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ただの歴史好きです。世界史・日本史の出来事について書いてます。思いっきり趣味のページで…

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ただの歴史好きです。世界史・日本史の出来事について書いてます。思いっきり趣味のページですが、よろしくお願いいたします。

最近の記事

Vol.15 藤原氏⑧~応天門の変

こんにちは、TKです。今日は、承和の変から応天門の変くらいまでの藤原氏の歴史について書いていきます。 1.良房、太政大臣へ承和の変から8年後、仁明は世を去り、良房の甥にあたる文徳帝が即位します。 この時、文徳には数人の後継者候補がおり、誰を後継者にするかでもめたと言われますが、良房は自分の権勢を利用して自らの娘、明子の産んだ惟仁親王を後継者に立てることに成功します。そして、857年には良房は太政大臣に就任することとなります。(道鏡以来90年ぶり) 太政大臣は、「天皇の師

    • Vol.14 藤原氏⑦~藤原北家の時代へ

      こんにちは、TKです。今日は、薬子の変から承和の変くらいまでの藤原氏の動きについて、書いていきます。 1.冬嗣の出世薬子の変で嵯峨帝側につき、嵯峨帝の勝利に貢献した藤原冬嗣は、天皇から高い信任を受けて、出世していくことになります。 冬嗣は、変の翌年(811年)に公卿になると、818年には大納言(大臣の補佐役)につき、3年後には右大臣に昇り、北家の中心に立ちます。また、藤原氏一族のために寮と学校を兼ねた勧学院という教育施設をつくりました。 一方、変の首謀者、仲成・薬子のい

      • Vol.13 藤原氏⑥〜「薬子の変」

        こんにちは、TKです。今日は、平安時代前半の大事件、「薬子の変」の時代の藤原氏の動きについて書いていきます。 1.平城天皇の時代804年に桓武は世を去り、代わって平城帝が即位します。平城は即位すると、国内改革に打ち込みます。 平城の改革は、新都建設や蝦夷征討などの拡大政策が行われた桓武の時代とは反対に、公卿や官吏の削減などの効率化・引き締め政策でした。しかし、引き締め政策は、ターゲットになった貴族たちの不満を引き起こしてしまいます。 そのころ、807年に伊予親王の変という

        • Vol.12 藤原氏⑤~奈良時代後期

          こんにちは。TKです。今日は、奈良時代から平安時代にかけての藤原氏の歴史を書いていきます。 1.奈良時代末期の藤原氏道鏡が称徳と共に政権を握っていたころの藤原氏はどうだったのかについて、少し見ていきます。 まずは南家から見てみると、仲麻呂家は恵美押勝の乱でほとんど滅亡してしまい、兄の豊成は右大臣に戻ったものの、南家全体的には仲麻呂の影響で力が落ちてしまいます。 北家は房前の息子たち、永手・真楯・魚名を中心に議政官を出しているものの、その他に有力者はまだ現れていません。一方

        Vol.15 藤原氏⑧~応天門の変

          Vol.11 藤原氏④~仲麻呂と光明皇后

          こんにちは。TKです。今日は、奈良時代の中盤、橘諸兄と藤原仲麻呂の時代について書いていきたいと思います。 1.橘諸兄政権 737年に相次いで藤原四兄弟が世を去ると、皇族系の橘諸兄が政権に立ちます。(基本的に奈良時代は藤原氏と皇族や天皇の側近が政権を交互に取りあう感じです。)一方の藤原氏は四兄弟の跡継ぎがまだ若かったため、しばらくの間政権からは遠ざかります。 橘諸兄は政権に就くと、自分にとってジャマになりそうな藤原氏の一族を追い払うことにします。この中で、藤原広嗣も九州へ

          Vol.11 藤原氏④~仲麻呂と光明皇后

          Vol.10 藤原氏③~藤原四兄弟

          こんにちは。TKです。今日は、不比等の息子たち、藤原四兄弟の時代について書いていきたいと思います。 1.四兄弟とは? 藤原四兄弟とは、上の4人の事です。彼らは上から武智麻呂・房前・宇合・麻呂という名前で、後にそれぞれ独立して南家・北家・式家・京家の家を立てることになります。その中でも次男の房前は有能な家臣として高く評価され、父の生前に兄弟の中で一番早く公卿(議政官)に上がることになります。これは、一つの家から一人の公卿しか出せないという当時のルールを破るものであり、大きな

          Vol.10 藤原氏③~藤原四兄弟

          Vol.9 藤原氏②~不比等の台頭

          こんにちは。TKです。今日は藤原鎌足の息子、不比等の時代について書いていきたいと思います。 1.不比等の幼少期 今日の主人公、藤原不比等は鎌足の息子として659年に生まれました。彼は父親を亡くした後、まだ子供だったこともあり百済系渡来人の一族である田辺史氏の下に引き取られていたようです。(ちなみに不比等は幼少時には、「史」という名前だったと言われています。) 田辺史氏の下で教育を受けたと思われる不比等は、周囲に鎌足の息子として高く評価されていたようで、成人するとすぐ当時

          Vol.9 藤原氏②~不比等の台頭

          Vol.8 藤原氏①~鎌足の登場

          こんにちは。TKです。今日からは、藤原氏の歴史について書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 1.鎌足、運命の出会い藤原氏の歴史は、中臣氏と呼ばれる神官の一族に生まれた中臣鎌足から始まります。 彼の幼少時代については良く分かっていませんが、記録によると学問に優れていたとされており、将来的には神官として朝廷に入る予定だったようです。 ところが、彼は神官よりも政治家としての人生を取ろうとしており、そのような中で彼は葛城王子(後の天智天皇)と出会うのです。鎌

          Vol.8 藤原氏①~鎌足の登場

          Vol.8 フランス革命⑤~ナポレオンの帝国

          こんにちは。TKです。今日は、フランス革命最終回ということで、ナポレオンの皇帝就任までを書いていきたいと思います。 1.ナポレオンの生い立ちナポレオンは1769年、イタリア系の貧しい小貴族の息子としてコルシカ島で生まれます。彼は成長するとフランス軍の士官学校で学び、優秀な成績をおさめて砲兵将校に任じられます。 その後フランス革命が起きた時、彼は革命軍に身を投じます。これが彼の栄光の始まりです。 2.ナポレオンの活躍フランス革命が起こると、フランスはヨーロッパ諸国との間で革

          Vol.8 フランス革命⑤~ナポレオンの帝国

          Vol.7 フランス革命④~テルミドールのクーデター

          こんにちは。TKです。今日はフランス革命第4回目ということで、テルミドールのクーデターから書いていきたいと思います。 1.モンターニュ派の動揺革命戦争の好転に成功したモンターニュ派政権。しかし、これによって革命防衛のために正当化してきていた恐怖政治が次第に行き詰まり始めます。 加えて、絶対的権力はどうしても腐敗する物。権力を得たモンターニュ派の内部では、権力争いと汚職が頻発し始めます。 また、モンターニュ派を支持していた国民の意見も徐々に変わりつつありました。このころ、

          Vol.7 フランス革命④~テルミドールのクーデター

          Vol.6 フランス革命③〜王政廃止

          こんにちは。TKです。今日も、フランス革命第3回ということで、王制の廃止から始めていきたいと思います。 1.国民公会の成立8月10日のクーデターで政権を奪ったジャコバン派は、従来の選挙法を改め、普通選挙(男性のみ)に変え、議会選挙をやり直しさせます。こうして9月から10月にかけて再び選挙が行われ、フランスでは立法議会に代わって国民公会と呼ばれる議会が開かれることになります。 しかし、その国民公会にはクーデターで追われたかつてのフィヤン派はなく、同じジャコバン派のジロンド派

          Vol.6 フランス革命③〜王政廃止

          Vol.5 フランス革命②〜嵐の始まり

          こんにちは。TKです。今日も、フランス革命第2回目という事で、書いていきたいと思います。今日は、ヴァレンヌ逃亡事件からスタートしたいと思います。 1.ヴァレンヌ逃亡事件革命により、絶対王政から立憲君主制へと変わりつつあるフランスでしたが、これで権力を制限されたルイ16世はあまり面白くありませんでした。しかもこのころ、ルイ16世と議会の間に立っていたミラボーが世を去り、ルイ16世は議会とのパイプを失ってしまいます。 そしてそんな時に、国外に逃げていた貴族たちは、オーストリア

          Vol.5 フランス革命②〜嵐の始まり

          Vol.4 フランス革命①

          こんにちは。TKです。今日から何回かに分けてフランス革命について書いていきたいと思います。 1.フランス革命の流れ フランス革命を勉強していて思っていたのですが、すごくややこしかったです。なので、中身に入る前に大体の流れを書きます。 増税のために三部会を開く→三部会のシステムに国民が反対デモ→デモ隊が暴徒化してバスティーユ牢獄を襲撃→人権宣言・新憲法制定→新憲法での選挙→議会での対立とヨーロッパ諸国の介入→ピンチの中でジャコバン派がクーデター→国王廃位・処刑→ジャコバン派

          Vol.4 フランス革命①

          Vol.3 牛李の党争とは?~傾く大唐帝国

          こんにちは。TKの歴史部屋です。今回は、唐王朝後半のマイナー事件、「牛李の党争」について書いていきたいと思います。 実はこの事件、マイナーなのですが時代の変化の中で起きた重大事件なのです。 1.傾く大唐帝国今日のテーマ「牛李の党争」が起きたのは、9世紀前半から中盤位の事でした。このころになると、唐王朝も安史の乱もあり、弱体化してしまいました。 唐王朝が次第に力を失っていくのと同じように、これまで唐王朝の中心にいた貴族たちも力を失いつつありました。そして代わって力を伸ばしてき

          Vol.3 牛李の党争とは?~傾く大唐帝国

          大学のテスト対策に押さえたいヨーロッパ史① Vol.2

          こんにちは。TKです。今回は、大学でのテストによく出てくるヨーロッパ史について書きます。 今回の範囲は1648年のウエストファリア条約から、1789年のフランス革命までの所です。この辺は、法学部ではよく出てきますよね。しかも、ここは割と一度押さえておけば繰り返し単位が取れる場所です。ということで早速書いていきたいと思います。このページ押さえれば単位取れます(笑) 1.ウエストファリア条約からスペイン継承戦争まで時代的には、1648年から1714年位です。ここでのポイントは、

          大学のテスト対策に押さえたいヨーロッパ史① Vol.2

          このページについて Vol.1

          こんにちは。TKです。このページでは、「TKの歴史部屋」ということで、日本史や世界史をメインに書いていきたいと思います。後は、読んだ本のレビューなんかもしていく予定です。 内容的に、かなり趣味全開なページになってしまうと思うのですが、よろしくお願いいたします。 参考資料や出典については、極力書いていきたいと思います。後、読んでいて「ここ間違っている」という場所がありましたら、教えていただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。 あと、このページについてはコピペや引用

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