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#932 もしかしたら逍遥って「自己同一性」に抗った最初の作家なのかも……

それでは今日も坪内逍遥の「雅俗折衷之助が軍配」を読んでいきたいと思います。

然るに、今は平和の策[ハカリゴト]全く破れて、かく旗皷[キコ]の間に於て、将軍に見[マミ]ゆるに至りぬれば、入道常見がいひつる如く、戦塲は修羅のならひなり、かばかりの正當防禦、まことに止むことを得ざるに出でたり。かくいはば、将軍は武者笑ひに打笑はせて、しからば汝の相対的理想といふ者を聴かん、汝能く語るべきか、とのられんずらん。答へた曰はく、其の儀いと易し、将軍、若しはじめわが没理想の語義を揣摩[シマ]し、わが二資格を混同し、臆測の評論をものせられずして、逍遥が対當世の理想はいかに、と正面より問はれたりしならば、われ或は其の質問に対して、未だ語るべき境界に達せざれば、公にする能はざるなりと、「白日夢」以前の逍遥が心をもて答へたりしならんか。或はまた、絶対に対する理想に就きては、有無の界に迷へれども、相対に対する理想は、おほむね正に此くの如しと「白日夢」の本論をもて答へたりしならん。蓋し、わが「白日夢」は、すなはち逍遥が絶対相対の二生涯を分別するに至れる因縁より説き起して、現世に対する一時安處の理想をも、その本論として説きたるものなり。わがさきに烏有先生が偶然の引導に感じて、一たび口を開かんとせしは、件の「白日夢」の序論となるべき、二生涯の別を論じたる一篇なりき。しかるに、将軍は、そが破題をだに聴き果てずして、非難の鋒[ホコサキ]を向けられたり。大智は一端を聴きて、その他の端をさへに洞観するがならひなりとはいひながら、将軍が推量も、又少しく鋭きに過ぎたるかな、わが四角四面の正陣を張るに遑なうして、竹鎗席旗の軍装をもて、此く将軍に対すること、止むを得ざるに出でたりとしも、酌み知りたまへ。

無限の欲を持して絶対に対する理想を求める文人の坪内逍遥と、有限の欲を持して相対に対する理想を求める世間の坪内雄蔵……これですよ!没理想論争のモヤモヤが少し晴れてきましたよ!もしかしたら、逍遥って、西欧の「近代的自我」がもたらす「自己同一性」に抗った最初の作家なのではないでしょうか……

さていまとなりて、あらためて語れよとあらば、われもはや語るまじ、とおさないさかひの女童[メノワラワ]めいたる、すねたる口上は申すまじ、さりながら、かく互ひに呉越とわかれ、敵智をもて隙を窺ひ、呉子の所謂四機をねらうて、虚に乗ぜんと思へる今は、曩[サキ]に烏有先生に対せりしときと、わが覚悟しかすがにおなじからず。

『呉子』は春秋戦国時代に著されたとされる兵法書で、武経七書のひとつです。武経七書については#858でちょっとだけ説明しています。「図国」「料敵」「治兵」「論将」「応変」「励士」の6篇で構成されており、指導者について論じた「論将」篇第四には、

将の慎む所の者に五あり。一に曰く理。二に曰く備。三に曰く果。四に曰く戒。五に曰く約。

とあります。将軍が自戒すべきことは5つある。管理と準備と決意と警戒と簡素化である、と。そして、こんなことも言います。

凡そ兵を用いるに四機有り。一に曰く気機、二に曰く地機、三に曰く時機、四に曰く力機。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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