。同じ写真を見たときに、同じ感情の色の「思い出」を共有している人がいたら、素敵だな、と思うのです。

朝吹真理子さんの『TIMELESS』という本を読んだとき、時間は完全には過ぎ去らない、という描き方にちょっと嬉しくなりました。江戸時代の江姫のために400年前の香木を焚いた煙が、同じ場所の現在の六本木あたりに揺蕩う感覚。過去は完全には無くならず、薄ーい幾重ものレイヤーのように辺りにふわっと存在していて、ふと昔に思いを馳せた瞬間に、過去と現在と未来が繋がることができるのでは、という仮説のフィクションです。

音楽、香り、懐かしい味、触れた感覚がトリガーになるかもしれません。五感のなかでも視覚を使う「写真」は鮮やかなディテールがある分、かつて実際に在った時間を、よりリアルに呼び覚ます気がするのです。

凄く楽しそうな写真も、現地ではもっとニュートラルな居方だったりします。写真で皆と笑っていたら、楽しい記憶(記録)の事実になります。写真には現実を変えたり、現実以上に増幅させる力があるように思います。雑誌娯楽記事もポジティブに活用しているともいえます。

私達はSNSの時代に、膨大な想い出を残すようになりました。でも、ここぞ、というハレの日に、ビューティアプリもなくカメラで写していたあの素の感覚の写真。全部が良い表情じゃないけれど、ときに、凄くイイな、という写真がある家族アルバム。そんな、飾らないけれど人間の心の柔らかいところを掴むような写真が好きなのです。

写真と「私の仕事」

編集の仕事をしていると、色んな人が撮影した色んな写真を見る機会が多くあります。温かい、冷たい、きらきらしている、堅実である、センシュアルである… 文字や数字、音楽に色を感じることを「共感覚」と呼びますが、写真にも様々な「感覚」を感じるのです。

枚数も適度に納品して、記事に使用できる写真のヒット率が高く、スケジュールもフレキシブルに希望を聞いてくれる写真家はとても有り難いです。完成という大局への配慮があります。その特集がより良いものになるように撮影して尽力してくれるか、という目的は大事です。

記事を提供する雑誌は、作品集ではありません。クライアントの希望を取り入れながら方向性を決めるのが発案者で、記事の担当者です。出版社でマネタイズもします。旅取材で、もし目的以外の写真を沢山撮りたいのであれば、それは個人の撮影旅行でより叶えられるでしょう。ハードな撮影行程中に個人的なシャッターを切る余裕は生まれないはずなので、究極の納品をしてくれようと高みを目指してくれているのなら良いのです。

商業写真家でありながら作家性の強い人に接して、またお仕事がともにできるように、日々考えを色んな方向から巡らしました。お互いの意向を最初は慎重に確認しながら距離をはかって進めていても、気心が知れてくるとここまで許されるだろう、という甘えが出てお互いに遠慮が次第になくなります。初回の緊張感にリセットして、新しい共作の道を模索しています。例えば、編集部の意向が強く出る特集以外のもっと自由度の高い記事頁を共に創る、作品を提供してもらう、出張中の尽力に対して御礼の意味を込めて自由な撮影時間を設けたら、その人自身のクリエイティブ力を最大限に発揮してもらえるかもしれません。お支払いが日数に対してだとしても、毎日24時間 仕事をお願いするわけではないからです。

特集のお仕事が終わると、俳優が役から抜けられないように、次の仕事までの間、しばらく気分に強く影響を受けたり、燃え尽き症候群になることがあります。達成感とは反対に、何か月もの長い準備時間をかけただけに“ナイーブなエゴ”とはいえ、心に辛く残ってしまうほど感じることがあります。

版面を保存用以外に渡す場合は個人の宣伝に使われるためではなく、雑誌の宣伝が主たる目的です。実際は、映画のエンドロールとまではいきませんが、クレジットが通例では発生しない職業を含め、雑誌にも多くの人が携わっています。作者が有名無名は関係なく、感情や意図を持ってつくられるものは、すべてクリエイティブな作業なのです。私自身は、宣伝と合わせて、リアルに顔見知りで繋がっている範囲は名前を挙げたいところです(本人がタグを嫌がらず希望するなら)。

特集冒頭ではない、撮影者以外スタッフクレジットのない見開き記事がありました。一枚の写真から想起される文章のトンマナ、あえて文字量を制限した微細な縦横の文字レイアウトに合わせて、といった色々な計算をして、大切に時間をかけて作り込んだ原稿でした。宣伝用に版面を渡す際の条件の執筆のメンションがなく、雑誌名とリンクのみでSNSで宣伝されたことがありました。小さい画面で文字を拡大して読む人がいなくても、全文掲載にはクレジットを入れる、あるいは一部掲載にする、文字にあきらかなぼかしを入れる、文字無しの写真のみを使って宣伝する、などの配慮が欲しかったところでした。写真家が撮影クレジットを入れるなら、編集執筆も記名式原稿のプライドを持って同様に著作権のクレジットを記載すべき、と思ったので伝えましたが、言葉足らずでした。

無記名でも素晴らしい仕事をされる方はたくさんいます。どちらもケースbyケースで、その人のプライドで、尊重されるべきと考えるのです。

逆に、関係者から思いもかけずに、御礼の言葉をかけてもらう時は嬉しいです。他のクリエイターにも気を遣いながら、俳優okの撮影風景や掲載アザーの素材等を上手く告知で使ったり、取材対象に関しても編集部をハブ(hub)にしてくれるような繋がりのリスペクトが上手い人は気持ちがよく、またお仕事を一緒にしようと思わせてくれます。

noteの過去お題。「つくるのはたのしい」

最初の投稿に書いたのですが、ここはアバターの編集後記です。アバターだと、不思議といろんな悩みが起こりません(笑)。

私は写真家のプロジェクトで、写真を撮ってもらいました。今でも疲れたときにセレクトカットをそっと眺めるくらい、とても気に入っています。自分が写っているからではありません。視点が温かく、見ると「写真温度」を感じて心が落ち着くのです。その人の風景写真は、孤高の落ち着いた世界観といいますか、ちょっとクールで構図も整ったよそゆきの印象を受けます。誌面にする際には、その静かで真摯な主張で作り上げられた世界観を壊さず、雑誌の方向性もあって少しだけ華やかに調整する時もあります。

でも、おそらくその人の真骨頂は、在るがままの自然なポートレートで、近しい人を写すそのほのかな人間の温かみを例えば上質なマット系の紙に載せたら、とても綺麗だろうな、と思うのです。

CS放送で、舞台女優×女流写真家が旅先で写真セッションをする「旅美写美(たびさび)」という番組があります。もう何年も前の番組で先日再放送を見ました。

場所は、竹富島、箱根、長崎…とバラエティに富んだ国内のロケ地。いつかこちらをアイデアソースに、何か形を変えて実現してみたい、と思っています!

人間です。

人生の最終は、人のために何をしたのか、何をしてもらって感謝をしたのか、に尽きるような気がするのです。人だけではなく、動物や植物にも。「他」に対して。

そのための進め方は、快いものだったら、みんな嬉しい。コミュニケーションが単一でシンプルであったとしたら、齟齬も起こらない。

でも、AIでも処理しきれない「伝達」の方法が多岐に渡れば渡るほど、悩みも発生する。それは、感情であり、表情であり、雰囲気であり、言葉であり、感覚であったり、知性であったり、経験であったり。または何にも属さない、五感でも感知できない何か。ある意味、それはとても人間らしいな、と思う最近なのです。

私達は、その複雑さの中で、AIに代わられない能力で懸命に意思疎通しようとするのです。

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