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君はeスポーツなるものをしているか

<あらかじめのおことわり>
この記事はeスポーツやビデオゲームを推奨するためのものではなく、私が垣間見たeスポーツの世界を自身の記録として残すことを目的としています。
この記事を読んだあなたやあなたの子供たちがeスポーツをやるかどうかについて私は一切関知しません。私の意見を押し付けたり、あるいは、ゲーム反対といういう人たちを説得しようというつもりは毛頭なく、反対賛成のどちらに与するものでもありません。各自様々な意見があってしかるべきです。ただ、知らないことについて無条件に批判することは間違った結果を導く可能性があるため、事前に理解することも大切と思います。「あなたの考えていることは理解はしたけど、私はそれに反対です、なぜなら・・・」という方が批判のやり方としては良いのかなと思っています。
この記事が皆さんのご判断に少しでも役立つ情報になるとすれば幸いです。
なお記事はeスポーツをやったことのない大人、特に中年以上の方が読むことを想定して書いています。

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はじめに

 私は年甲斐もなく2年半位前からeスポーツなるものをしている
 いい年をした大人がテレビゲームとは、とため息をついたそこのあなた、その気持ち、私も良く分かります。なにせ通勤電車内でスマホゲームに興じるサラリーマンを見るたびに密かに蔑んでいたのが私自身だから。
 みっともないよねー、って。
 何の身にもならない事で画面に釘付けになって血眼になって時間を浪費しているのは。そんな時間があったら勉強するとか読書するとか、何か役に立つことをしてみたらどうだ、と思うよね。
 でもね、でも違うんだよ。
 家に帰れば立派なお父さんでありお母さんであるかもしれない君には分からないだろうし、分かりたくもないだろうけど、違うんだよeスポーツは
 子供たちがのめり込んでいるのはテレビゲームなんかじゃないんだよ。

どういうことだ?

 私がやっているのはFPS(ファースト・パーソン・シューティング)バトルロワイヤルもの。最近はもっぱらApex Legendsというタイトルに挑んでいる。


 バトルロワイヤルのルールを大雑把に説明すれば、1チーム数名からなる複数のチームが、時間の経過とともに安全地帯が狭まる島に降り、武器やアーマーを拾いながら戦い、最後の1チームに残ったら勝ちというもの。
 敵に素早く照準を合わせて銃撃するエイム能力、キャラクターを自由自在に操作するキャラクターコントロール能力、敵に撃たれない位置を適切に把握し立ち回る射線管理能力、どのタイミングでどういうルートを進むのが良いか判断する戦略的行動能力、そして味方と意思疎通を図り指示伝達するコミュニケーション能力というように、あらゆる技能や能力が求められるなか、瞬間瞬間で秒未満の速さでの決断が要求される。

 戦う相手も同じチームの味方も全て生身の人。画面の向こう側で一喜一憂しながらキャラクターを操作している。
 サーバ上に作られたフィールドに、インターネットを介して集合した選手らによって繰り広げられるバトルは、試合ごとに違った展開を見せる。そこには毎回新たなドラマがあり結末がある
 複雑極まる要素が織りなす世界で、チームメイトとともに、人間を相手に百分の一秒単位の判断とコントロール集中とリラックスの柔軟な切り替え、ここぞというときの極限的な集中力といった様々な身体的精神的能力を発揮出来た者だけが、そして同時に、対面した敵に押し負けず、どんな状況下でも冷静でい続けられる心理的能力を発揮した者だけが、そしてチームメイトをリスペクトして協同することが出来たものだけが勝者たりうる

 これはスポーツそのものではないか。
 仮にスポーツの定義に当てはまらないと言う人がいたとしても、スポーツが持っている要素を兼ね備えている事は否定出来まい。

スローモーション

 eスポーツなるものがスポーツである以上、身体的な適正年齢があり、どんなに優秀で長命な選手でも20代後半ともなればプロ引退の文字がちらつくようだ。
 私の様な人生半世紀を経た人間がそんな世界に入ってフィールドに降り立ってみると、実に面白い現象に遭遇するのだ。

 最初に、そこでのスピードに全くついて行けない自分に出会うことになる。
 打席に立ってプロ野球投手の放る150キロ超の玉が見えないのと同じだ。空振りする自分のバットの軌道だけが妙にいつもより鮮明にスローモーションで感じられるのに、振り始めた時には既にキャッチャーミットの中にボールが納まる音を自分の耳が確実に捉えている
 それと同じく、目の前に敵が姿を見せたことを己の視神経が捉え、銃を構えて的に狙いを定めトリガーを引くに至るまでに起きる神経繊維を伝わる電流の波を妙に精密に感じながらも、その信号が脳細胞を経て右手人差し指の指屈筋を動かしマウスの左ボタンをクリックした頃には、私は血を流して地面に横たわっている己の分身の姿を画面上で見せつけられるのだ。もはやそこに敵の姿は無く、背後で次の銃声が響いているのだ。
 遭遇する前に私は敵の足音を聞いたか? 私は敵の銃口のマズルフラッシュを見たか? 私の分身に銃弾が到達するまでの間、私は一体何をしてたというのか。実際のところ、銃弾に倒れるその瞬間、私の中の神経伝達電流はまだ脳の中でうろうろと燻っていたのだ。まだ信号は手に伝えられておらず、右手はピクリとも動いていなかったのだ。
 目で敵を捉え、その敵がこちらを攻撃しようと動いていることは認識しており、応戦しようと考えているのだが、身体が動いていない。
 いわんや、敵から見れば私はきっと、超スローモーションだったに違いない。

溢れるアドレナリン

 試合の序盤、フィールド上では各チームがある程度散らばっているので、あえて人が密集しているところに行かなければ闘いは起こりにくい。しかし、時間とともに動き回ることの出来る安全地帯が狭まると、自ずと敵に遭遇する機会が増え、各所で戦闘が始まることになる。
 いざ戦闘が始まると、平和そうな風景が一変する。
 当然なことだが、敵チームが銃を構えてこちらに迫ってくるのだ。
 古い記憶かもしれないが、運動会の騎馬戦で、大将戦開始の合図の笛が鳴った瞬間に図らずも自分が紛れ込んでしまったと想像してみて欲しい。
 この時私は、全身の血液に大量のアドレナリンが流れ込んで来るのを感じた。
 心臓が一瞬ビクンと呻って跳ね上がり、視界が狭まり、体が硬直してのけぞり、呼吸が苦しくなる。心拍数は尋常じゃないほど上がって、オッサンである自分はマジで死ぬんじゃないかと思う
 当然、気づけば画面の中で銃弾に倒れていることの方が圧倒的だ。

 ただ、こんな身体現象に襲われるのはオッサンだからではないか、eスポーツが下手だからではないか、という気がしている。
 動画でプロの選手のプレーを見ると、賞金の掛かった試合の重要な場面ではいざ知らず、大抵はとてもリラックスしてプレーしているように見える。プロゴルファーだって、力んだりカッカしたりしていては良いスコアは出るはずもなく、リラックスして冷静な状態でなければ良いプレーや結果は出ないというではないか。
 どんなスポーツでも闘いにアドレナリンは付き物だ。
 ただ、アドレナリン投入という生理現象に精神が振り回されてはいけない。あくまで身体をコントロールするのは強靭な精神力でなければならのだ。

忘却との戦い

 次に現れるのが、記憶との闘いだ。
 これはあなたの年齢にもよるだろうが、中年から私のような初老になれば、少なからず記憶力の減退を感じているのではないだろうか。
 試合のルール、武器の種類、使える銃弾の種類、数あるキャラクターの特性や得意技、アーマーの能力、銃弾を受けた部位の違いや銃の違いによるダメージ値の違い、フィールドの地形、どこが有利なポジションか、どこに立っていてはいけないか、どこを通ると危ないか。そもそも、どのキーをどうやったら、どういう操作が出来るのか。
 ここ挙げているのはほんの一部であるが、そういった様々な情報を把握しているかどうかが、戦闘を有利にも不利にもする
 あなたも若い頃は持っていただろう記憶という能力が戦いの結果に影響するとすれば、オッサンが若い人に容易には勝てないことが分かるだろう。
 たとえ若いプレーヤーであっても、決して容易いことではなく、正しい情報を正しいタイミングで習得しなければならいし、情報を自分の中で体系化して最終的は無意識の帯域に持っていくことで試合中に求められる瞬時の決断に活かせるようにならなけければならないのだ。

地道な練習

もう一つ忘れてはならないのが、eスポーツは地味でつまらない練習を日々地道に繰り返すことなしには、普通に戦うことすら許されない世界だ。練習しなくてもただのテレビゲームとして遊ぶだけなら何ら問題ない。だが、より上位を目指して試合に臨むのであれば「遊び」では決して到達出来ない、とてつもない高みと深みがある
 楽器の習得でもそうだが、基本動作を繰り返すことで無意識に出来るようになるまで練習を重ねる。例えばEマイナースケールと言われれば、どの鍵盤を押すんだっけと考えていてはダメで、すらすらと無意識的に奏でられなければ使いものにならない。練習を怠れば後退しかないと思わなければならない。あるピアニストは過去にこんな言葉を残している。

練習を一日休むと自分にわかる。
二日休むと批評家にわかる。
三日休むと聴衆にわかる。

 継続練習することにより意識的動作を無意識的動作に移行させることで、人はより多くのことを処理出来るようになる。自動車の運転でも最初はひとつひとつの手順を確認しながら操作していたと思うが、慣れれば他の話をしながらでも安全に運転出来ているではないか。これを私は身体処理の自動化と勝手に名付けている。

 eスポーツ以外のスポーツでも、実践こそ練習といって地道な練習をあまりやらない人がいるが、そういう人が大成したためしはない(と私は思う)。
 練習するときには、その練習によって何を習得しようとしているのか、その技能の習得にはどんな練習方法が適切なのか、といった問を常にもっていなければならない。

スポーツの精神

 もし時間が許せば、ここまで書いたことを、「eスポーツ」という言葉にとらわれずに読み返してみて欲しい。スポーツに真剣に取り組む人達が感じていること、やらなければならないことと実に共通してはいまいか。
 私なりに定義を試みれば、eスポーツは、ビデオゲームという素材を使用して、ネットワーク上用意された競技フィールド(土俵)とルールの上で、選手たちが己の鍛錬の成果を競い合う場のことであり、その一連の営みすべてのことである。これは現代のスポーツの定義と相通じるものだ。
 そこには、スポーツを通じて得られる経験や技能習得方法論、スポーツを通じて培われる友情や世界交流、極めた人への尊敬の眼差し、そして支える人々と支えられて成長する人々の感謝が、全て詰まっている
 スポーツにそういったプラスアルファの何かを求めるまでもなく、スポーツの語源を辿ればeスポーツは間違いなく、スポーツなのだ。

 そう、子供たちが熱中して練習に取り組み、思い通りにならない苦しい日々を経験した果てに、得られたその成果に拳を挙げていたとしたら、それはテレビゲームなんかじゃないんだ
 だから私は、どんなにフィールド上で叩きのめされようとも、倒した私の武器を漁り次の戦闘に向けて颯爽と走り去る彼らを心から応援したい

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おわり

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