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Vol.8 フランス革命⑤~ナポレオンの帝国
こんにちは。TKです。今日は、フランス革命最終回ということで、ナポレオンの皇帝就任までを書いていきたいと思います。
1.ナポレオンの生い立ち
ナポレオンは1769年、イタリア系の貧しい小貴族の息子としてコルシカ島で生まれます。彼は成長するとフランス軍の士官学校で学び、優秀な成績をおさめて砲兵将校に任じられます。
その後フランス革命が起きた時、彼は革命軍に身を投じます。これが彼の栄光の始まりです。
2.ナポレオンの活躍
フランス革命が起こると、フランスはヨーロッパ諸国との間で革命戦争を戦います。しかし、準備の不十分な弱い革命軍は連敗し、ピンチに陥ります。
そんな時に、ある戦いに従軍したナポレオンは軍事作戦を立てます。彼の作戦は、自分の専門である大砲を生かすべく、歩兵や騎兵を使う前に大砲で遠くから相手を攻撃して弱らせてから、歩兵突撃を行うというものでした。
この作戦は見事に当たり、ナポレオンは勝利を収めます。その後もナポレオンは活躍し、軍で出世していきます。
3.総裁政府の信任
ところが、そんな時にテルミドールのクーデターが起き、彼は持ち物が原因でロペスピエール派とみなされ、捕らえられてしまいます。死刑にこそなりませんでしたが、彼は軍隊の中で地位を失ってしまうのです。
しかし、運命が彼に味方します。おりしも誕生した総裁政府の力は弱く、各地で反乱が起きます。そしてこの反乱鎮圧でナポレオンは実力を見せ、総裁政府から信頼を得て、復職するのでした。
ここで前回の最後に戻るのですが、不安定な社会の中で総裁政府の有権者だった、中産階級や農民たちは、「強いリーダー」を求めていました。
そしてナポレオンが反乱鎮圧で活躍したのはちょうどそのような時期。彼らにとって、ナポレオンは、うってつけの存在に見えたのです。これで有権者の支持を集めたナポレオンは全軍の指揮を任されます。ナポレオンはこうして、本格的に世に出ることになったのです。
4.対仏大同盟、崩壊
フランス軍の総司令官に上り詰めたナポレオン。まず彼が取り組んだことは、対仏大同盟を結ぶ諸国との戦争でした。
彼は総司令官として、いかんなくその才能を発揮。イタリア遠征とヴェネツィア制圧に成功すると、オーストリアにカンポ・フォルミオ条約を結ばせて降伏させ、対仏大同盟を切り崩してしまうのです。そしてオランダの一部をオーストリアから奪い、イタリアにフランスの衛星国(=フランスに従う国)を2つ作ることに成功します。
こうして革命戦争を勝利で終えたナポレオン。しかし、ヨーロッパ最大の敵である、イギリスがナポレオンにとって邪魔な存在になってきていました。
5.エジプト戦役
そこで1798年の春、ナポレオンはイギリスに打撃を与えるべく、エジプトへと出兵します。これが、エジプト戦役と呼ばれるものです。
なぜ彼がイギリス本国ではなく、エジプトへ向かったのかというと、当時イギリスがインドに大植民地を持っており、本国イギリスとの連絡や貿易のために、エジプトを利用していたため、イギリスからエジプトを奪えば、イギリスの力を弱められ、アジアにフランスの力を伸ばせると思ったからです。
エジプトに上陸したナポレオンは、ピラミッドの戦いで勝利してエジプトを占領しますが、そこにイギリス艦隊がやって来ます。
6.敗北とクーデター
陸での戦いは強いナポレオン。しかし、海の上での戦いでは島国で強い艦隊を持つイギリス軍の方が有利でした。フランス軍はナイル・アブキールと2つの戦いでネルソン率いるイギリス軍に惨敗してしまいます。そして海をイギリスに取られてしまったので、本国との連絡も補給も絶たれてしまいます。
孤立し、苦しむナポレオン。さらにイギリスはオーストリア・ロシアと共に第二回対仏大同盟を結び、フランスを追い込もうとします。
フランスの劣勢と共に、フランスの国内も押さえていたナポレオンがいなくなった事で再び乱れ始め、総裁政府の機能はマヒしてしまいます。
そこでナポレオンは、99年10月にイギリスの目を盗んでフランスへ撤収して、総裁政府の一部と共に政府に対してクーデターを起こします。これが、ブリュメールのクーデターです。
(ちなみに、エジプトに残されたフランス軍兵士は、その後もしばらく抵抗を続けたのち、イギリスに降伏して捕虜となり、その後帰国した。)
7.皇帝就任、革命の終わり
クーデターを成功させたナポレオンは、再び新憲法を作り、国民投票で可決させ、4院制議会と3人の統領からなる執政政府を立てます。そしてナポレオンはその第一統領に就き、独裁者になります。
国内を固めたナポレオンは、年が明けるとオーストリアへ出兵し、翌年には講和を結び、イギリスともアミアンの和約を結んで第二回対仏大同盟を終わらせ、戦争を終戦させるのでした。
終戦後、ナポレオンはその強大な権力を活かして、財政の立て直しを図るために、国立銀行を創設すると、教育・経済の整備や税制改革を行い、1804年にはナポレオン法典と呼ばれる民法典の編纂を成し遂げ、国内法の整備という、革命以来の問題を解決します。そして、この民法典は近代法制度の基本としてヨーロッパへと広がるのでした。
フランスに平和をもたらし、内政を立て直したナポレオンの地位は、揺るがない物になっていました。そして彼は終身統領の座につくと国民投票を実施して、皇帝へと就任するのです。
ナポレオンの皇帝就任によって、12年間続いていた第一共和政は幕を閉じ、フランスは帝国として第一帝政の時代が始まるのです。こうしてフランス革命は幕を閉じるのでした。
一方で、皇帝就任と時を同じくしてアミアンの和約は破られてしまい、イギリスとフランスは再び戦争に入ってしまうのでした。
5回のフランス革命は、今日で終了です。ここまで読んでいただきありがとうございました。
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