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私たちは不合理に行動している〜子供の教育について


  1、人間は不合理にできている


キャベツが700円で売られていると

あまりの高値に手を出しにくいですが、

1400円のゴディバのチョコレートが

半額の700円で売られていたら

どうですか?


これはお得かもと買ってしまう人が

いるのではないでしょうか。


合理的に考えれば

砂糖たっぷりチョコレートは体に良くありませんし

キャベツの方が圧倒的に健康に良いのですが

それなのにゴディバのチョコを買ってしまう。


では、もう一つ例を挙げてみましょう。


1ヶ月で数千円から数万円かかる

子供向け通信教育があるとします。


タブレットで有名講師のビデオ授業を繰り返し見ることができ

毎月新しい問題のデータが送られてきて

指示に従って問題を解くことができます。


一方、1ヶ月約3000円を最新の AI

ChatGPT-4oに課金すると

自分だけの先生になってれて

人生の相談相手にもなってもらえます。


それもほぼ無制限に勉強に関する情報を教えてくれて

なおかつ東大入試の数学の問題すらも

プロンプトを入力せずに

画像認識(写真を読み込ませる)だけで解いてしまいます。

(現段階では全て解けるわけではありません)


さぁ、皆さん、どちらを選びますか?


一方は決められた情報しか届かないもの。

一方は際限なく必要な情報を提供してくれるもの。


合理的に考えれば、自ずと答えは出ますよね。


  2、過去の自分に安心する


教育に関して

多くのお父さん、お母さんたちは

子供のことをダイレクトに見ているのではなく

過去の自分の体験を通して子供たちを見ています

(もちろん、全ての親がそうではありません)


「自分の時の教育がそうだったから

きっと子供の勉強も同じだんだろう」

と思っている人が多いんです。


結論から言うと、親が受けた教育と

これから子供たちに必要となる教育は

全く異なります。


細かな理由を述べるまでもなく

私たち大人が受けた教育は、かなり古くなってるからです。


古い教育が機能していない例を挙げると

不登校の数が年々増えてきていることが

それを証明しています。(全国で30万人以上)


これは日本と韓国だけの問題と言っていいほど

世界には「不登校」がありません。


そもそも「不登校」という言葉自体が

世界には存在していないとも言えます。


この古い教育を未だに続けている結果、

不登校が増え続けるという単純な構造なのです。


不登校になれば、子供たちの学びは止まります。

学びが止まるような要素が昔の教育にあったというわけです。


ですが、多くの大人たちは

未だにそれが正しい教育だと思っていますし

むしろ子供の素性を無視して

子供は学校に合わせるべきという考えが

今も根強くあります。


世界の教育の先端は、一人一人の素性に合わせた学びであり

子供たちの成長を止めません。


1つ例を挙げるなら、ドイツで始められオランダで発展した

「イエナプラン」という教育が日本の真逆を行っていて

そこには不登校が存在しませんし

子供の素性を無視した教育はなされていません。


日本でも子供の素性を大切にする教育は

十分に実施可能なのですが、単にやらないだけです。


それは大人たちのほとんどが過去の自分たちの経験に

安心したがっているだけだからです。


  3、クリティカルシンキング


現代人は、理性的な行動しているように思うかもしれませんが

実際には動物的な欲求に突き動かされて

行動していることがほとんどです。


煌びやかさに目を奪われ

好き嫌いで物事を選び

周りと同じことをやって安心し

みんなに認められたいという欲求が

常に付きまとっています。


例えば、よそ様のお子さんがテストではいつも90点以上を取り、

サッカー部のキャプテンも生徒会長もやっている、

そのキラキラした姿を見て

うちの子もこんな風になったらなぁ〜と思う。

(目を奪われる)


音楽の道に進みたいと言う我が子に

大学進学以外は認めないと反対する。

(親の好き嫌いで物事を選ぶ)


みんな塾に行ってるから、

うちの子も同じ塾に行かせなきゃと思う。

(安心を求める)


子育てをちゃんとやってる母親として

世間から見られたいと思う。

(みんなから認められたい)


これらの言動が理性的なものなのか細かく分析すると

(つまりクリティカルシンキング)

感情や欲求によるものだと分かります。


つまり、これが「子供をダイレクトに見ていない」ということで

親の価値観や他者との比較を通して

子供を見ているということです。


子供のことに限らず、日常のあらゆることが

本当にそれが必要なのか、本当に合理的なのかを

理性的に判断するクリティカルシンキングが

社会全体として不足しているんです。


  

4、「人間は不合理だ」と認識する大切さ


今回のお話は、物事の全てを合理的に考えるべきだ

ということではありません。


理にかなわない言動によって

無用な苦労をしたり、損害を被らないように

できる限り理性を用いて

物事を判断しようという話です。


何の根拠もなく他人の言葉を鵜呑みにしたり

みんながやってるから、きっと正しいんだろうと思ったり

自分だけ違う考え方だから、きっと間違っているんだと

思い込んだりしてはいけません。


日常的なこと、身の回りのことも

「本当にそうなのか?」

という視点を持つことが大切です。


教育のことなら尚更で

「うちの子に相応しい教育は何だろう?」

と追求することです。


本来、教育は自由であるべきものですから

子供の素性を潰すような教育に無理に合わせる必要もなく

「この教育でなければならない」

というものは存在しません。


何か特定の形に子供を当てはめるのは

不合理な考え方なのです。


子供の生まれ持った才能を伸ばしてくれる教育に

出会うことを考えましょう。

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