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#883 「現在と理想」を写して「国の未来、はては人間の未来」までをも現す

それでは……本日も、没理想論争前哨戦の逍遥サイドから振り返ってみたいと思います。今日も、『小説三派』『底知らずの湖』『梅花詩集を読みて』につづいて『梓神子』を振り返りたいと思います。

滝沢馬琴の怨霊が消えると、次に井原西鶴の怨霊が巫女に乗り移ります。そして、こんなことを語ります。

あゝ浮[ウカ]ばれぬ。苦しいぞ。誰も彼れも怨めしい。ほめてくれしは嬉しいが、碑銘[ヒメイ]ひとつ表[オモテ]だってかいてくれねば、因果は覿面[テキメン]、えんぶだごんの蓮臺[レンタイ]に、浮腰[ウキゴシ]の坐らぬ間[マ]に、勧懲颪[オロシ]にまたゝく燈火[トモシビ]、消えては暗[ヤミ]に堕[オツ]ると知らぬか。情[ナサケ]しらずの元禄黨[ゲンロクトウ]。つれなの批評家よ。……浮かばれぬ此怨み。見よや、今五十年、我文界[ブンカイ]の羅刹[ラセツ]となって、又の日の元禄風吹[カゼフキ]かへし、つれなかりし奴輩[ヤッパラ]ひとり/″\取殺[トリコロ]し、小手巻[オテマキ]の繰かへし、同じ事に気をもませ、石亀[イシガメ]のぢだんだ、𢌞燈籠[マワリドウロウ]の果[ハテ]しなき無始無終[ムシムシュウ]の改革沙汰に、文学如来の弱腰ぬかさせ、爰[ココ]日の本の文壇を翻刻[ホンコク]と模倣との蜂の巣とし、蚊々[ブンブン]文人の雲霞[ウンカ]を作り、社会進歩の鼻の先を眞昏[マックラ]にしてくれるぞよ。(#841参照)

これに対して、主人公は謹みながら返事をします。

只今それがしが時代物興隆[コウリュウ]仕[ツカマツ]るべきよし噂し候ひしを、足下には草葉の陰にて、世話物衰退と同じ意[ココロ]に會得[エトク]ありしかとうけたまはり候ひぬ。若し然らんには甚[ハナハダ]それがしが本意に違[タガ]へり。夫[ソ]れ現身[ゲンシン]は有限[ウゲン]にして、妄想は果[ハテ]しなき人間の常なれば、一生の相場五十年の間、此限り無き妄想の遣場[ヤリバ]無きに困[クルシ]み、晝夜[ヒルヨル]夢を見ぬこと無し。(#842参照)

此[ココ]に於きて吾々[ワレワレ]の未来を知らんとするや、過去現在の二相[ニソウ]を臺[ダイ]とし、因果の理を法として未来を測る也[ナリ]。此の二相双[フタ]つながら入要[イリヨウ]なるべきこと勿論なれども、常識[コモンセンス]は其一を以ても足れりとする也。且[カツ]現在相を臺とするを便[タヨリ]よしとす。……蓋し作者の理想廣[ヒロ]うしてせめても當代[トウダイ]を容るゝことを得ば、其寫[ウツ]す所は現在のみなりとも其相外[ソウガイ]に隠然として未来の當社會[トウシャカイ]見えざるべしや。まして況んや其理想廣く遠くして遍[アマネ]く人間を容れんには、啻[タダ]に當國[トウコク]の未来のみならず、人間全體[ゼンタイ]の未来をも現[ゲン]ぜんか。即ち人間の命[メイ]を諷示[フウジ]すべきなり。……例へばシェークスピヤの作は其名は古英國[コエイコク]、古羅馬[コロウマ]に借りたりと雖[イエド]も、其實[ソノジツ]はエリサベスの英國を寫[ウツ]せるなり。しかれども彼れ天稟[ウマレナガラ]の詩人、幸[サイワイ]にして小理想の奴[ヤッコ]とはならで、造化が教ふるまゝを寫せしかば、今尚ほ吾々の智と情とを動かし、不言不説[フゲンフセツ]の間に吾々の未来をも教ふるなり。(#844参照)

没理想論争のキーワードが徐々に集まってきましたね!

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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