勉強が大嫌いだった僕が、なぜ教育に携わるのか
高校生まで、僕の成績は学校内順位は下から3番目。勉強も大嫌いだった。
なんで勉強をしなければいけないのか分からず、テストの点数や受験という【丸暗記の発表会】で人を評価されることに、とても違和感を覚えていた。
当然、授業なんて真剣に聞くわけもなく、成績なんて上がるわけもない。
そんな僕は大学入学後、1年生から「教職課程」を履修する。
大学4年間で「勉強って楽しい!」と思うようになり、教員免許を取得した。
そしてあろうことか現在は「教育業界」の中で、毎年多くの中学生〜大学生の前で「授業」や「ワークショップ」、「個別相談」を行っている。
(先生や塾講師という職業にはついてないが、多くの生徒さんや教え子たちが「先生!」や、「とっきーさん!」と呼んでくれている。)
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そもそも僕はなぜ勉強が嫌いだったのに、「教職課程」を履修しようと思ったかだ。
それは高校時代のある日の数学の授業がきっかけだ。
その日の授業では初めて習う公式を扱っていた。
先生が公式を黒板に書き、どのように代入して解くかを説明した後
「ちなみに、なぜこのような公式になるのかというと・・・」と背景を説明してくれようとした。
その瞬間、クラスの生徒からこんな質問があった。
「先生、その公式の背景は、テストや受験の入試で必要ですか?」
「いや?でないよ。でもその理由を理解していないと、意味がないんだ。」
「テストに出ないなら、時間がもったいないよ」
「まあ、覚えなくてもいいから聞き流してくれ。これはな・・・」
ほとんどの生徒は、この先生の説明を聞かずにノートを閉じ、問題集を解き始めたのを鮮明に覚えている。
僕は驚いた。僕は勉強が嫌いで、特に数学が大嫌いだったし、苦手だった。
だが、「なぜそのような公式になるのか」を考えたことがなかった僕に取って、「どうしてこうなるのか」という視点が大切だと気づかせてくれたのはこの瞬間だった。
ーそうか、勉強はただ暗記するのはダメで、背景や理由を知るべきなんだー
それから僕は、試験範囲を勉強するというよりは、「なんでそうなるのか」を知ることにハマった。
一方でみんなは「テストや受験に出るか出ないか」を重要視して勉強をしていることに気づいた。
もちろん、僕の成績は悪くなった。学校中からばかと笑い者だったのだが(笑)
でもその時こう思った。
ー僕みたいな勉強嫌いでも、もしかしたら「面白さ」を伝えられるかも?ー
当然受験なんてせず、「推薦」で大学への進学を果たす。
周りからは「推薦組は、負け組。」なんて揶揄されたが関係ない。
その時間で大好きなサッカーに取り組み、興味のある大学での学びを予習し、たくさんの本を読んだ。
徐々に勉強の楽しさに気づき、「今度は僕から伝えていきたい」と思った。
だから「教職課程」を履修したのだ。
サッカーのコーチングを学んでいたので、「応用できるかも!」と思ったのも背中を押した。いざ始めるとすごく楽しかった。
歌舞伎の世界で有名な【守破離】という言葉がある様に、僕は授業を聞いていなかったので「基礎基本」がわからないまま大学に進んでいる。
大学の授業の前後に中1の教科書を引っ張り出してやり直すというそれはそれは無駄な時間を過ごしてしまった。
高校までの学校の授業には基本が詰まっていると思う。しっかり聞いて、「先生を使い倒す」という意識でいいと思っている。
高校の頃の恩師は「俺を使い倒せ」ってよく言ってた。
のちに教職をとってわかるが先生方の授業や配布物は工夫の塊と貴重な財産なのだ。
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それから4年後、就職活動を迎えた僕は、様々な業界に興味があった中で、教育業界を特に志望していた。
その時の志望動機は
『勉強の楽しさや重要性を伝えながら日本の教育を変えたいと思った』
今こんな話をしたら周りに笑われるかもしれない。
でも、今もこの気持ちは変わっていない。
それは、大学時代にみてきた色んな光景がきっかけだ。
「試験や受験のために勉強していた」子たちが、大学に入学してから全く勉強をせずに遊び呆けているのを何十人、何百人とみてきた。
「志望大学の入学がゴール」になってしまっていて、その大学に入れれば将来が約束されている。と勘違いをしている子があまりにも多すぎると僕は思っていた。
例えば、サボっていたのに授業の終わる直前に出席カードを持って廊下に並び、チャイムと同時に教室に入ってカードだけ出しに来る奴。
先輩に過去問もらって、複数人の当番制で出席カードを出し、ほとんど授業出ない奴。
「1限おきられない」のが理由で、自ら単位を落としていく奴。
僕は高校時代まで不真面目に勉強しなかったにも関わらず、
「本当にそれでいいの?」とは思うようになっていた。
学費高いと文句言うなら、施設を使い倒して学べばいいのに。と。
反対に、一生懸命勉強をしている子たちのことを尊敬するようにもなっていた。
毎日、放課後図書館に籠っている子。
部活や課外活動に取り組みながら一生懸命時間を見つけて勉強している子。
「何を彼らをそこまで突き動かすんだろう?」
聞いてみると、みんなに共通するのは「夢」があったということだ。
そして就職活動の場でこれは大きく将来が分かれることになる。
前者は「大学名」しかアピールできることがなく、どんなにいい大学でも苦戦する。
後者は「経験」をアピールすることができ、引く手数多になる。
そして多くの大学生が、
「A4用紙白紙1枚を自由に使って自分の強みを含めてやりたいことを書いてください」
という問いに答えられないのだ。
ちなみにこの問い以外にもこんな質問にも大学生は答えられないことが多い。
・〇〇っていうニュースに関して、どう思う?
・どんな社会人になりたいの?
・最近最も響いた言葉ってある?
いわゆる全て「答えのない課題」なのだが、
これを海外の大学生にしたとしよう。
きっと永遠と自分の意見を主張をしてるはずだ。
彼らは幼い頃から「議論」することに慣れている。
実際僕も経験をしたことがあるのだが、彼らの語尾には「あなたはどう思う?」がつく。
・最近の環境政策について、私はこうこうこうであーゆーふうに思ってるんだけど、あなたどう思う?
・私は将来、こうこうこんなことをやりたいと思ってる。そのためにいまこれを学んでるんだけど…あなたはなぜここにいるの?将来なにをしたいの?
これが自己主張が苦手な日本人がなかなか海外で活躍できない理由だと僕は思っている。
「答えのない課題」、とりわけ将来軸に対しての質問に取り組む力が圧倒的に不足している。
無論、先程の「4年間頑張っていた子」達なんかはこんな問題すらすら解いていく。
むしろありすぎてA4の1枚じゃ収まらないし、海外の大学生とも対等に意見をぶつけ合える。
この課題の原因を学校や先生のせいにするのはナンセンスだ。
先生方は暗記だけでなく、その背景や理由を工夫して教えてくださっている。
むしろ、先生方の授業を聞き流してしまっている僕たちの方に原因があったのではないか?
と考えるようになったのだ。
そして最近多くの学生から「やっぱり学歴フィルターってあるんですか?」と聞かれる。
正直にいうと、残念ながら、あるだろう。
でも、全く学歴の繋がりのないところから行動力と人間力で採用を勝ち取っていく子たちのことも何人も知っている。
学歴を気にせず、自分がやりたいことを思いっきりやって、その経験から得られた自分の考えを思いっきり伝えておいで。
と僕はよく伝えている。
どんなに偏差値の高い大学にいても4年間遊び続けた人と、
平均的な大学でも4年間頑張り続けた人では、
卒業時に圧倒的に差ができていると僕は思うのだ。
大学名を気にする前にやることはたくさんあると思うのだ。
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海外では、日本でいういわゆる大学ごとに行われる「入試」という物がなく、共通の「大学入学資格」というものを取得すれば、自分の好きな大学を選べる。
日本の大学は「入るは難き、出るは易し」
海外の大学は「入るは易し、出るは難し」
とよく比較されている。
冒頭にも述べたが「受験勉強のために勉強をして、燃え尽きて大学で遊んでいる」子が多いので、海外に比べて成長スピードが遅い。
ハーバード大学の図書館に
「苦しんでこそ成長がある」
「犬のように学び、紳士のように遊べ」
という言葉が刻まれているようだが、海外の大学生は文字通り1日中勉強しているのだ。
まあ、これには日本の学費の高さや、アルバイトの必要性のような条件面もあるので一概に個人のせいにはできないのだが、それでもやっている子はやっているわけだ。
もっと言うと「学びたい」と意欲を持っていても、学費が払えず大学にいられない。なんて子もたくさんいるのも事実だ。
そのような環境も含めて、「日本の教育を変えたいな」と今でも思っている。
業界の中にいると、なかなか文化を変えることは難しい。
なら外から1人の人間として、発信していくことで、伝えられることがあるのではないか?
勉強になるかはわからないけど、ここなら無料で学びるヒントをたくさんお伝えできるはずだ。
そう思ってnoteを書き始めたという想いもある。
ちなみに、教育業界でもこの考え方は大切だなあと思ったツイート。
(9月30日 19:40追記)
そして僕が共感したとても素敵な記事があったのでご紹介したい
この記事をご覧いただいたJunkoさんという方のnote。
以下の「やりたいこと」をみて、共感と刺激をもらいました。
多くの人々が幸せになれるような経営orビジネスがしたい
教育を十分に受ける環境に恵まれなかった人たち(低所得、母子家庭、難民など)へ道を拓くために尽力したい
SDGsの17のゴールの1つに「質の高い教育をみんなに」という物がある。
本来、教育というものはみんなに公平に学び合える環境があるべきなのだが、「高額な学費」が立ちはだかりなかなか変えられないのが現状だ。
なので僕は教育業界の中で常にこのゴールを意識して何ができるかを微力ながら考えているのだが、Junkoさんはそのさらに先。
多くの人々が幸せになる、というところまで考えられている。
うーん、これはすごい。同世代にもたくさんすごい方がいらっしゃる!
・・・と思って勝手に紹介させていただきました。
僕の記事もご覧いただいてありがとうございました!
このnoteが誰かの「学びたい!」に届いたらいいなと思っている!
おしまい!
(ご興味があればぜひ以下の記事もご覧ください。)
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