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#978 われは果たして逍遥に不親切なのか?

それでは今日も、森鷗外の「早稲田文学の後没理想」を読んでいきたいと思います。

さて逍遙子が對相對生涯は其腹稿のみの主義なれば今これを評せむすべを知らず。われは唯此腹稿主義の山房論文の逍遙子に向ひて世間法を求めし後に出でたるものなることを記臆しおかむのみ。
常見和尚は又いはく。逍遙は迷惑して立脚地なし。鴎外はハルトマンの哲學といふ立脚地あり。さるに逍遙が鴎外の理想の何物なるかを問ひしとき鴎外がこれに答へざりしは不親切なりといふ。
わが見るところを以てすれば、理想といふ語はプラトオよりこのかた今の第十九基督世紀に至るまでくさ/″\の變化をなしたり。逍遙子若し我に理想の何物たるかを問ひたらましかば、我は唯その第十九基督世紀の形而上論の理想なりと答へしならむ。われは逍遙子が如く古今の哲學者乃至審美學者の用語例に違へる用語例を創設するものにあらねば、かゝる問に答ふるには許多の言葉を費さゞるべし。
されど逍遙子はいまだ明にわが理想といふものを一の用語として問ひしことなし。逍遙子は唯相對の象の絶對の體より生ずる究竟の目的は何ぞと尋ねつることありしに、われ答へて、ハルトマンの烏有先生これを聞かば、我無慮識の哲學を讀めといはむ、われは衆理想の象の沒却理想の體より出沒する究竟の目的は何ぞと反問せむのみといひき。おもふに我を不親切なりと難ぜらるゝは、わが草紙のハルトマンが無意識哲學を鈔録し若くは講述せざるがためなるべし。
難波津に蕨村[ケッソン]居士といふものありて、教育時論に一篇の文(一元論と二元論)を載せ、われにおなじやうなる詰問をなしていはく。逍遙子汝に問ふところありしに、汝は顧みて他をいひ、思想の化石になりたる書籍に問へなどゝいへるは、討論の常法を失ふものなりといへり。

蕨村居士とは、評論家の久津見蕨村(1860-1925)のことです。

われは果して逍遙子に對して不親切なるか、討論の常法を失ひしか。「ハルトマン、リテラツウル」は廣大なり。中に就いてハルトマンが親ら書きしものゝみを讀みても一朝にして讀み盡すべからず。その無意識哲學の如きはハルトマン自ら認めて我哲學の期程Programmに過ぎずとせり。われ若し我草紙にて無意識哲學を講ぜむとせば、果して幾歳月をか要すべき。われ若し我草紙にてこれを鈔せむか。おそらくは近時坊間に行はるゝ哲學史中の一段に似たるものとなるべし。これをば縱令忍ぶべしとあきらめても、かゝる講説、鈔録は詮ずるところ彼のハルトマンが原書とおなじく、思想の化石とせらるゝことを免れざるべし。さればこそ我は烏有先生をして無意識哲學を讀めとは答へしめしなれ。我親切こそはこれのみにて足らんずらめ。矧[マシテ]や逍遙子は早くよりハルトマンが無意識哲學を帳中の祕となしたるをば、我に語りしものあるをや。又討論の方法につきては、われ常に敵手をしてその出でむと欲するところに出でしめ、強ひて正兵をもてせよともいはねば、又あながち奇兵をもてせよともいはず。されば早稻田方はいかなる手段を用ゐて、いかなる方角より攻寄すといへども、そはわが問ふところにあらず。獨りかなたにては、我討論法に不親切なるところありと認め、或傍觀者も亦これと共に我討論法の過失を責む。われこれにおどろかされて窃[ヒソカ]にその當れりや否やをおもふに、逍遙子がわれに問ひしところのハルトマンが哲學系の世界究竟の目的をば、われ必ずしもこの紙上に寫し出すべき責なきに似たり。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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