「汚れなき悪戯」マルセリーノを語る 9回目の映画
※前半ネタバレなし、後半ネタバレあり
※この記事の内容はあくまでも個人の解釈です
あだ名または愛称
つまり親愛の証。
幼さとゆうのは残酷で辛辣なあだ名も時にはあるが
小学時代にもらった名は嬉しくて
今でも使っている奇成(キナリ)です。
とゆうことで今回は映画「汚れなき悪戯」についてです。
0.作品紹介
原題「Marcelino Pan y Vino(パンとワイン)」/1955年
モノクロ作品のスペイン映画
ジャンル:コメディ/ドラマ
原作:1952年発表のホセ・マリオ・サンチェス・シルバの小説
◆あらすじ
聖マルセリーノ祭を迎えたスペインのある小さな村。
村中の人々が参加する中、病床に伏す少女に僧侶がこの日にまつわる
今は忘れ去られた物語を話して聞かせる。
修道院の門前で捨てられた赤子
少年マルセリーノ(パブリート・カルボ)の美しい奇蹟の物語を......。
その他キャスト
修道院長:ラファエル・リベレス
修道士(料理番):フアン・カルボ
鍛冶屋:ホセ・ニエト
ホセ修道士:アントニオ・ビコ
スタッフ
監督・脚本:ラディスラオ・バホダ
脚本:ホセ・マリオ・サンチェス・シルバ
製作: フリオ・ペーニャ
撮影:ハインリヒ・ゲルトナー
音楽: パブロ・ソロサバル
1.日常 ※ネタバレなし
劇中の「マルセリーノの歌」は当時、日本でも人気を博したそうです。
この曲は12人の修道士が不器用ながらもいたずらっ子のマルセリーノを見守る一日を描いたものです。
音楽にあわせた、リズミカルな映像も魅力の一つになっています。
この曲にも出てきますがマルセリーノが彼らにつけた”おかゆさん”や”病気さん”なんかの
あだ名がなんとも可愛い。
親愛が感じられて彼らが互いに愛し合っているのが伝わってきます。
↓↓ここからネタバレあり↓↓
2.イタズラな孤児 ※ここからネタバレあり
ある日、マルセリーノはマヌエルという少年の母である女性に会います。
この女性をきっかけに彼は母という存在と同世代の少年がいることを認知し、自分の母、友人を恋しく思い始めます。
外界との交流が少ない彼にとってその出来事は彼の心に大きな変化をもたらします。
マルセリーノはよくイタズラを仕掛けます。
悪戯は悪意のあるものもありますが、純真な彼のイタズラは持て余した元気を発散させている様子で、一緒に遊ぶ相手が欲しくて仕掛けたものだと感じました。
僧達は彼のことを愛してはいますが、忙しく遊ぶ機会はなかなかありません。
イタズラは最大のかまって攻撃の手段のひとつでもあると思うのです。
そういう背景に目を向けるとイタズラさえも愛らしい。
それでも遊び相手がおらず孤独だった彼は空想の友人マヌエルと遊ぶようになります。
愛されていても一緒に過ごすのとそうでないのとでは
孤独の寂しさを紛らわせるのは難しいものです。
3.無垢
■パンとワイン
聖書ではパンは”キリストの肉体”、ワインは”キリストの血”を表しています。
禁止されていた二階にいたのは磔のキリスト像。
マルセリーノは彼にパンとワインを分けます。
像のキリストを人間だと思い、その身を案じた彼の優しさが
血と肉を与えたことでキリストが動きだしたのだと思います。
そして衝撃の結末を迎え
彼はその幼さで生涯を終えます。
母に会いたいと願ったマルセリーノは”おかゆさん”さんから聞いた天国を信じ、今すぐにと決意をします。
その願いが受け入れられた結末でした。
死とゆう概念を知っている側からすると死は喪失を意味しているので
悲しみを感じる場合が多いと思います。
僧達も彼の死を悲しんでいました。
しかし、キリスト像に見守られながら、微笑みを湛えていたマルセリーノにとっては幸福な結末だったようにもみえます。
この映画に限ったことではないですが
必ずしも死が終わりであるとは限りませんからね。 残されたもの達の物語は続いてゆきます。
とはいえ好きなキャラやいい人が死ぬと結構クルものがありますが。
4.おわりに
クラシックな映画は最近の映画に比べ映像面では刺激が少ないですが、
良いものはやっぱ良いですね。
最後まで読んでいただき感謝感激雨あられ
ではまた!
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