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お母さんへ。ごめんなさいの代わりに💐

noteでは、「透析のつらさを超えて、好きなことに情熱を注ぐ母」のお話を、何度かしました。
母の作る服やバッグは可愛いから、きっと喜ぶ人がいると思って、販売し始めたことも。

仲良し母娘のように聞こえますが、そうなれたのはここ数年であること、少しお話したいと思います。
「お母さんありがとう」
そんなポスターを街で見かける季節は、モヤモヤと苦しくなるから。

子供の頃、母に抱きしめてもらった記憶がありません。
母はキャリアウーマンで、ロイヤルブルーのスーツが似合う、カッコいい女性でした。

妹は母にくっついて膝に乗ったり、隣に寝転んだりしていたけれど、そういうことが自然に出来ない私はある日、抱き合う二人をじっと見ていました。六つか七つだったと思います。
母は私を見て、
「ここから先は、入ったらダメ」
と、二人と私の間に、見えない境界線を手で引きました。

泣く顔が面白かったから、と、大人になって聞きました。
冗談のつもりだったのだろうし、その後は多分、ウソウソ、と招き入れてもらえたはず。

でも私の中にはその光景が強烈に焼き付いてしまって。まだ忘れられないのが、申し訳ないような気持ちになります。
ここに書いたのは、手放すため。
そういうことやっちゃう人でした、母は。

記憶にはないのですが、大学時代の日記に
「あんたは可愛くない、とお母さんが言ってくれたから、他に良いところを作ろうと思えた」
「テストで良い点を取って、自慢の娘になろうと頑張れたのは、甘やかしてくれなかったお母さんのおかげ」
と、痛々しいというか、遠回しに母を責める文が散見されます(笑)。

22歳の時、遅ればせながら、大爆発が起きました。
心の病気になったことを母のせいにして、
「私なんか産まなきゃ良かったのに!」
と言い。
もう死ぬとか殺すとか、無茶苦茶なことを言って暴れ。
母はひたすら、耐えていたと思います。

家を出て、一人暮らしを始めた私のお誕生日に、母から花が届きました。
真珠のネックレスみたいな飾りがついた、ピンクの花。可愛かったな。

お手紙がついていました。
私を傷つけていたことを知らなかったと、謝る言葉。
それから、お母さんにも夢があったことが、書かれていました。

「やっと建てられた家で、小さいあんたたち二人が、はしゃいで走り回った日があった。お母さんの夢が、叶った日でした」

苦しくなって、パッと手紙をたたんだことを覚えています。
心の病気は二年ほど続き、どこかで倒れたり、行方不明になるたび、母が迎えに来ては逃げ出す、といったことを、何度か繰り返しました。

不思議なことに、社会人になって急に私が落ち着くと、また一緒に暮らすようになりました。

再び同居し始めてから、「あんたは、水の中に沈めようとしてもポンと浮き上がってしまう、ボールのような子供だった」、と話してくれました。
どんなに怒ってもケロッとして、同じイタズラや間違いを繰り返したそうです。

思い返すと確かに、怒られることは全く怖くなかった。
怒られてばかりで嫌だな、とは思うけど、怒られるからやめておこう、とはならない(笑)。
厄介な子供だなぁと、親になった今は思います。

結婚してから母に相談することが増え、距離感が狂って、また喧嘩が増えました。
私たちの喧嘩は激しいです。

大人しい妹が、ついに私に言いました。
「お母さんは確かにワガママだけど、あんなに暴れたお姉ちゃんを包んだよ。大きな愛がないと、絶対に出来ないことだと思う。いつまで元気でいてくれるか分からないのに、お姉ちゃん後悔するよ」

それからやっとです。
お互いに距離感を守りながら、付き合えるようになったのは。

何年前だったか、小さい地震が続いた不安な日の朝早く、このまま大きな地震が来て死んでしまったら本当に悔やむ、と思って、母の家へ走りました。
驚く母に、言いました。

「子供の頃、抱きしめてもらった記憶がないから、今、抱きしめてくれないかなあ?」
言いながら、涙がいっぱい出ました。
もしかすると私はずっと、これだけが言いたかったのかもしれません。

母はとにかく抱きしめ、背中を撫でてくれました。
Mission completed! という感じがしました。
可愛がられなかったTokkoは、消えました。

すると一人の女性として、母を見ることが出来るようになりました。

母と私は、可愛い、美しい、と思うものが、似ていることに気付きます。
母が作るバッグや服は、私がこれまで「あったらいいのに」と思い描いていて、お店では見つけられなかったような、可愛いものばかり。

首に太い管が刺し込まれた、緊急透析から六年。
泣き言を言わず、腎臓病と冷静に向き合い続ける母を、なんてすごい人だろうと思います。

病気で心が折れるどころか、むしろ以前より情熱的に、作品の幅を広げ、質を上げていきます。
友達数人を自宅に招き、洋裁を教える教室も始めました。
材料はあるものを自由に使ってもらって、代わりに500円ずつ頂くそうです。

お母さん、すごいや。ホントにすごい。

私はお母さんが、大好きです。

これからも楽しいことを、いっぱい一緒にしていきたいです。

私を産んでくれて、ありがとう。





2020年6月16日、初めてサポートを頂きました!ふるふると感動しています! サポートを頂いたら、大切に貯めて、いつか一冊の本にしたい、と思っておりましたが、 ①10%を、地球と子供のために寄付する ②10%を、note内の他の方の記事購入に充てる 残りを貯めていく、とします!