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玩具蒐集家・鷲見東一が発刊を祝った趣味誌『郵券趣味』―鷲見は郵便界隈でも大物だった?

 先日、『郵券趣味』創刊号を購入した。この雑誌はいくつかの趣味誌の広告欄に載っているのをみていて雑誌名は知っていたが、現物を入手できていなかった。創刊号の目次と書影の写真を以下に記載しておきたい。

大きさ:約22.8cm×約15.8cm
編集兼発行印刷人:八木正生 大阪市此花区櫻島北之町二三
印刷所:郵券趣味印刷部 大阪市此花区櫻島北之町二三
発行所:郵券趣味社 大阪市此花区櫻島北之町二三八木方
項数:12項

発刊に際して 八木正生
発刊を祝して 鷲見桃逸
新切手に就て 柴田春郊
日本記念切手の値段 八木正生
素人より見たる趣味家 いしとび生(石飛和夫?)
ニュース
即売品御案内
入札欄に就て
誌友広告欄
新しいニュース
編集後記
お断り 石飛和夫

表紙
奥付

この雑誌は大阪の八木正生が中心となって発行されていた。八木については、架蔵の蒐集家名簿番附を確認してみたが、名前の記載はなかった。「お断り」によれば、八木が一人で編集していたわけではなく、義弟の石飛和夫も編集に協力していたようである。

 興味深いのは、玩具蒐集家・鷲見東一が創刊祝いを寄せている点である。以下の鷲見の小伝で紹介したように、鷲見は玩具が主な蒐集品であり、戦前の郷土玩具界隈ではかなり有名な人物であったが、郵便界隈ではどうだったのだろうか。

上記に引用した小伝にも紹介しているように、鷲見は武田修が発行していた『京都寸葉』にも創刊祝いを寄せている。このことは神保町のオタ様が紹介されているが、ここから鷲見は創刊祝いを掲載する価値のある人物とみなされており、郵便界隈でもよく知られた人物であったように推測される。

以下に『郵券趣味』に寄せられた鷲見の「発刊を祝して」を引用してみたい。

 趣味雑誌の発刊されることは、吾々趣味品にあるものに取って、之れ位ひ愉快なことはない。然しその経営者の労苦を思ふ時、一掬同情の涙なき能はずである。
 凡そ世の中のあらゆる事業の中で新聞雑誌の経営位い至難なものはない。極めて着手し易いものであるが、同時に継続の困難なものである。殊に趣味雑誌に於てをやである。限られた狭い範囲内に於て舞ふのであるからその甚だ困難であることはいふまでもない。趣味人以外には要のない雑誌であり、趣味人は既に二三の雑誌は何れも購読している。その間に所して新たに雑誌を発行せんとする事は何か特徴のなくしては団栗の背比べに終ることは自然の理である。大いに心せなければならぬことは勿論である。
 従来の定例に徴して見るに、物質に恵まれぬために廃刊を余儀なくされたものもある。物質には何等の懸念なくして原稿に窮した結果遂に廃刊の憂き目を見たものもある。物質と原稿には困らぬけれども病躯その仕事に堪へずとして廃刊したものもある。神戸の交蒐がその好適例である。
総てが一致して恵まれぬ限り継続するといふことは困難である。
過去に於ける趣味誌の起伏を見るに倒れたかと思ふと起き、起きたかと思ふと倒れる。それが新陳代謝の原則によって当然と言へばそれまでであるが、然らざる場合も往々あることはどうすることも出来ぬ。
由来秋は燈火親しむべき時とされてゐる。之れが日本人の頭には先入主となってゐる関係か、夏季に於ける倦怠から、秋の緊張期に入りて雨後の筍のそれの如くニョキニョキと新らしい雑誌の生れることを例としてゐる。即ち今秋に入りては趣味界に取りて有力な雑誌として京都の武田氏経営するところの「京都寸葉」が現はれ続いて神戸の松本氏によりて「蒐集趣味雑誌」が生れた。更に今回八木氏によりて本誌が誕生したのである。趣味界に取りて誠に喜ぶべきことであらねばならぬ。幸ひに時を同じふして誕生したこれ等三
雑誌がお手々をつないで仲よく、健かに立派に成育して行くことを熱望せずにゐられぬ。生れることの楽しみに比して、失はれることの悲しみは非常に大きなものがある。
 元より経営困難なる事を百も承知の上で世に現はれたもの、自ら何らかの確認がなくてはならぬ筈である。如何なる秘策、成策があるか、元より他人の察知し得べきことではないが、要は第三者の立場に於て趣味界に貢献すべく堂々と闊歩するその雄姿に接することを期待するのである。
 本誌も幸ひにしてここに呱々の声をあげたる以上、健全なる発達をなし趣味界の指導啓発のためになすところあらんことを祈って発刊のお祝ひの辞とする。
(読みやすくなるように筆者により一部を現代仮名遣いにあらためて、必要に応じて句読点を補った。)

「神戸の交蒐」は蒲原抱水が発行していた『交蒐』のことでこの雑誌は100号以上継続していたが、蒲原が亡くなったことにより廃刊になってしまった。「京都寸葉」は武田修が発行していた雑誌、「蒐集趣味雑誌」は松本喜一が発行していた雑誌である。上記に紹介した小伝中の書誌にも記載したように、これらの雑誌には鷲見が投稿している。短命な雑誌は「三号雑誌」と呼ばれ、趣味誌は三号雑誌が多かったが、理由は鷲見が上記で述べている通りである。趣味界に長くおり、その困難さを理解していたため、鷲見は同時期に発刊されたこれらの趣味誌に期待を寄せて引用した文章を寄せたのであろう。

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