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手紙その18『悲憤手放し、赦し赦され』

ついにこのテーマを書くときが来た。
僕は闇雲に『怒り、悲しみを手放せ』と言うのではありません。また、その発露、表現を否定するものでもありません。
『マイナス思考を何とかしたい』と思う人の一助になればという思いで書きます。


はじめに

僕は人を動かす時に『マイナスな感情』を用いたくない。

怒りに任せたり、涙で訴えたり。
それで他人に問題解決行動をさせる人がいる。
けれど、一時的な情動は不安定で長続きしないものだし、感情的になると判断力も落ちる。
その感情から離れた時、その過去の自分の行動が本当に正しかったか後悔する事も多い。

感情で動かすのではなく、行動で動かす。
これは手紙1『誠』で書いた『至誠』のお話。
誠実に行動にすれば動かせない人はいない。

『誠実』は感情的側面もある。
それは他人を思いやる『利他的な感情』。
逆に怒りや悲しみは『利己的な感情』だ。
いや、その感情で引き起こす結果が『利己的』なだけであって、ストレスそのものなのだから『自虐的な感情』とも言える。

『自分以外の誰かのために行動する。だから、ともに行動を起こそう』
『あなたはわたしのために行動しろ』
この2つは違う。
エベレストとマリアナ海溝くらい違う。

この『利己的な感情』を利用せず、これに悩まされながらも、強く生きている人を。
また、この『利己的な感情』を『利他的なモチベーション』に変換して生きている人を。
僕は本当に尊敬している。

それでも

怒ること、悲しむこと、を否定はしない。
その理由は最後に書く。
それでも、迷惑の種になるのは避けたい。
怒りを御するための学問として『アンガーマネジメント』なんて言葉ができるくらいには、『怒り』が『害』であると認知されてきたし、古来より東洋医学的にも怒りは『肝』を傷め、悲しみは『肺』を傷めるとされた。

自然界において動物が『喜怒哀楽』を表現する際にも、『怒』だけはハッキリとわかる。
それが種の存続に関わる闘争・逃避反応と結びついているからだというのも想像に難くない。
しかし、現代社会で生存に関わる場面は少ないのだから、自ずと『怒り』の必要性も下がる。
なのに人は怒ってしまう。

どうすれば感情をコントロールできるのか?
人間社会で『手放す』必要があるのものと自然界から『再獲得』する必要があるものの2つの観点から、書いていこうと思う。

『手放すもの』

①被害者意識

これが大前提として欲しい。
『どうせ私が悪い!』『おまえのせいだ!』
違う。あなたは悪くないし、誰も悪くない。
基本は皆、楽しく笑って暮らしたいはずだ。
だから、全てがあなたを傷つけたい訳ではない
悪意で怒らせたがる人や傷つけたがる人もいる。
それでも、誰も悪くない、と頑なに信じ、思い込み続ける。
私はそこまで悪くない。あなたも悪くない。
だから、私は怒る必要がない
その様に被害者意識を下げれば下げるほど、
相手の立場で物事を考えられるようになる。
『誰が悪いの?!(あなたでしょ?!)』と責める人は深い所で『本当は自分が悪い。自分がしっかりしていればこんなことにはならなかった』と思っていたりする。
でなければこんな言葉はでない。

②期待

手紙その15『ゼロ』に書いた期待値ゼロ。
『期待しない』とは『何も起きない』という事。
人は勝手に期待して、勝手に裏切られたと怒る。
だけど『期待しない』と『信用しない』は違う。
信用しているが、何も望まない。
望まないから、何も起きない。
何も起きないから、裏切られない。
裏切られないから、怒りや悲しみは湧かない。
このプロセスを構築しなければならない。

③依存

『他人次第』を手放し、『自分次第』へ。
『依存』から『共感』へ。
人は制御できないものに対して怒りを感じる。
自分の目標達成が自分以外の手に委ねられるような状況はチームスポーツなどではよくある。
相手と自分の状況を見極めれば、怒りたいのは自分だけでない事がわかる。
他人に依存せず、共感し、他人が関係する自分の問題を自分軸で解決していく事が怒りを遠ざける。 

④当事者意識

これは『俯瞰』で観るということ。
当事者意識を手放すというのは一見、無責任にも思えるが、客観的に物事を考えねば見えない本質もある。
問題は解決しないが問題を正しく評価、分析して本当にその『怒り』が適切かつ適正量なのかを判断する。
俯瞰は『気付き』をもたらす。
問題解決の糸口が掴めて初めて、当事者意識や責任を取り戻す。


『再獲得するもの』

①今を生きる

怒らない人は『今ここ』の問題解決に目を向け、
怒る人はその問題の原因や責任を過去に求める。
賢者は『〇〇のせいだ!』では問題は解決しないまま、怒り続けることを知っている。

②警戒心

イライラしている人からは遠ざかれ。
『他人は自分を映し出す鏡』
それは手紙その8『鏡』に書いた。
その逆も然りで、あなた自身も鏡なのだ。
他人のイライラを反射して良いことは何も無い。
他人と自分の心情の機微を読み取ること。
そこに怒りや悲しみの感情があれば離れること。

③予測

『悲憤』が未来にもたらすものを考える。
人に向かえば、人を傷つける。
物に当たれば、壊してしまう。
一時の感情に振り回されて、取り返しのつかないことにもなりかねない。
感情的になることのデメリットを知ろう。


そうして行き着く所は…

『許し』と『赦し』

『許し』は許可するという意味合いが強く、
『赦し』は罪や過失を責めない意味合いが強い。
どちらも同じ意味で使われる。

僕が『怒り』や『悲しみ』を否定しない理由。
それは、このマイナス感情を乗り越える成長プロセスの最終地点が、『赦す』だからだ。

上記の『手放すもの』『再獲得するもの』は悲憤を制御するための方法だ。
僕はこの方法を突き詰める過程で『赦し』になると考えている。

子ども同士が喧嘩した時の仲直りでよく見かける『ごめんね』『いいよ』のやり取り。
表面だけ取り繕って、その実は『ごめんね(怒)』『いいよ(怒)』になっていることも多い。
そもそも『いいよ』って何様なのか?
『許してあげる』とは、やけに上から目線だ。

そう、罪悪は明確な上下関係を作り出す。
『罪悪感』はババ抜きのジョーカーなのだ。
持つものは責められる。
持たざるものは責める事が許されて、相手を『許す』か『許さない』かの生殺与奪の権利を与えられる。
そのジョーカーのなすりつけ合いこそが『喧嘩』。
醜いシーソーゲームの成れの果て。
そんな喧嘩が終わる時の『許し』が『赦し』なわけがない。喧嘩両成敗だ。

本当の『赦し』はもっと潔い。
『ごめんなさい』
『こちらこそごめんなさい』
たったこれだけ。
相手の立場に立つ。
フェアな心で相手を慈しむ。
未来志向で問題解決にフォーカスし、解決する。
その経験を成長の糧にする。
その過程にこそ―

社会通念上、赦してはいけない問題や赦せない問題もあるだろう。
もしも家族を傷つけられたなら、僕は怒り狂って赦すどころではなくなる。
そこで、『手放し』と『再獲得』に立ち返る。
そうして正しい判断によって、正しい選択をし、正しい行動を起こして問題に立ち向かう。
その時に選んだのが『赦せない』なら、それが正しくて、その選択、その過程にこそ―

いいかい息子たち。
不必要を手放し、必要を再獲得し、
相手を赦して、自分も赦される。
その過程にこそ最高の価値があるんだ。

菜の花
花言葉は『仁愛』

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