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人間は思った通りに動いているつもりなだけで、実際のところ、思った通りに動いていない論を、日常生活の中で体感してみた。『デタラメだもの』

なるほどな。という発見をすることがある。あまり知識を持ち合わせない幼い頃は、出会うものの多くが「なるほどな」につながっていたが、年齢を重ねるとともに、それなりに知識が増えたり、既成概念を持ってしまったり、そもそも出会いたい情報にしか出会っていなかったりして、「なるほどな」の機会も減っていくように思う。

そんな折、10種競技や陸上競技のマスターズ大会など、さまざまな競技で結果を出してきた人で且つ、「百獣の王」「有名人の倒し方」など、バラエティ番組などでも活躍される武井壮氏の発言に、深く「なるほどな」を感じた。

それは氏が語る、「スポーツするにあたって重要なのは、自分の体を思った通りに動かす能力だ」という論。人間は思った通りに動いているつもりなだけで、実際のところ、思った通りに動いていないという。キャッチボールをしている様子をビデオカメラに撮り、それを見たら、自分の思い描いている動作と全然違うことやっていたことに気づいたらしい。

まぁ、スポーツのことだから自分には関係ないよね、くらいに聞き流していたものの、ある瞬間、この論に強く興味を持つことになる。どういう瞬間かというと、お風呂から出たタイミングである。ふふふん。スポーツと全くもって関係のないところでピンッとくるあたりが憎めない。ふふふん。

以前からずっと気になってはいたものの、さして深く考えることでもないかと、ディープに向き合うことを避けてきたことがある。それは、お風呂上がり、バスタオルで身体に付着した水気を、完全に拭き取れない問題。はぁ? もう一度言う。お風呂上がり、バスタオルで身体に付着した水気を、完全に拭き取れない問題だ。はぁ?

お風呂上がりは多くの人が、濡れた身体をバスタオルで拭くはずだ。濡れた頭髪はもちろんのこと、顔面、首、胸、腹、背中、足先に向けて下半身までと、隅々まで水分を拭き取り、水気のない身体になって浴室もしくは脱衣所から出てくると思う。が、しかしだ、ここで違和感に気づく。どれだけ丁寧に拭いたとしても、身体のどこかしらに水気が残ったままになっている。

自分は浴室にバスタオルを持ち込み、そこで水分を拭き取り、脱衣所へと出て行くタイプなのだが、この瞬間、水気を拭き取れていない身体の部分に風が当たるや否や、ひんやり、感じる。風が「この部分、拭き取れてませんで」と教えてくれているわけだ。なんで? しっかり拭いたはずなのに。

この刹那、武井壮氏の言葉を思い出した。人間は思った通りに動いているつもりなだけで、実際のところ、思った通りに動いていない。そう。完全に身体の水分をバスタオルで拭き取ったと思い込んでいるだけで、その実、拭き漏れがあるということだ。おお、凄まじい発見、驚くべき気づき。あまりの衝撃に身体中から発汗してしまい、再び入浴を迫られたことは想像に易い。

バスタオルで身体を拭く行為は、思っている以上に難しい。人間の身体は、世間に対し常に露出している部分だけで形成されているわけじゃない。耳の裏、腋、股間、足の指の間など、こちらから能動的に出会いに行かなければお目にかかれないスポットも複数ある。

それだけじゃないよ。目に見えない部分だって多い。うなじはどうだ、背中はどうだ、股間はどうだ、臀部はどうだ、太腿の裏はどうだ。そうなのです。バスタオルで全身の水分を拭き取る行為は、目に見えぬ部分、すなわち心の眼を使ってあげないとクリアできない難題を突きつけられていることに他ならない。

浴室から出た刹那に気づかされる水分の拭き取り漏れは、ずばり、拭き取れたと思ったつもりなだけで、実際のところ、拭き取り切れていない。武井壮氏の論がピタリと当てはまる。
誰だって、水気を残したまま風呂場から出てきたくはない。直後に、重要な契約書などを手に取ってしまったが最後、印鑑の上に水滴が落ちてしまい、契約書としての効果を失い、契約が破綻してしまうことだってある。拭き取り漏れは、生きる上でのリスクそのものだ。

そう考えると、直後に取り組むであろう、ドライヤーで髪を乾かす行為にも当てはまる。満遍なく髪を乾かす気に満ち溢れている。誰だって髪の一部だけが乾かぬまま、その後の時間を過ごしたくはないはずだ。なのに、だのに、ドライヤー後に気づく。「あっ、この部分、半乾きだ……」と。

ドライヤーだって心の眼を使ってやらねばならない。前髪や横の髪なら、鏡を見ながら取り組めるかもしれないが、頭頂部や後頭部ともなると、心の眼の出番だ。ドライヤーの角度、風が当たる位置、そこにフィットするように手を動かし、狙った部分の髪を乾かしている。と、思い込んでいるだけかもしれない。

氏曰く、感覚と実際とのズレがなくなれば、スポーツの上達も早い。そして、思う。きっとそれはスポーツだけじゃないはずだ。例えば、健康に関連すること――歯磨きなんかもそうだ。歯磨きはいたって難しい。
歯を磨く。基本的に口腔内は目に見えていない。心の眼に頼らなければならない行為、それこそが歯磨きだ。

小学生の頃、歯垢染色剤を使い、磨き残しのチェックをした人もいるだろう。磨き残しの部分が赤く染められ、周囲から辱められる例のアレだ。ほうら。あれだけ磨き残しがあるわけだ。もちろん、幼少期の手抜き歯磨きだから、あれほどの磨き残しがあったのかもしれない。しかし、今の自分たちが完璧に磨けているかどうかは甚だ疑問だ。

歯の表面、裏側、表面側の歯と歯茎の隙間、裏側の歯と歯茎の隙間、歯と歯の間。それが何箇所にも連なる。形状も異なる。歯磨きには数多の難所が存在するわけ。それらのミッションをコンプリートできていないからこそ、ふとしたときに歯が傷みはじめ、虫歯の存在に気づかされたりもするのだろう。磨けているようでいて、磨けていない。きっと、自分の思う「これで全部磨けている」というイメージのもと、身体が無意識に動いているだけなんだ。そこにズレがあるわけだな。

思えば、パソコンのキーボードのブラインドタッチなんかも、同じことが言える。イメージと身体の動きが合致するからこそ、タイプミスなく且つ、高速にタイピングができるってわけだ。

その究極が、ゴミ箱に丸めたティッシュを投げ入れる競技。あれなんかもまさに、こういった身体の動き、これくらいの力を持ってティッシュを投じれば、美麗な曲線を描き、ゴミ箱にティッシュが放り込まれるであろうイメージと、実際の身体の動きにズレがあるに違いない。それを証明するが如く、何度チャレンジしても、一向に入ってくれやしない。

もちろん、丸めたティッシュの形状による空気抵抗なんかもあるので、自分の身体だけでどうにかできる問題じゃないってのはわかっている。でも、一度挑んだ勝負。引き下がるわけにはいかない。ゴミ箱というブラックホールに、ティッシュという魔物を葬り去るまで、何度だって挑戦してやる。

空気抵抗が低減するよう、固くティッシュを丸める。それを指先でしっかりとホールドし、緊張で硬直した全身の筋肉を緩める。手首のスナップのみに集中し、ゴミ箱との距離を計算する。クイックイッと、何度か手首を動かした後、ふんわりとした軌道を描くように指先からティッシュを解放する。

「あかん。全然違うところに行ってしもた」と、愚痴愚痴やりながら、フローリングに転がったティッシュを拾いに行く。それを何度も何度も繰り返し、そろそろ日も暮れようかとする頃、その日に提出せねばならない仕事を失念していることに気づく。今から取り組んでももはや間に合わない。激昂するクライアントの顔が浮かぶ。

恐怖に怯え、全身の毛穴から大量の汗が吹き出した。そうだ。バスタオルで全身を拭き取ってやればいいんだ。練習の賜物だ。と得意げにバスタオルで身体の水気を拭き取ってみたものの、冷や汗というものは留まることを知らないもの。完全に拭き取ってやる、というチャレンジはその後、夜中まで続いたことは想像に易い。

デタラメだもの。


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