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#790 没理想論争エピソード0!『底知らずの湖』を読んでいくぞぉ!

さて、『小説三派』に次いで読むのは『底知らずの湖』です。1891(明治23)年1月1日に読売新聞に発表された『底知らずの湖』に関しては、「シェークスピア脚本評註緒言」でこんなふうに言及されます。

予嘗てドラマの本体を底知らぬ湖に喩へしことありしが、近ごろダウデン氏の論文を見れば、シェークスピヤとゲーテを大洋に比したるがあり。趣きはやゝ異なれども同じ理に帰着すべしと信ぜらる(#663参照)

ここでいうダウデンとは、アイルランドの批評家エドワード・ダウデン(1843-1913)のことです。ダウデンが1875年に発表した『シェークスピア-その精神と手法』はシェークスピアにおける精神と芸術の成長発展の姿を体系的にとらえた画期的な論考で、逍遥に多大な影響を与えました。ダウデンは『シェークスピア-その精神と手法』でこんなことを言っています。

シェークスピアは、彼だけが知っている独特の方法で未知の神秘に出逢うのである。彼は自分の錘[オモリ]を他の人たちよりも遥かに深く、海の底の方へ向かって下しておくのだ。だから彼は、人間の思考にとってこの深みが、如何に底知れぬものであるかを、他の人たちよりもよく知ることを得たのである。

この「底知らぬ(fathomless)」という表現からヒントを得て『底知らずの湖』を発表したといわれています。

ということで、さっそく『底知らずの湖』を読んでいきましょう!

昨夜の夢に怪しき事を見たりけり。處[トコロ]はいづことも知らず湖かと見れば池、池かと見れば沼、沼かと見れば湖のようなるものこそありけれ。周囲一町[マワリヒトマチ]ばかりかと見れば一二里[リ]も十余里[ヨリ]もあるべからんと見えたるぞ。其形[ソノカタチ]庭鳥の卵のように円[マロ]くして始[ハジメ]も無く終[オワリ]も無し。そぞあたりの山山[ヤマヤマ]には春夏秋冬一時に来てありとおぼしく桜桃杏李[オウトウキャリ]匂いを競い秋艸[アキクサ]紅葉[モミジ]色を争へり。仰げば大空に冲[ヒイ]る峯々[ミネミネ]長[トコシナ]えに高く瞰[ミオロ]せば満々[マンマン]たる水の色八千代に清むめり。渦巻く深き淵には蛟龍[コウリュウ]も棲めるなるべく漲[ミナギ]りおつる瀧津[タキツ]の音は空に知られぬ雷霆[イカズチ]の響[ヒビキ]ともきかるべし。爰[ココ]に狭霧[サギリ]の立籠[タチコメ]たる暗澹たる洞穴あり。打見たる所はいと浅く狭やかなれども窺えば其深きこと幾万由旬[ユウジュン]とも知る可らず。これはそもいづれへ通う路ならん。見かえればそよ/\と吹く春の風暖かにして裊々[ジョウジョウ]たる青柳は佳人[タオヤメ]の緑[ミドリ]の髪を梳[クシケズ]りふくみそめたる八重桜は紅[ベニ]させし女童[メノワラワ]の可憐口[ロウタキクチ]元にも似たりけり。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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