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#666 ついに「没理想」という単語が出現します!!!

それでは今日も坪内逍遥の「シェークスピア脚本評註緒言」を読んでいきたいと思います。

若しシェークスピヤを称美せんとせば、其の人間の性情を活動せしむる技倆を賞するは固より可かるべく、其の比喩の妙、其の想像の妙、其の着想の妙、これをほめて空前といふも可く、絶後といふも可かるべし、唯〻其の理想をほめて、大哲学者の如く高しといふは信け難し。むしろ其の没理想なるをたゝふべきのみ。

ついに出ました!没理想!

然るに、有と無とは二にして一ならざればにや、古人多くは没理想の作を、やがて大理想と解釈して、其の作者を神の如く、聖人の如く、また至人の如く評したるものあれど、没理想必ずしも大理想なるにはあらず、小理想もまた没理想と見ゆることあり。嬰児の欲の極めて小なる是れ有欲(悪)とも見るべく、無欲(善)とも見るべし。

『小説神髄』を読んだときに、小説の様々な角度からの考察に対して、小説に内包された「宗教性」だけを避けているような気がして、#036で不満を述べたのですが、ここには、「理想」に絡めて「宗教性」が見られますね!しかも仏教をベースにしているような…

それにしても難しい言い方だなぁ~!

鬼貫が一句、「なんで秋の来たとも見えず心から」此の十七字、強いて解釈の辞を作らば、或ひは仏教も掩ふべく、或ひは東西哲学の幾体系をも埋むべし。

上島鬼貫[オニツラ](1661-1738)は江戸中期の俳人で、25歳のときに「まことの外に俳諧なし」と述べるに至り、「東の芭蕉・西の鬼貫」と称されました。

木内宗吾が一時の義挙も、若し花々しきマコーレーが筆を借りて伝を作らば、ハムデン、ウォシントンの輩のと肩を並ぶる義挙ともなりなん。

木内宗吾こと佐倉惣五郎(1612-1653?)は下総佐倉藩の百姓一揆の指導者です。領主堀田氏の重税による農民の窮状を将軍に直訴し、妻子とともに処刑され、この話は『東山桜荘子[ヒガシヤマサクラノソウシ]』などの芝居に仕組まれて、広く知られるようになりました。『東山桜荘子』は、1851(嘉永4)年に江戸・中村座で初演された、歌舞伎史上最初の農民一揆劇です。この舞台は設定を東山時代にするため、当時流行の草双紙である柳亭種彦(1783-1842)の『偐紫田舎源氏[ニセムラサキイナカゲンジ]』の一部を採り入れて脚色されました。

トーマス・マコーリー(1800-1859)は、イギリスの政治家・歴史家で、彼の『イングランド史』(1848-1855)は、今日でもイギリスで最も有名な歴史書のひとつです。

ジョン・ハムデン(1594-1643)はイギリスの政治家で、チャールズ1世(1600-1649)のもとで有力な反国王派指導者として頭角を現し、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントン(1732-1799)は、アメリカ独立戦争の総司令官に任命され、イギリス本土より東部13植民地の独立に成功し、この戦いでアメリカ独立の父として語り継がれるようになりました。

畢竟ずるに、鬼貫ら俳人の作には、当人の注釈無く、木内宗吾の義挙には詳伝無く、嬰児の口には言語無きゆゑ解釈見る者の心次第なり。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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