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柳田国男が加賀紫水編集の雑誌『土の香』を知った時期はいつごろか?②―実際の雑誌を調べる

 かなり前の以下の記事で、柳田国男加賀紫水の発行していた雑誌『土の香』を知ったのはいつごろであるかということを推測して、その理由に柳田が神奈川県の民俗学研究者・鈴木重光に宛てた書簡を紹介した。関連する部分をあらためて抜粋しておきたい。引用元は「資料紹介 柳田国男関連資料について」加藤隆志・水曜会(『相模原市立博物館研究報告 第26集』(2018年6月)である。

大暑中何の御障りもなく悦しく在上候 本年も亦乾鮎御恵贈被下給ハりうれしく厚く御礼申上候 御紹介により尾張の「土の香」突然送り給ハり是亦いふへからさるよろこひに候 秋ハ一度参上仕度在上候。蟹のことハ少し材料あれとも今さがす時間無之候その内ニ(筆者が重要であると考えた部分を太字にした。)
柳田国男から鈴木重光に宛てた書簡(1929年8月と推測されている。)

上記の引用した部分の太字の部分から鈴木の紹介で柳田は『土の香』を知ったのではないかと推測できる。

 この経緯を実際の『土の香』で確認してみたい。私が確認した限りでは、鈴木の『土の香』への初投稿は第3巻第1号(1929年6月発行)の「相州内郷村附近の道祖信巡り」、「食用としての野外植物」である。そのため、鈴木が『土の香』を知ったのはこの投稿以前だろう。その後、第3巻第4号(1929年9月発行)の編集後記に「今度斯会の重鎮柳田国男先生の御声援を得る光栄を得ました」と述べられている。私が確認した限りでは、『土の香』で柳田について言及されたのは第3巻第4号が初めてである。そのため、柳田が『土の香』を知ったのはこの号が発行された少し前であると思われる。ここ上記に引用した書簡は1929年8月と推測されているので、鈴木が柳田に『土の香』を紹介して、その後『土の香』に興味を持った柳田が加賀に連絡を入れ、それが第3巻第4号で紹介されたと推測できる。「資料紹介 柳田国男関連資料について」では、鈴木が柳田の『土の香』への原稿を依頼したと述べられているが、鈴木が柳田に『土の香』を紹介した可能性が高いことが実際の『土の香』を調べて分かった。

 『土の香』の発行開始は1928年になるので、上記の推測が正しいのであれば、柳田は『土の香』を発行開始時には知らなかったことになる。柳田は地域の民俗学関連の動きをすべて把握していたわけではないようである。『土の香』のことを柳田が鈴木から教えられたのは、柳田も地域の研究者との交流を通して様々なことを学んでいたというひとつの事例になるだろう。

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