見出し画像

#966 没理想論争・逍遥サイド、これにて読了!

それでは今日も坪内逍遥の「没理想の由来」を読んでいきたいと思います。

逍遥は、「没理想の由来」の最後で、ふたたび、未詳氏が1884年に出版した書物について説明します。

さて、此の著書は、一千八百八十四年の出版とすれば、今より九年以前の作なり。

ちなみに、「没理想の由来」は、1892(明治25)年4月の『早稲田文学』第13号に掲載されました。

シェークスピアの理想見がたしといふことは、假令[ヨシ]大に唱へたる者なかりき、とするも、大がたの人の意識せしところならんを、かの大詩人が生國なる、英国の首府に於てすら、わづか九年前に、かゝる説を長々しく辨ずることを許せりき、とせば理窟の批評盛んなる明治の文壇に、没理想の説を唱ふればとて、罪比較的に少からんか。又二つには、わが未だシェークスピアの本體を看破し得ざることのいひわけもたつべくや。ニコラス、ロウが、一千七百〇九年に、始めてシェークスピア研究の緒を發いてより、英、佛、獨の諸國に、シェークスピア研究會の成りてより、シェークスピアを論じたる書の多きこと、汗牛充棟も啻[タダ]ならず、年を閲すること一百八十餘年、いまだ一人のシェークスピアを看破徹底せりと認められたるはなし、さすれば、わが有無の境にあるも、未だ必ずしも怪しむに足らざる也。

というところで、「没理想の由来」は終了します!

これにて、逍遥サイドの没理想論争関連の大概の論文を読了しました!

いやぁ~大変でしたねぇ~!w

難しいけど、面白かったなぁ~!

ということで、次に取り組むのは、鷗外サイドの最後の論文です!

鷗外は、1892(明治25)年6月25日発行の『しがらみ草紙』第33号に「早稲田文学の後没理想」を発表します。

では、いよいよ、鷗外サイドに突入しましょうか!

逍遙子おほいに後沒理想の論を説き、説き畢[オワ]りて書をわれにおくりていはく。沒理想に關する論辨はこれにて一旦止むべし。されど汝はわがこたびの論のうちにて難駁[ナンバク]を蒙[コウム]りたるものなれば、正當なる防禦[ボウギョ]せよといふ。

ここは、1892(明治25)年4月30日発行の『早稲田文学』第14号の「小羊子が矢ぶみ」にて、

本號に於て、くさ/″\御高論に対し、難駁致し候箇處も尠からず候へば、差出[サシデ]がましき愚念には候へども、正當の御防禦あらせられんこと、勿論に可有之と奉存候。先は論戦中止の御照會までに、如此に御座候。

といって、逍遥が没理想論争の停戦を申し入れた一文を受けたものですね。詳しくは、#950を参照してくださいね。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?