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Vol.7 フランス革命④~テルミドールのクーデター

こんにちは。TKです。今日はフランス革命第4回目ということで、テルミドールのクーデターから書いていきたいと思います。

1.モンターニュ派の動揺

革命戦争の好転に成功したモンターニュ派政権。しかし、これによって革命防衛のために正当化してきていた恐怖政治が次第に行き詰まり始めます。

加えて、絶対的権力はどうしても腐敗する物。権力を得たモンターニュ派の内部では、権力争いと汚職が頻発し始めます。

また、モンターニュ派を支持していた国民の意見も徐々に変わりつつありました。このころ、モンターニュ派内部では利害が対立しあったことでモンターニュ派を支えていた人々の連携が崩れ始めていたのです。

理由は、封建制廃止によって、これまで貴族の所領だった多くの土地や財産が国を介して国民に分配されるようになり、その土地を巡って農民と市民が奪い合いを始めたこと、そして中産階級は平和になったので次第にモンターニュ派の統制経済を嫌ったからでした。ここでも、共通の敵がいなくなると仲たがいを始めてしまったのです。(言うなれば、封建制廃止の効果によってブルジョワジーになった人々は、統制経済的なモンターニュ派を支持しなくなった。

2.ロペスピエールの恐怖政治

妥協のための国民公会での話し合いも空しく、モンターニュ派は3つに分かれてしまいます。1つはダントンらのブルジョワジー系。2つ目はエベールらの都市のサンキュロット系。そして3つ目が貧困層をまとめるロペスピエールでした。

三者の中でエベールはまずクーデター計画により逮捕され、ダントンは汚職で訴えられ、失脚することになります。そしてロペスピエールは上の2派を取りつぶすべく、司法の迅速化を規定したプレリアール法を制定して取り締まりを強化したうえ、ダントン・エベールらを処刑して恐怖政治をさらに進めるのです。しかし一方では、貧困層のための土地支給案などもまとめています。

3.テルミドールのクーデター

しかし、貧困層重視の統制経済的なロペスピエールの政治はブルジョワジーからは猛反対を受け、都市のサンキュロットの多くからもリーダーを殺したことで恨みを買います。また、土地を得た農民の多くも保守化し、革命の進展を望まなくなります。彼らは、これ以上貧困層に譲歩したくなかったのです。

こうした状況の悪化を感じたロペスピエールは、プレリアール法を使ってさらなる弾圧を進めます。しかし、もうモンターニュ派の時代は終わっていました。1794年7月27日、国民公会はロペスピエールの弾劾を決議。間もなく弾劾案は可決され、ロペスピエールは失脚。そして彼を支持していた21人の議員たちと共にギロチン台に掛けられることになります。これが、「テルミドールのクーデター」と呼ばれる事件です。

4.残酷な繰り返し

クーデターにより、モンターニュ派は崩壊。革命政府は、ブルジョワジー層を中心とする穏健派に政権が移り、プレリアール法の廃止や自由経済化が進められ、恐怖政治を抑えようとします。
ところが、極端な自由化は失敗の元。急激な投資と買い占めが起きフランス国内の物価が高騰し、国民生活は混乱してしまいます。
さらに、モンターニュ派が消えた事で右派の王党派や反革命勢力が息を吹き返し、彼らはお返しとばかりにフランス国内で白色テロを繰り返すのです。結局、クーデターの前後で起きたことはあまり変わらなかったのかもしれません。

5.総裁政府の発足

混乱が続く中、1795年に国民公会は収拾のために新憲法を制定します。この憲法では、普通選挙の廃止と二院制議会の設立、そして5人の総裁によって政治を行うシステムが決められます。そしてこの新政府は総裁政府と呼ばれることになります。
しかし、この政府は王政復活を目指す右派にも、参政権を失った大衆にも不評を買うことになります。

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6.ナポレオン、登場

こうして、翌年からは左派で平等主義を訴えるバブーフによるクーデター計画が、右派の王党派からはフリュクチドールのクーデターが発生するなど、総裁政府はたちまち不安定な状況に陥ってしまいます。

こうした中で不安を抱いたのは、新憲法の下で選挙権を持つ、総裁政府派の自営農民やブルジョワジーたち。そして彼らは自分たちを守ってくれる強力なリーダーを求めるようになっていきます。そしてそれに応えたのが、革命戦争で功績を挙げていた、ナポレオンだったという訳です。

本日もここまで読んでいただき、ありがとうございました。次回は、ナポレオン帝国の誕生まで書いて、フランス革命の最終回にしたいと思っています。






























































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