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ミクロとマクロを行き来する視点~BUMP OF CHICKEN~from 『Butterflies』



はじめに

 『Iris』発売決定記念!バンプのアルバムを哲学的な視点で語るプログラム。今回は3回に渡ってアルバム『Butterflies』の曲を中心に、歌詞のテーマについて語ることとなる。

なぜ『Butterflies』なのか

 簡単に言うと、この連作の記事を書こうと思ったきっかけが、このアルバムにあるからである。というのも、このアルバムにはバンプの歌詞の哲学的エッセンスが凝縮されていると思うからである。そのエッセンスについては、以下三つが挙げられる。
※今回は1のみを扱うが、後日2、3についても執筆する予定。

1、ミクロとマクロ
2、コペルニクス的転回=主客の逆転(すべては君次第?)
3、説明できない最後のモノ(存在)

ミクロな視点とマクロな視点


 バンプは「星」に関する曲が多いイメージがある。バンプ=宇宙だと認識している人は多いだろう。バンプには、「宇宙」まで拡大するマクロな視点と自分の内面及び周囲の世界に収まるミクロな視点を行き来する、そういう曲がいくつもある。わかりやすいのは、曲やアルバムのタイトルに、天体に関わる言葉がよく使われることである。例を挙げる。

・アルバム
juipiter 木星
orbital period 公転周期 地球が太陽の周りを回る周期(28年)
COSMONAUT 宇宙飛行士

・シングル
supernova 超新星
シリウス おおいぬ座の恒星(恒星中最大レベルの明るさ)、全天で21個ある一等星の一つ
spica スピカ。おとめ座の恒星、全天で21個ある一等星の一つ

とはいえ、直接その天体について歌っているわけではなく、歌詞は人間的な内容である。ではなぜ、天体にまつわる曲名をつけるのだろうか?私が思うに、自分というミクロな世界の物事を、宇宙というマクロなイメージで表そうとしているからである。

『話がしたいよ』と『Stage Of The Ground』

 タイトルだけでなく曲の歌詞をいくつか挙げてみよう。

 バンプの代名詞といえる『天体観測』を例に挙げるまでもない。マクロ(大き)な視点の曲が多い印象があるが、ただ壮大なだけではない。というか『天体観測』こそまさにマクロな天体ショーを追いかけるミクロな少年たちの物語だった。
 続いて、『話がしたいよ』では、バス停で待つシーンから始まり、二番では急に太陽系外に飛び出したボイジャーの話に飛び、自分の体に戻ってくる。そしてこう綴られる。

それの何がどうだというのか わからないけど急に
自分の呼吸の音に 耳澄まして確かめた

話がしたいよ

 壮大なことを歌っているように見えて、実はミクロな世界を歌っている。不安になり、自分の呼吸の音を確かめることで、自分の存在を確かめるのである。

平気さ

話がしたいよ

続いて、『Stage Of The Ground』の歌詞はこうだ。

未来永劫に 届きはしない
あの月も あの星も
届かない場所にあるから
自分の位置がよくわかる

Stage Of The Ground

どこまでも広い宇宙と小さな自分。しかし、自分(人間)はちっぽけなだけの存在だというわけではない。こう言い切る。

那由多に広がる宇宙 その中心は小さな君

Stage Of The Ground

あの月も あの星も全て君の為の 舞台照明

Stage Of The Ground

今見た2曲では、宇宙の大きさが自分の存在に与える不安と肯定的な感情が表現されているといえよう。これにより、自己肯定感(否定的な感情から肯定的な感情へ)の変化が描かれている。

ここでポイントなのが、宇宙という大きな存在を目の前にして、人間(という存在)とは何かということを語る、ということである。

『Butterflies』

では、『Butterflies』収録曲の話に入っていこう。

ファイター -並列-

曲順は前後するが、アルバム最後の曲『ファイター』の表現は秀逸だと思う。

オーロラが広がっているって知った
ふと足元の虫と目が合って笑った

ファイター

 空を見上げるとオーロラがあり、足元を見ると虫がいる。
 マクロとミクロを、誰もが目視できる形で提示してくれているのではないだろうか。
 ここでより重要なのは、ミクロとマクロはただ単に別々のものとして並べられてるのではない、ということである。「Stage~」 にもその一端は垣間見えるが、この世界のすべて(オーロラから虫まで)に対する自分、というテーマである。

孤独の合唱 -超越と内在1-

 続いて、『孤独の合唱』では、照準は宇宙規模の「大」(無限大)だけでなく、「小」(無限小)すなわち自分=私=人間の内側にも向けられている。

望んだら望んだ分まで 遠い場所へ
体の一番奥の 知らない場所へ

孤独の合唱

 「1ミクロン以下の~」という表現があるが、私(人間)は、いくらでも細かく分解できる。宇宙はどこまでも拡張していくことと同じように、私たちの「体」のどこまでも奥へと、奥底へと深く入り込むことができる。

 …これで終わりではない。他の曲を見てみよう。

流星群 -超越と内在2-

あの雲の向こう側の全部が 君の中にあるんだよ

流星群


 ここでは、雲の向こう側=星の世界と解釈して差し支えないであろう。つまり、宇宙のすべてが君の中にある、ということは、宇宙のすべてと「君」「僕」の対応関係を暗示していると考えられるのである。

 さて、「マクロコスモスとミクロコスモス」という考え方がある。マクロコスモスとは、直訳すると「大きな宇宙」つまり宇宙である。それに対して、マクロコスモスに対する極小の宇宙=人間の体はミクロコスモスと呼ばれる。宇宙と人間の体は、お互いに類比の関係にあるという考え方である。

MEMO
マクロコスモスというと宇宙を表する
→大宇宙
ミクロコスモスというと人体を表す
→小宇宙

マクロコスモスとミクロコスモス 
from wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%82%B9

昔から考えられていることを藤原は自分の感性で表現していると言えよう。

GO -主客の逆転-

 さて、極めつきは『Butterflies』の一曲目のこの歌詞であろう。

星空は君が作ったもの

GO

 月や星は君のための舞台照明、と歌った『Stage~』よりも徹底しているように思う。では、全宇宙は君が作ったものとは、どういうことか?宇宙と自分との対応関係という観点では、宇宙から人間が生じていくというよりも、人間(君)が宇宙を生み出す、というような表現である。そしてこれまで見た流れから言えば、マクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人間)という関係の逆転が起こっている。
 そしてこの「自分」(主)と「自分が見ている世界」(客)の逆転ということが、先に続く二つ目のエッセンス、三つ目のエッセンスと関わってくることになる。

おわりに

 まとめを兼ねてエピローグとしよう。

 バンプの曲名には、天体に関わる言葉が多く使われており、「自分というミクロな世界の物事を、宇宙というマクロなイメージで表そうとしている」といえる。
 またそうすることで、「人間(という存在)とは何か」ということを浮き彫りにしようとしている。もちろん、宇宙=「この世界のすべて」(オーロラから虫に至るまで)であり、そして同時に、自分の「内側」(奥)も世界のうちに含まれる。
 話は終わりではない。バンプの歌詞世界においては、向こう側にあるもの(星空?)の全部が君の中にあり、星空は君が作ったものでもある。(自分を含む)この世界のすべてが見せる世界=客観と自分自身=主観も行き来(逆転)が可能となるのである。
 次回以降、第二、第三のエッセンスについて見てていくこととなるだろう。 
 

おわり


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