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手紙その8『鏡』

いいかい息子たち。
この話は長くなる。
僕の宝物の『鏡』の話だ。
読んでくれないか。
読んで僕の人生に意味をくれないか。

僕は二十代の前半を放課後等デイサービスの学習指導員として過ごした。
親友の母親が所長をしていて、その紹介だった。
それは言うなればリハビリだった。
十代の後半を気胸と鬱の闘病に費やしたからだ。

18歳の時、一年で3回手術した。
それ以前と合わせると、この時点で5回だ。
それでも再発を繰り返した。 
気胸は肺に穴が開く原因不明の病気だ。
胸の痛みと息苦しさにずっと苦しめられた。
周りは青春を謳歌していた。
思春期の僕は白いカーテンの中にいた。
健常者が羨ましくて仕方なかった僕は、
彼らの胸にナイフを突き刺して回りたかった。
そんな想像をする度に、僕の肺に穴が開いた。
僕は入院中、ストレスに気が狂った。
日中は脱け殻のように過ごし、夜間は叫んだ。
何を叫んだのか。
看護師が言うにはずっと謝り続けていたらしい。
結局、全身麻酔下での手術では治らないと判断され、胸膜癒着術という、最も優先順位の低い治療法に縋るしかなくなった。
これは肺の中に薬物を注入し、故意に炎症を起こし、肺を癒着させて固定させるというもの。 
成功すると穴は塞がり、肺が萎むことはなくなるが、炎症の間は激しい痛みと熱を伴う上に次から肺の手術が簡単にはできなくなるという、かなりハイリスクな選択肢だ。
意を決し、僕はこの地獄を耐える事を選んだ。
病気の症状とは比べ物にならないほどの痛みが三日三晩続いた。
これが功を奏した。
18歳が終わろうとしていた。

そんな僕の苦労を誰がわかってくれるのか。
両親や祖父母ですら分からなかったのに。
これから働く先の小学生になんて分かるものか。
なんの苦労もない、親の庇護の下で悠々自適に暮らす健康体の彼らなど、僕が一番、刺殺したかった妬み嫉みの対象なのだ。

けど仕事は仕事だ。僕は負の感情を押し殺した。
適当に仕事して給料貰っとけばいい。
親友の母親の顔だけは立てて。
本当にそう思っていた。

子ども達はそんな僕を嫌った。
アホだの、キモいだの、黙れだの。
数え切れないほどの罵声を浴びせてきた。
腹は立たなかった。悲しくもなかった。
それまでの過酷な体験が全てのことを『どうでもいいこと』にしたからだ。
絶望的にこの仕事に向いていない。
そのことに気づくまで時間はかからなかった。

僕は何のために命を繋いだんだろう。
家族や友人には哀れまれ、職場では罵倒される。
自分と周囲、陰と陽、闇と光。
そのコントラストに目眩がした。

肺の穴は塞がっても心の空虚は満たされない。
僕は何も変わらない。

そんな絶望の中で手にふと取った本があった。
『偉人の名言集150』
入院前に買って病室で読み続けていた本だ。
何気なくパラパラ流し読みした。
すると入院生活がフラッシュバックした。

辛い苦しい死ぬのが怖い。
健常者が妬ましい。
人並みの幸せすら叶わない。
悔しい。親が恨めしい。
死にたい。

あらゆるネガティブな感情が襲ってきた。
けれど、それが僕に生きている実感をくれた。
その『歪な生』を味わっているうちに、あるページで手と目が止まっている事に気付いた。
何故か、輝いて見えたその言葉とは―、

人こそ人の鏡なれ

近松門左衛門

ああ、そうか、そうだったのか!
人は自分の姿を投影する鏡なのだ。
『恨み』『辛み』『妬み』『嫉み』
僕はあらゆる負の感情を投影してきたのだ。
そのことに気付いた時、僕の地獄に光が差した。

子ども達は僕をバカにしてきた。
違う。
バカにしていたのは僕の方だ。

親は健康に産めなくてごめんと泣いて謝った。
違う。
こんな僕でごめんと謝りたかったのは僕の方だ。

あぁ鏡だ。
ネガティブの全てが投影されて返ってくる。
なら、僕のやるべきことは何か。
ポジティブの投影以外にない。

考えろ。発想を変えろ。気付け。
僕は今、絶望の淵にある。最底辺。
落ちるところまで落ちて、これ以下はない。
じゃあ、この地点をゼロにすれば…
ここより前にあるものは全てプラスじゃないか!

そして、忘れちゃいけない僕も一人の鏡だ。
『人は鏡』ということを知っている鏡だ。
向こう側に投影するものを選択できる鏡だ。
ネガティブをポジティブで投影するんだよ。

そうと決まれば見つけろ。ポジティブを。
子ども達に自分にないものを見つけたら、
その全てを尊べ。
彼らに大人にない優しさや愛おしさを感じたら、
その全てを敬え。

子ども達を変えるんじゃない。
自分が変わるんだ。
見え方と行動を変えるんだ。

すると何が起きたか。

少しずつ子どもたちの態度が変わってきた。
深く話せる子どもが一人ずつ増えていった。
すると彼らなりに苦労を抱えていたりすることもわかってきたし、それを乗り越えようとする姿にも励まされた。
1ヶ月で辞めるところが、気がついたら5年。
異例中の異例の長期勤続だったらしい。

いいかい息子たち。
ネガティブにポジティブを見い出すんだ。
どんな死地にも活路はある。
可能な限り前向きであれ。
それは人が鏡となって投影されるから。
そう、投影されたものが『世界』になるから。

それが可能であるほどに
僕は君たちを尊敬している。

露草
花言葉は『尊敬』

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