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#784 ブルータスの失墜は自業自得である!

それでは今日も坪内逍遥の『小説三派』を読んでいきたいと思います。

逍遥は小説を固有派・折衷派そして人間派に分けます。

以下は、前回につづいて、人間派についての説明です。

偶然の事変を使ふことは物語派と同じけれども、其事と主人公との間に因縁の関係の離れぬ所たがへり。

物語派とは、固有派のことです。

是もとより眼目の差をいへるのみ、小同は三派相通なるべし。管々しくは例をもて證せざれども、シェークスピヤを読みたる人は評者の言の大に誤らざるを知らん。

出ました!シェークスピア!!!

マクベスの逆心まづ萌[キザ]して弑逆[シイギャク]の事起り、弑逆の事縁となりて彼が罪悪ますます増長せしを想へ。又ハムレットの懐疑固[モト]より存じて膓九回的煩悶となり、オセロの妬疑一たび萌して血涙千行的惨劇を醸せしを想へ。

「はらわた九回」とは、はらわたが何度もねじれる、という意味です。

客観的哀歓は概して主観的性情より生れたりしを想へ。則ち人心と事変との間に先後の関係ありて、又更に因果の関係あるを見るべし。されば傑作のドラマを読めば吾人恍として因果の理を見、且[カツ]雑然紛然たる人寰[ジンカン]に一定の理法流行することを瞑悟す。

人寰とは、世の中・世間という意味です。

而して其理法たるや幽明にまたがり有為無為に渉[ワタ]り、虚霊より出でて実相に現はれ実相寂滅してまた虚霊に帰す。

因果の理法は、虚相を経由して実相に現れ再び虚相に帰す……

例へば「シーザル」のドラマに就きてブルータスを見よ。彼れ思量足らでシーザルを殺し乱を醸し身を殺す、羅馬[ローマ]の内乱といふ実相はブルータスが遠慮の周[アマネ]からで偏[ヒトエ]に霊界にのみ彷徨せし結果とも見るべし。

「シーザル」とは「ジュリアス・シーザー」のことですね。「ブルータス、お前もか」という有名なセリフが出てきますね。

さすればブルータスの敗[ヤブレ]たるはみづから致せるなり、自業自得なり、天を咎めんや人を怨みんや。主観的ブルータスが客観的ブルータスを造りいだせしなり。ブルータスの失墜は身招自致[シンショウジチ]なり。然[サ]らば吾人[ゴジン]のブルータスに対する感想は、只一の惻隠慈悲の心あるのみかといはんに然らず。吾人は客観的ブルータスを貶すと同時に、主観的ブルータスを貶すこと能[アタ]はざる由[ヨシ]あり。彼れの義と勇とは、吾人遂に貶すこと能はざればなり。彼れ現界に於て敗れたれど、隠然霊界に於て凱歌[ガイカ]を歌へるを聴けばなり。吾人が到底ブルータスの義を美とせざるを得ざることを想へ。則ち此明界の背後に、更に又一の幽界ありて人間の妍醜[ケンシュウ]を定むることを見るべし。是前に虚より出でて実に現はれ、実滅してまた虚に帰すといへる所以[ユエン]なり。

人間派の描く「人と事」の因果の理法は、主観が客観を作るということ……自らに帰し、天を咎めることも他人を怨むこともできない自業自得のものだということ……

而して此理法は吾人がドラマにて暗に観る所にて、また人間に於て暗に見る所なり。蓋[ケダ]し浮屠氏の謂ふ三世因果の理も、其底を叩かば此理に外ならざるべし。將た哲学の究めんと欲して未だ明釈する能はざる所も、或は此理に外ならざるべし。現在の人智は只[タダ]瞑々裡に此[コノ]ことわりを知れるのみ、未だ明かに釈すること能はず。

#663でも説明しましたが、浮屠氏[フトシ]とは、仏様のことです。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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