kenekene

自分を癒し、人々を癒しながら、生きる喜びを分かち合いたい。 自分の内面と向き合い、やが…

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自分を癒し、人々を癒しながら、生きる喜びを分かち合いたい。 自分の内面と向き合い、やがて愛そのものになって本当の自分を見つける事を目標に、 日々の生活を送っている田舎のオバサンの日記です。

最近の記事

お豆腐のランチ♪

今日も雨模様で、気分は晴れないと思いきや、草取りをしなくていいではないか!と自分に都合の良い言い訳をして、「さてどこへ行こうかなぁ?」としばし考えて。 そしたら、先週時間がなくてランチできなかった、「白神とうふ」さんへゴー! 先週テイクアウトしたよもぎシフォンケーキも美味しかったが、今日はお目当ての「白神お豆腐ランチ」を堪能。 山菜の「フキ」や「ミズ」も嬉しい。 肉・魚は無し! 茶飯の上にたっぷりのったお豆腐。もともとお豆腐はあまり好きじゃなかったのですが、最近は美

    • 日本人の心。

      偶然見たYouTube。 黒人夫婦が小さな子供を連れてバスに乗った際、混んでいて、そのうち子供が泣き出した。「うるさい!」と怒鳴られるかも・と困っていたところ、若いカップルが席を譲ってくれたとの事。それで気持ちがホッとしたら、お子さんも泣き止んでくれて助かったと。 また、別の外国の方がバスに乗った際、先に料金を払うのに慣れてなくて、お金を出すのにあたふたしていたら、自分の国では後ろから怒鳴られるのに、なんと後ろにいた男性が必要な分のお金を教えてくれて、無事料金を払う事がで

      • エコバッグ作りに参加しました☆好きな「シマエナガ」ちゃんを書きました。絵心全く無いので、幼稚な作品になってしまいましたが大丈夫!使ってやるゼ☆

        • 今日のお母ちゃん☆

          お料理のレパートリーは減りましたが、まだまだ頑張ってます・ お母ちゃん♪ 今日は豚の薄切り肉を醤油と酒で焼いて、トマトとレタスを 付け合わせていました。素晴らしい!! 冷蔵庫には「焼肉のタレ」が入っている事を何度も伝えている んだけど、忘れてしまってお醤油で味付けを。。。 でもイイんです、美味しいから! 内職に励みながらテレビを見て、9時半と15時にコーヒータイムで 薄皮つぶあんぱんを半分ずつ食べて。 1日のルーティーンの中で、ただ淡々とやるべき事をやる。 朝は朝で

        お豆腐のランチ♪

          母親の選択。

          今日、母親の受診に付き添いました。 認知症特有の小刻み歩行になっている事と、癌による貧血でふらつきが あり危険なため、院内でもずっと手をつないで歩いています。 それでも家の中では炊事をし、本人が「ボケ防止」といって安い工賃で 内職をしています。80歳にしては、老いている方だと思います。 自分はケアマネをしているので、認知症がどういう経緯をたどるかは 熟知しているつもりですが、いざ自分の肉親となると対応がまるで違ってきます。 担当している方々やご家族には偉そうにアドバイスや

          母親の選択。

          人間だから、仕方ないよ☆

          本当は、いつも親切でいたい。 本当は、いつも誰にでも、優しい人でいたい。 本当は、いつもスマイルで平和な人でいたい。 でも、でも、それは無理です。自分は特に・です。 自分が一番大事。自分が最優先。 自分の気分が一番大事。 でも、それでは世の中渡っていけない時がある。 仕事中は特に、自分を押し殺して頑張らなきゃならない時がある。 それでいいんじゃないかな。 だって、だって人間だもの。 感情持ってる人間だもの。 明日が休みだと、気持ちが優しくなる。 明日、やっかいな

          人間だから、仕方ないよ☆

          戻ってきてみました。

          前回の記事から、はや一年経ちました。 自分の飽きっぽさに、ほとほと呆れます。 でも、書きたい事があって、舞い戻ってしまいました。 あまり構えず、自分のペースで、自分の言葉で、自由に気ままに書いていきたいと思います。。。 毎年梅雨時になると、パニック障害を発症した時期と重なるためか、症状が出てきます。ここ2~3日調子が悪い。 息苦しくて、胸の辺りが重苦しくて、じっと座っていられない事が多い。 そんな時は、その辛く思い気分をじっと感じて見つめてみます。 とても辛いんだけど、「

          戻ってきてみました。

          パニック障害と結婚②

          前回の投稿から、かなりの月日が経ってしまいました。 自分なりに「病気と共に頑張った」事を書くつもりで いましたが、どう考えても「頑張った」事になっていないと 気付き、書く事が出来なくなってしまいました。 かなり省略しますが、結局結婚はうまくいかず、私が家を出る 形で別居し、その後離婚する事となりました。 今でも思います。自分には忍耐力が無い。 人としての大事な部分が幾つも欠落している。 ただ、離婚して約20年も経ってしまった今は、全てなるようにしかならなかったのだ・と思

          パニック障害と結婚②

          パニック障害と結婚①

          32歳で発症し、もがきながら生きる事に精一杯で、人並みの幸せなど、 とうに諦めていたのですが、34歳になってお見合いの話が持ち上がりました。 恋愛はいくつかしてきましたが、一人娘で父親は酒乱でお金が無い家となると、家を出て嫁に行けるわけもありません。 「できるものならしてみたい」とは思っていましたが、不可能と思い、諦めていました。 ところが友人の紹介で、お相手も40歳まで独身で、親御さんの介護をしているうちに婚期を逃してしまったというのです。 こんな病気を持っている女

          パニック障害と結婚①

          パニック障害と乗り物について

          発病して少し経ってから気づいたのですが、 「逃げられない」状況がとても怖いのです。 私の場合は、倒れ込むような発作ではなく、息苦しくなって、とてつもない不安感が襲ってきて、居ても立っても居られない状態になってウロウロしてしまうのです。 倒れ込むほどではないので、どうにか周りには何でもないように振る舞いたいのです。取り繕いたいのです。 そんな時は、お薬を飲んでもすぐには治まらず、少しの間苦しみます。 そんな発作が怖くて、「逃げられない状況」は避けたいのです。 幸い私が

          パニック障害と乗り物について

          パニック障害のお薬について

          始めてお薬を処方されたのが、確か「メイラックス」だったかと思います。 とてもよく効いて、それまでの息苦しさがすーっと消えたのには驚きました。 でも、お薬をきちんと服用していても、症状自体は急に出現します。 そこで、対処療法では治らない・と考え、心療内科を標榜している病院へ行きました。個人病院でしたが、先生は長い時間をかけて、色々聞いてくれました。 そこで処方されたのが、メイラックスではなく、安定剤系のお薬だったのです(名前は忘れましたが)。何種類か処方された記憶がありますが

          パニック障害のお薬について

          闘病中に受けたカウンセリングについて

          現在のようにネットが普及している訳でもなく、またパニック障害などという病気もあまり知られていない頃だったので、情報が乏しかったと思います。 その中で、「内観」というものがある事を知りました。 どこでそれを知ったのか、思い出そうとしても思い出せませんが、「親子内観研修所」という所に行きました。 そこでは女性の所長さんが、ご自分の家を使い、1週間だったと思いますが合宿のような形で泊まり込んで、ひたすら自分の内側と向き合うという事をします。 ただ、その時の私は、とにかく家が一

          闘病中に受けたカウンセリングについて

          パニック障害を発症してから②

          待望の半年間の失業生活が始まりました。 10月から翌年の3月までの半年間、さて、どのようにして生活しようか? 社会に出てからほぼ働き通しで、長期間家で過ごすなんて、初めての経験でした。 失業保険の申請でハローワークに行きました。大勢の中は苦手でしたが、お金を得る為だと言い聞かせ、必死に頑張りました。 でも、その時は発作は起きませんでした…。 今思うと、自由に移動できる空間だったからかも?と思うのです。 毎日千羽鶴をおり、早く良くなって仕事に復帰するのを目指して毎日を過ご

          パニック障害を発症してから②

          パニック障害を発症してから①

          32歳で発症してから、どんな病院へ行ってどのようにして 生きてきたのかを、書きたいと思います。 かなり年月が経っていますので、記憶もおぼろげで正確では ないかもしれませんが…。 まず、母と二人で買い物に行った帰り、自分が運転する車の中で 突然息苦しくなり、心臓がバクバクし、めまいのように視界が グルグル回って、「どうしたんだろう??」となったのが、最初 でした。 今、書いていても、当時の戸惑いを鮮明に思い出し、少しだけ ドキドキしてきますが。 慌てて家に帰り、しばらく部

          パニック障害を発症してから①

          パニック障害のこと。

          32歳でパニック障害を患いました。 それから23年間、薬を服用してきました。 昨年(令和2年)12月まで、薬無しでは生きて来れなかった。 なぜ断薬できたかというと、自分でもはっきり分からないんです。 ただ、無理に意気込んで「止める!」と決めたわけではありません。 「そろそろ、止めようか」と思いました。 病気になるきっかけや原因を、外部のもののせいにしようとすれば、いくらでもする事ができます。 実際私の家は、私が10歳の時に父親が病気で働けなくなった時から、ずっと地獄でした

          パニック障害のこと。