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#841 日本の文壇を翻刻と模倣の蜂の巣とし、社会進歩の鼻の先を真っ暗にしてくれるぞよ!

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

上方を中心に流行した浮世草子の流れが続く時代に、怨霊は生前、物語を25の頃に見聞きしたままに書いていたが、その後、勧善懲悪の大砲を引かれ、我が持仏堂を打ち崩され、紙魚に手足を食われ、古本箱に押し込められ、日の目見ぬ暗闇に埋められたと言います。嬉しいのは、寒月・紅葉・露伴・魯庵、同じ流れの若い人達が我を慕うてくれること!しかし浮世とは定めのないもので、いつ捨てられて、もとの地獄に帰るかわからない。露伴は我のために大読経を行なったが、その後「畢竟馬前の塵」と蹴散らし、魯庵は「広くて浅い」の一言……ああ無情……悪ければ悪いと何故親切に言ってくれないのか……

あゝ浮[ウカ]ばれぬ。苦しいぞ。誰も彼れも怨めしい。ほめてくれしは嬉しいが、碑銘[ヒメイ]ひとつ表[オモテ]だってかいてくれねば、因果は覿面[テキメン]、えんぶだごんの蓮臺[レンタイ]に、浮腰[ウキゴシ]の坐らぬ間[マ]に、勧懲颪[オロシ]にまたゝく燈火[トモシビ]、消えては暗[ヤミ]に堕[オツ]ると知らぬか。情[ナサケ]しらずの元禄黨[ゲンロクトウ]。つれなの批評家よ。松壽軒[ショウジュケン]への大供養は、文学如来への大供養、とうたゝねの夢にも思はぬかよなふ。

松壽軒は、井原西鶴の別号です。

生中[ナマナカ]の梓弓[アズサユミ]にひかれ来て、今の苦患[クゲン]。浮かばれぬ此怨み。見よや、今五十年、我文界[ブンカイ]の羅刹[ラセツ]となって、又の日の元禄風吹[カゼフキ]かへし、つれなかりし奴輩[ヤッパラ]ひとり/″\取殺[トリコロ]し、小手巻[オテマキ]の繰かへし、同じ事に気をもませ、石亀[イシガメ]のぢだんだ、𢌞燈籠[マワリドウロウ]の果[ハテ]しなき無始無終[ムシムシュウ]の改革沙汰に、文学如来の弱腰ぬかさせ、爰[ココ]日の本の文壇を翻刻[ホンコク]と模倣との蜂の巣とし、蚊々[ブンブン]文人の雲霞[ウンカ]を作り、社会進歩の鼻の先を眞昏[マックラ]にしてくれるぞよ。おのれ、何の事は無し、名にしおふたる松の字の業因[ゴウイン]、松魚節[カツオブシ]と生れかはりて出[ダシ]につかはれし心地、身をけづらるゝ苦[クルシ]み。つらいぞよ、苦しいぞよ。此[コノ]まゝで暇[ヒマ]くれては、浮ばぬ浮ばぬ、浮ばれぬ。と罵る聲風[フウ]がはりにて、偖[サテ]も怖[オソ]ろし、物すごし。かやうな門[カド]ちがひ迷惑、といひわけせんにも、先方は音に聞えし大通[タイツウ]の幽霊、外国語よりむづかしい西鶴語[コトバ]、通辞[ツウジ]なうては埒[ラチ]あくまじ。はて此[コノ]返辞何としたものか。早速の間[マ]には工夫つかず。

それにしても、西鶴の霊とは……とんでもないものに取り憑かれましたね……

というところで、「第五回」が終了します!

さっそく、「第六回」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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