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柳田国男が加賀紫水編集の雑誌『土の香』を知った時期はいつごろか?

 唐突で恐縮だが、鈴木重光という神奈川県の津久井町(現在の相模原市)出身の郷土史家、民俗学研究者がいる。鈴木のことを知らない方のために、『神奈川県史別編1人物』(神奈川県, 1983年)から鈴木の経歴を以下に引用してみたい。

すずき しげみつ 鈴木重光(1887~1967)  大正・昭和期の郷土史家。1888年(明治21)年2月14日津久井郡内郷村若柳(相模湖町)に生れる。1910年明治大学商学科卒業。柳田国男に民俗学を学び、帰村して津久井地方の民俗研究に没頭した。1918(大正7)年より調査研究の結果を論文にして発表した。1924年「炉辺叢書」として『相州内郷村話』に上梓、民俗学会で高く評価された。1959年神奈川文化賞を受賞。また県文化財員、司法保護司等をつとめた。1967年(昭和42)年1月4日没。

上記の経歴にもあるように、鈴木は柳田国男と交流があった。特に、鈴木は柳田を中心に組織され行われた内郷村調査の際に、調査団の対応をした地元側の人間の一人として知られている。鈴木と柳田は調査後も交流を深めていくが、その交流の一端は以下のウェブより閲覧できる「資料紹介 柳田国男関係資料」で紹介されている。

この論文の中で注目すべきは資料整理の過程で新しく発見された柳田から鈴木に宛てた書簡がいくつか翻刻され収録されている点である。特に論文の中で最初に紹介されている昭和4年8月と推測される以下の書簡を取り上げたいので引用してみたい。

大暑中何の御障りもなく悦しく在上候 本年も亦乾鮎御恵贈被下給ハりうれしく厚く御礼申上候 御紹介により尾張の「土の香」突然送り給ハり是亦いふへからさるよろこひに候 秋ハ一度参上仕度在上候。蟹のことハ少し材料あれとも今さがす時間無之候その内ニ(筆者が重要であると考えた部分を太字にした。)

鈴木の紹介で柳田に『土の香』が送られたことが分かる。書簡の中に登場する『土の香』は、加賀紫水が編集して土俗趣味社より発行されていた民俗学を中心に取り上げていた愛知県の雑誌である。ウェブでも閲覧できる鈴木の著作目録によると、鈴木は度々『土の香』に投稿している。この書簡の内容だけだと断定はできないが、柳田が『土の香』を知ったのはこのタイミングであった可能性が考えられる。論文中では、『土の香』への論文投稿を柳田に勧めたのが鈴木ではないかと推測されていることが述べられているが、『土の香』を柳田に紹介したのも鈴木であった可能性がある。この推測に基づくと、『土の香』の出版開始は昭和3年4月(注1)であるので、柳田は出版開始時には『土の香』の存在を知らなかったことになる。

 柳田が『土の香』を知ったのは本当にこの時期だったのかはとりあえずおいておいて、この書簡で読み取れるのは、柳田が地方の研究者に様々なことを教えるだけでなく時に地方の研究者に教えられていたということである。しばしば、地方の研究者と柳田との交流には、中央(柳田のような研究者)―地方(採集者)の垂直的な関係性があったことが指摘されているが、その図式に当てはまらない柳田と鈴木のような互いに教え合うような交流もあったことは確かである。

 鈴木の著作目録を確認すると、鈴木は様々な民俗学関係者と交流があったことが分かる。これらの交流に関しては、後日別途取り上げる機会を設けたいと考えている。

(注1)『土の香』の出版開始時期は『土の香』百号記念の「回顧録」加賀紫水より。礫川全次さんの以下のブログより閲覧可能。また、引用元の雑誌もうわづら文庫様で閲覧可能。



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