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『ある男』の訃報


『ある男』の訃報が届いたのは昨日のお昼前だった。その死は何の事件性もない単なる”死亡”である。

その男を思い返していると去年読んだ平野啓一郎さんの著書『ある男』を思い出さずにはいられなかった。

その男は『ある男』とは違い過去を変えず本名で死ぬまで過ごした。それでもこの小説が頭から離れないのは私の中でこの男の過去がすっぽり抜け落ちていることに起因していると思われる。

享年64歳

5月28日、職場に来ないことを不審に思った上司が自宅へ訪問する。午前8時25分頃。チャイムを鳴らすも反応がなくドアを開けて入ってみると、倒れている男を発見。少しの吐瀉物。脳出血の恐れあり。
すぐに救急車を呼び1時間以内に搬送。検査の結果脳出血と判明。主治医によると、持って1週間の余命であった。
すぐに連絡の取れる親族、彼の姉に連絡を取ったところ良い反応はなかったが、彼の兄の連絡先を渡され兄に連絡するもやはり良い反応はなくそのまま7時間後に帰らぬ人となった。

この男とは

私の実の父である。

最後に会ったのは多分小学校3年生とか4年生とかだったと記憶している。そして最後に見たのは中学1年生ではなかろうか?
”会った”ではなく”見た”、そして断定的ではないのはこのいう経緯があるからだ。

わたしは福岡の繁華街でタクシーに乗っていた、どこに向かっていたかは覚えていない。多分、ライブかなんかに行っていたんだろう。対向車のタクシー、すれ違いざまに目があった乗客。多分父だったと思う。

両親が離婚したのは私が10才だった。だから父との思い出はあまりない。覚えているのは3歳下の弟が生まれて父に手を繋がれて母のいる産科へ行ったこと。幼稚園の卒園式にお父さんに来て欲しいと言ったこと。どれもこれも10歳未満の子供の記憶なので本当かどうがあてにならない。願望が作りだした思い出かもしれないし、真実かもしれない。

訃報の連絡は長男である弟に書面で届いた。弟はその書面をiPhoneのカメラで撮りLINEで私に送ってきた。直接的には書いてなかったが文面から”後はよろしく”というような空気が漂っていた。

送り主である父が生前働いてた会社に電話をした。

社長さんは丁寧にどういう経緯で父が死に至ったのか説明してくれた。時折思い出話しを挟みながら。連絡が遅れたことを謝罪し、生きているうちに連絡が取れたらよかったのだけど、申し訳ない、と何度も謝った。社長さんは謝る必要がない。拒絶はしていなかったが、私は積極的に会うことをしなかったのだから。
思い出話の中には父の人柄を偲ぶエピソードもあった。死人を悪くいう人はいないだろうが。
父のお葬式には会社の人はもちろん、取引先の社長さんまで来てくださったそうだ。

時には怒りを感じることやカチンとくることがあるはずだけど、一度も声を荒げたり怒ったりしたことはなかった、そんなところ見たことがなかった、本当に優しい人でした。去年は難しい国家試験に受かってこれからって時だったのに残念です。

そう語っていた。

父の人生は幸せだったのだろうか?

そんなことを思った。65年の間で私が知っているのは23歳ー33歳くらいの間の数年しか知らない。そのあとの人生は一体・・・・

社長さんの話から推測すると

・7年前に今の会社に入社する
・仕事は肉体労働 (土木・解体系)
・会社の寮に住んでいる
・独身
・1年前に建設関連の国家試験に合格する
・兄姉とは疎遠

母と離婚後、父はずっと独身だったのか?決して社交的ではない性格から察するとずっと独身であってもおかしくない。
そして7年前に入社ということは58歳で転職?会社の寮という時点で裕福ではない、むしろ貧困層と言ってもいいかもしれない。それでも60歳をすぎて国家資格試験に臨む気概、合格を得る努力、すごいけどなんだか辛くなった。

じゃあ、その前は?7年より前は何をどこでしていたんだろう。
何回転職して、何回引っ越しして、最期の地となった場所にたどり着いたんだろう。
多くの企業が60歳定年と定めていたり、長くても65歳、そんな多くの人が定年を目の前にと思う年齢で就職する天下りでもなく、ましてや肉体労働系の仕事、肉体労働が悪いとかではなく、60歳という年齢で体力的にはかなりきつかったはずだ、どんな人生だったのか。

想像するにかなり厳しい人生だったはずだ。

彼を形容するならいい人。世渡りも上手くない。そんな人が企業で若いプレイヤー時代はまだいいとして中年となり社内政治に否が応でも巻き込まれると・・・・

何を思って生き、何を思って死んで行ったんだろう。
まだ死にたくないだったのか、やっと安らかに眠れるだったのか。

本当にね、最期は綺麗なお顔でしたよ。私もね、もっと一緒に仕事をしたかったんですけどね。結構腹割ってつき合わせてもらってましたからね。いい人でした。

私は父と対面することになる、30年の時を経て。生身の人間であれば歳をとって様子が変わっても面影や雰囲気で、あー、そうか父なんだ、とある程度実感も湧くかもしれない。骨になってしまった人に何を思うんだろか、私は。
かといって、本当に父なのか?とDNA検査をするほど世の中を疑ってかかれない、私はお人好しなのだろうか?


母が再婚相手と暮らす今の家には大きなマトリョーシカがある。これは1989年に福岡で開催されたアジア太平洋博覧会ですでに母と離婚して離れて暮らしていた父が弟に買ってあげたものだ。当時8歳だった弟は覚えているのだろうか?母はなぜ家にマトリョーシカがあるのか知っているのだろうか?今となっては唯一の父との接点となった物質である。

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