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大学のテスト対策に押さえたいヨーロッパ史① Vol.2

こんにちは。TKです。今回は、大学でのテストによく出てくるヨーロッパ史について書きます。
今回の範囲は1648年のウエストファリア条約から、1789年のフランス革命までの所です。この辺は、法学部ではよく出てきますよね。しかも、ここは割と一度押さえておけば繰り返し単位が取れる場所です。ということで早速書いていきたいと思います。このページ押さえれば単位取れます(笑)

1.ウエストファリア条約からスペイン継承戦争まで

時代的には、1648年から1714年位です。ここでのポイントは、「ウエストファリア条約で、何が変わったのか」ということです。

ヨーロッパで長く続いた三十年戦争を終わらせたこの条約によって、まずヨーロッパの国家はローマ教皇と神聖ローマ帝国の2つに支配される体制から、平等な主権国家として認められます。これによりヨーロッパの国々は、自由に政治・外交が出来るようになり、また信教の自由も認められます。但し、この信教の自由はあくまでもその国の君主が信仰する宗教が選べるようになっただけで、個人に認められたわけではないことに注意してください。

そして2つ目の「スペイン継承戦争」についてですが、これはスペイン王家(当時はハプスブルク家)が断絶したことで、新たにスペイン王家として相続しようとしたブルボン家と、引き続きスペイン王家に納まりたいハプスブルク家との相続争いです。そしてこの戦争を終わらせたのが「ユトレヒト条約」と呼ばれるものです。この条約によって、スペイン王家をブルボン家が相続することと、スペインのオーストリアへの領土分割が行われ、また、勢力均衡方式というものが取り入れられてヨーロッパの国々が協力して1つの大国の行き過ぎた拡大を抑え(勢力均衡)、安全保障と平和を守ることが行われ始めたのです。
後は、イギリスの台頭についても大切です。この戦争以降イギリスは戦争が始まるたびに外交工作を行い、飛びぬけて強い国を生まないためにヨーロッパのバランサーのような役割を担うようになっていきます。

2.オーストリア継承戦争と七年戦争

この2つの戦争の年代は、1740年から1770年位です。まず、オーストリア継承戦争について書いていきます。
この戦争は、オーストリアの神聖ローマ皇帝カール6世が娘のマリア・テレジアにオーストリアを相続させようとして起こった戦争です。
なぜ、この戦争が起こったのかというと、当時のヨーロッパでは基本的に女性が君主になることはイギリス以外では認められていなかったためです。そのため、彼女の相続を認めないプロイセンのフリードリヒ大王はオーストリアを手に入れようとフランスと連合してオーストリアに攻め込むのです。
ここで出てくるのがイギリスです。イギリスはバランサーとしてオーストリアに味方し、プロイセンを抑えて講和に持ち込みます。
この講和で、オーストリアはプロイセンにシレジア地方を譲ることになりますが、マリア・テレジアの相続をプロイセンに認めさせることが出来ました。
次の七年戦争は、シレジア地方の奪還を狙うオーストリアとプロイセンの戦争です。
ここで押さえておきたいのが、オーストリアはこの戦争に勝つために、2度の戦争で激しく対立していたフランスに加え、ロシアとも同盟を組んだことです。このように、これまでと大きく同盟関係が変わったので、「外交革命」とも言われています。
この戦争は、当初上の3国有利で進み、プロイセンは崩壊寸前に追い込まれます。しかし、ロシアとの講和が上手く行き、ほぼ同時に起きていた英仏戦争でフランスが敗北したこともあり、プロイセンはどうにか自国を守り切り、シレジア地方を取り戻されずに済みます。(この戦争では、イギリスはフランスとの戦争が大変だったのでプロイセンはあまりイギリスにフォローしてもらえなかった。)

一方で、七年戦争とほぼ同時に起きていた英仏戦争(七年戦争が北アメリカ大陸に飛び火したもので、フレンチ・インディアン戦争とも言われる)でフランスは敗戦し、北アメリカ大陸の領土をほとんどイギリスに取られてしまいます。そして北アメリカ大陸でのイギリスの植民地は大きく増え、力をつけたイギリスはアメリカの植民地に貿易統制などの厳しい支配を行おうとしますが、これに反発が起きたことで、アメリカ独立戦争の引き金になります。

3.ロシアの発展

18世紀のヨーロッパ史でもう一つ押さえておくべきことが、「ロシアの発展」です。ロシアは18世紀に入るまで、ヨーロッパ地域にあまり領土が無く、国力も弱く、文化も大きくヨーロッパと違っていたためにヨーロッパ諸国として認められていませんでした。しかし、ピョートル大帝の下で国力を伸ばしたロシアはスウェーデンとの北方戦争に勝ち、領土を大きく増やします。そしてロシアはヨーロッパ列強になれたこともあり、七年戦争に参加することが出来たのです。

4.アメリカ独立戦争とフランス革命へ

さて、やっと最後のページです。ここではアメリカ独立戦争についてはあまり書きません(他のページで書きます)。というかここでは中身より影響を押さえておいた方がいいです。
アメリカ独立戦争により、アメリカが民主化したことでヨーロッパ各地にも民主化を求める市民革命の運動が広がっただけでなく、フランスが英仏戦争の敗戦のリベンジとしてアメリカ独立戦争に参戦したことでフランスの財政が悪化し、財政再建を巡る対立がフランス革命のきっかけになったことを押さえておいてください。

長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。


















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