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#968 説くことの誤りたるを問はず、評することを誤りたりと責むれば……

それでは今日も、森鷗外の「早稲田文学の後没理想」を読んでいきたいと思います。

夫れ古人は九原[キュウゲン]より起たしむべきものにあらず。されど吾人は敢て古人の言を評することあり。逍遙子まことに口を噤[ツグ]みて、復た沒理想を説かずといへども、われこれを評すること古人の文を評するが如くならば、又何ぞ病とすべけむ。矧[マシテ]や逍遙子は古人にあらざるを以て、その一旦擲ちたる椽大[テンダイ]の筆を、再びとり上ぐることを得べきをや。

「九原」は、中国の春秋時代の晋の国の、卿[ケイ]・大夫[タイフ]などの貴族の墓があった地名のことです。なので、九原とは「墓地・あの世」のことです。

「椽大の筆」とは、晋の王珣[オウジュン]  が椽[タルキ]のような大きな筆を与えられる夢を見て、大文章を書く前兆だと思っていると、しばらくして武帝が崩じて、筆をふるう機会が与えられたという『晋書』王珣伝の故事から、「すぐれた文章・堂々とした立派な文章」のことをいいます。

われ今この文に題して早稻田文學の後沒理想といふ。われは此題の逍遙子に嫌はるべきを知れり。然れどもわれは又此題の逍遙子が論を指して善く中[アタ]れるを知れり。
逍遙子の始て沒理想を説くや、われこれを評するに當りて、其用語を襲用して沒理想といひき。沒理想は字のまゝに解して無理想なり。逍遙子がそれまでに公にせし文は、我が斯く解することを妨げざりき。あらず、世人の斯く解することを妨げざりき。あらず、世人も我も斯く解するより外に解すべきやうなかりき。後逍遙子は沒字に附するに埋沒若くは沒却の義を以てして、これを無の義に解せしを誤解なりといひき。
世人はいざ知らず、われは沒理想を無理想と解して、わが評者たる地位より罪を逍遙子に獲たりとすべきものなりや否や。おほよそ批評の力の及ぶ所は、評せらるゝ論旨の文字にあらはれたる範圍より外に出づること能はず。逍遙子は世人にも我にも必ず無理想の義なりとおもはるべき沒理想の語を用ゐて、別に解釋を附せざりき。而して逍遙子が文は篇ごとに分明なる結末ありき。逍遙子が胸裡[キョウリ]たとひ始より沒却理想ありきとしても、其當時の文を評するものはこれを推察する責あるべうもあらず。若し文字の上にあらはれたるところに就ての評を誤解なりとせらるゝときは、批評とは隱微を穿鑿[センサク]する義になりて、遂には比量の境界を脱し、論理の範圍を離るゝに至らむ。危しとも危きことならずや。
逍遙子は胸に沒却理想といふ一主義を蓄へて、これを文字にあらはさず、沒理想といふ一術語を製してこれに解釋を附せざりき。これ恐らくは誤り説けるなるべし。説くことの誤りたるを措いて問はず、評することを誤りたりと責むればとて、評者いかでか罪に服すべき。
逍遙子若し我に求むるに其言論を評することを以てせずして、其蘊蓄を評することを以てせば、我批評眼の太だ鈍きがために、逍遙子を以て、はじめ沒理想の語を無理想の義に用ゐ、わが烏有先生の言を引いてこれを評せしを見て、遽[ニワカ]に沒字に附するに沒却の義を以てしたるものとするが如きことなしとも言ひ難し。わが逍遙子の意に違ふをも憚[ハバカ]らで、穿鑿の評を避け、文字の上に見[アラワ]れたる論の評を作すものは、かゝる危險をおそるゝこと甚しければなり。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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