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Vol.5 フランス革命②〜嵐の始まり
こんにちは。TKです。今日も、フランス革命第2回目という事で、書いていきたいと思います。今日は、ヴァレンヌ逃亡事件からスタートしたいと思います。
1.ヴァレンヌ逃亡事件
革命により、絶対王政から立憲君主制へと変わりつつあるフランスでしたが、これで権力を制限されたルイ16世はあまり面白くありませんでした。しかもこのころ、ルイ16世と議会の間に立っていたミラボーが世を去り、ルイ16世は議会とのパイプを失ってしまいます。
そしてそんな時に、国外に逃げていた貴族たちは、オーストリアやプロイセンと連絡を取って革命潰しに掛かろうとしていました。
そこでミラボーという頼れる存在を失ったルイ16世は彼らと連絡を取り、革命中のパリを抜け出して彼らの下へ行こうとするのです。これが、ヴァレンヌ逃亡事件というものです。
国王一家は夜中、密かにパリを出て国境の町ヴァレンヌへとたどり着いたのですが、ここで捕まり、あえなくパリへ戻らざるを得なくなります。
この事は国民にとって国王が外国と組んで革命を潰そうとしているというイメージを持たせてしまい、世論を王政廃止に傾かせる原因になってしまいます。(少なくともここまではなんだかんだ言っても国民は国王を支持していた)
ちなみにですが、この逃亡を手引きしていたのはベルサイユのばらにも出てくる、フェルセン伯爵です。彼は、ルイ16世の妻であるマリー・アントワネットの友人という縁もあり、この逃亡を助けたのです。
2.ピルニッツ宣言と新憲法
ヴァレンヌ逃亡事件の後、オーストリアとプロイセンは革命を抑えるためにピルニッツ宣言を行い、フランスへの武力介入を行うことなどについて話し合います。
そのころ、フランス国内ではジャコバン派と呼ばれる急進的民主派が支持を広げる一方、特権階級だったカトリック教会による革命潰しも広がっており、国内情勢は不安なものになっていました。
そこで議会は、新憲法を制定して立憲君主制を確立し、国民には市民権を認めることで革命を平和的に収めることにし、1791年10月には新憲法の下での総選挙が行われるのです。
3.革命戦争へ
選挙の結果、憲法制定国民議会に代わり立法議会が開会される事となり、議会は王制派で保守党のフィヤン派と中間派、共和派のジャコバン派の3つの勢力に分かれることになりました。
そしてやがて、ジャコバン派はモンターニュ派と呼ばれる急進派と穏健派であるジロンド派に分かれ、やがてフィヤン派に代わり力を持つことになります。
そのころ、2年に及んだ革命でフランスの経済・社会の混乱は大きくなり、国内では物価上昇と食糧難が続き、一方で他国の支持を取り付けた亡命貴族たちは革命を抑えようとフランス国境に軍隊を集めていました。
このような状況に対し、ジロンド派は戦争によって危機を打開しようとし、国王もそれを認めてしまいます。
ジロンド派にしてみれば、ここで戦争をして勝てば革命を他国に邪魔されなくなりますし、戦争によって経済界が潤うと考えたのです。
そして国王は、戦争でもしフランスが負ければ革命が終わり、絶対王政を取り戻すことが出来るだろうと踏んだのです。
そして翌年4月、フランスはオーストリアに宣戦布告を行い、フランス革命戦争が幕を開けるのです。
4.「祖国の危機」
ところが、不十分な訓練と装備だったフランス軍は敗戦を重ね、ジロンド派政権は崩壊。プロイセン・オーストリア連合軍の前に劣勢になります。
このような時に、議会は「祖国の危機」演説を行い、義勇軍を集めようとします。そしてこの中で活躍したのが、ジャコバン左派だったのです。
ジャコバン派は集まってきた義勇軍に対し、「祖国と革命を守るには国内の反革命派を倒さなければならない」と訴え、8月10日、クーデターを起こし、国王のいたテュイルリー宮殿を襲うのです。
襲われた国王はやむなく議会に避難しますが、クーデター軍を恐れた議会は王権を停止し、国王をタンプル塔に閉じ込めてしまいます。
その後、ジャコバン派はコミューンという自警団と自治会の合わさった組織を造り、パリを支配させ、ジャコバン派の支持母体にするのです。ちなみにこのクーデターの時に義勇軍が歌っていた歌が、今のフランス国歌になりました。
5.恐怖政治へ
こうして政権を奪ったジャコバン派は、自らの足固めとしてコミューンを造り、新憲法と普通選挙による新議会である、国民公会を成立させることにします。しかし、元々が過激派のジャコバン派は権力を握ると容赦なく自分たちに逆らう勢力を潰しに掛かるのです。
一方で、フランス軍はその後義勇軍の支援もあり、どうにか危機を脱出して、攻勢に転じて革命戦争を有利に進めていくのです。
本日もここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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