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パニック障害と結婚①

32歳で発症し、もがきながら生きる事に精一杯で、人並みの幸せなど、
とうに諦めていたのですが、34歳になってお見合いの話が持ち上がりました。

恋愛はいくつかしてきましたが、一人娘で父親は酒乱でお金が無い家となると、家を出て嫁に行けるわけもありません。

「できるものならしてみたい」とは思っていましたが、不可能と思い、諦めていました。

ところが友人の紹介で、お相手も40歳まで独身で、親御さんの介護をしているうちに婚期を逃してしまったというのです。

こんな病気を持っている女を、誰がもらってくれるか!と思いましたが、丁度父親との関係が最悪になっており、家を出る事が出来るなら、誰でもいいと、すがるような気持ちでお見合いをしました。

本当は私がいなければ、家の経済は回っていくはずがないのですが、母親は私の事を思い、いい人であれば行ったらいいよ・と言ってくれました。

全てタイミングが合ったのでしょうか。父親も、一向に回復しない娘を、見ていたくなかったのでしょう。反対する事もなく、またお相手も独り身で大変だった事もあり、すんなり話がまとまり、嫁ぐ事になりました。

私の病気もあり、結婚式はもちろん、写真も撮る事なく、限られた親戚からのお祝いをもらい、質素に嫁ぎました。

今思えば、まるで「避難する」ための結婚だったように思います。

恥ずかしながら、30歳過ぎるまで親元で生活していた者にとって、家事全般をこなしながら仕事をするのは、正直大変でした。病気を抱えながらだと尚更です。

夫は何事にもこだわらない人で、とても大らかで、悪くいえばズボラでした。少しぐらい散らかっていようが、お料理を失敗しようがお構いなしの人で、寒い時期に外出する時も、帰ってきた時に寒いのは嫌だと言い、ストーブを点けたまま出かけるのです。

「火事になったらどうするの」と言うと、「そうなれば、火災保険入っているから大丈夫」と言います。いくら気を付けても、家事になる時はなるんだ・と言います。

また、戸締りもほとんどしません。田舎という事もありますが、盗まれて困るような高価なものはうちにはないから・と。
なんと大らかな…。

そんな夫と暮らすうち、あんなに火の元・戸締りの確認障害に苦しんでいたのが、少しずつですが、あまり気にならなくなってきたのです。

何しろ一家の主が「気にするな」と言うのですから、「そうだよね」となり、徐々に症状が和らいできました。

父親の呪縛から逃れる事ができた気がしました。
生まれて初めて、自分の思うように生きている気がしました。

ただ、そんな都合のいい話があるわけなかったのです。

元々一人っ子のわがままです。

徐々に、だらしない夫のあら捜しが始まりました。

最初は大らかに見えていたところが、だらしなく思えてきて、イライラがつのっていったのです。

そのだらしなさは、自分にとって救いだったはずなのに、毎日イライラするようになりました。

また、お金の面でも、もめるようになりました。

私も貧乏でしたが、夫も貧乏な家に育った人でした。

私が買ってくる食材に対して、色々意見を言うようになりました。

でも、こちらもパートではありますが、仕事を持っている身です。

仕事の帰りに、夫の母親が入所している施設にオムツを届ける事もしていましたので、毎日結構忙しかった。

そんな、小さな、どうでもいい事・少し頑張れば済むような事も、段々と不満の種になってきて、「こんな苦労するぐらいなら、1人で暮らした方がましだ」とまで思うようになりました。

妻として頑張るのが当然なのに。
夫のおかげで段々回復してきているのに。

でも、踏ん張る事ができず、「離婚して自由になりたい」という思いで頭がいっぱいになってしまったのです。

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