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パニック障害を発症してから①

32歳で発症してから、どんな病院へ行ってどのようにして
生きてきたのかを、書きたいと思います。
かなり年月が経っていますので、記憶もおぼろげで正確では
ないかもしれませんが…。

まず、母と二人で買い物に行った帰り、自分が運転する車の中で
突然息苦しくなり、心臓がバクバクし、めまいのように視界が
グルグル回って、「どうしたんだろう??」となったのが、最初
でした。

今、書いていても、当時の戸惑いを鮮明に思い出し、少しだけ
ドキドキしてきますが。

慌てて家に帰り、しばらく部屋で横になりました。
7月の梅雨の最中で、ジメジメと蒸し暑い頃でしたので、
きっと暑さでヤラレたんだろう・ぐらいにしか、思って
いませんでした。

夜までには治るだろうと思っていましたが、全然良くならず、
むしろ酸素が薄いような息苦しさがずっと続いていました。

次の日、偶然仕事が休みだったので、隣町の病院へ行きました。
内科を受診しました。

レントゲンや血液検査など、一通りの検査をしましたが、異常なしで。

確か、薬も出なかった気がします。

その時、自分の中で、「これはとんでもない事が起こっているかも」と、
何か直感のようなものがありました。

実際2~3日経っても息苦しさは無くならず、地獄のような苦しさの中で、
どうにか仕事をこなしていました。

再び仕事が休みとなり、もう一度病院へ行った時、その先生が、「○○市
で心療内科をやっている後輩がいるから、そこに行ってみては?」と
言ってくれました。

「心療内科??」その時は、どんな病院かも分からずに、とにかく楽に
なれるのならと、受診しに行きました。

特に変わった病院ではなく、普通に内科の病院でした。

先生は少し時間をかけて、発症までの経緯をじっと聞いていましたが、
「これを1日3回飲んでみて」と、抗不安薬を処方してくれました。

その時に処方されたのが、ソラナックスだったか、ワイパックスだったか
定かではありません。何件も病院に行ったので、忘れてしまいました。

とにかくそのお薬を飲んだら、間もなくそれまでの息苦しさが、嘘のように
無くなったのです。

「あれ?治ったのかな?」と、一瞬嬉しくなりましたが、自分の中で、
「簡単に治るものではない」と、何か予感めいたものを感じていました。

それでも、どうにか仕事をする事が出来て、何日かは過ごす事が出来ましたが、時折自分がどうにかなってしまうのではないか?という不安感が襲ってきて、実は治ってはいないのだと思い知らされました。

そうしているうちに、仕事をするのが辛くなり、とにかく家に帰って一人になりたい気持ちが強くなりました。
「どこへも出たくない」
仕事を辞める決意をしました。



発症した頃を振り返ってみると、実は精神状態が普通ではなかったと思います。
ある習い事の講師をしていて、公民館の一室を借りて授業をするのですが、とにかく火の元や戸締りに尋常ではないくらい神経質になっていました。
俗に言う「確認障害」というものです。

何度確認しても不安で不安で、家に帰ってから母親を連れて確認してもらう事までしていました。
自分でも、「何か変だ」と思っていました。

そのころは父親も肝臓を壊していて、お酒は一切やめて、家の中は今まで経験した事がないぐらいに平穏だった頃なのです。父はお酒を飲まないと、とても優しい仏のような人だったのです。

それにも関わらず、いつも誰かに責められているような、失敗したら大変だ・取り返しがつかない!などといった強迫観念が常につきまとっていたのです。

お酒を飲んでいた頃の父は、ちょっとした失敗も許さず、いつまでもその事に対して責めてきて、父の前では絶対失敗できない・という緊張した状態が常にありました。

それが…お酒を止めて優しい人に変わってからも、強迫観念は無くなるどころか、かえって増強されていたのです。

とにかく、「家にいたい」「誰にも会いたくない」「何もしたくない」という思いでいっぱいで、次の講師に引継ぎをする1ヶ月間、死ぬ思いで仕事をこなしました。幸いにその当時は、病気だというと失業保険もすぐにもらえましたので、最後の日まで頑張って、ようやく家にこもる生活に入る事ができました。

ただ、我が家は私の収入がなければ成り立っていかない家でしたので、そう長くは養生できないとわかっていました。
半年、失業が切れるまでの半年で治さなくては!

不安でいっぱいの、静養に入ったのでした。


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