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コーヒーと考察 Vol.09

「続けること」 と 「伝えること」について

<まえがき>

今回は久しぶりの「コーヒーと考察」コーナー。といっても内容は自分自身の反省コーナーです。

ずっと自分の中でひっかかりながらも改善できていないことがあるので、今回はそれについて考察してみます。

その内容は「自分自身のnote記事のマンネリ化」です。

今に至るまで何とか毎日投稿し続けて、500日以上が経過しました。

自分の人生でここまで意識して毎日続けたことはなかったので、ここまで続いていることに他ならぬ自分自身が驚いています。

それぐらい自分にとってはnote記事を書くことが日常の一部となりました。

しかし、なんとか時間をつくっての毎日投稿です。いつの頃からか「毎日投稿する」ことを意識すぎるがあまり、内容を疎かにしていることに自分自身が気づいていました。

そして今回の考察内容に戻ります。

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<何がマンネリ化を感じさせるのか>

自分自身の記事をあらためて振り返ってみると、マンネリ化を感じさせるものは、「形式化」「形骸化」ということが見えてきます。

毎日どうにか時間をやりくりして記事を書いていると、どうしてもフォーマットに則って書いてしまいがちです。

理由は、なるべく少ない時間で書こうとどこかで考えてしまっているから。

まったくの白紙から書くということは、ものすごくエネルギーも使うし、時間もかかります。

人によっては15分ぐらいでサクッと文章が書ける人もいるかもしれませんが、僕は違います。

読み返すと身も蓋もないような文章でさえ小一時間、ゆっくりだと2時間は書くのにかかってしまうのです。

フルタイムで仕事もしているので、ヘロヘロ状態で記事を書くような状況だと、いわゆる「時短」を考えるようになります。

そうなるとフォーマットに沿ってなるべくシンプルな記事を量産パターンが生まれることになります。

結果はおわかりの通り。毎日投稿が目的になる、ちょっと寂しい記事です。もちろん心がこもっていない訳ではありませんが、何か物足りない記事になってしまっているのは事実です。

そして、自分自身がそれをつくり出している実感があるが故に非常にもどかしい思いを抱くことになります。

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<毎日投稿する理由は何なのか>

では、毎日投稿ではなくて、定期的に丁寧な心のこもった記事を書けばいいのでは?となります。

しかし、自分のことは自分がよくわかっているのです。

一旦インターバルを挟むと再起するのが億劫になって、丁寧な記事を書くどころか全く何も書かないズボラな自分に戻るのが目に見えています。

だからこそ毎日投稿を続けたい。繰り返しになりますが、なにせ人生でここまで意識して続けていることは今までになかったからです。

<毎日投稿する中でできる改善>

毎日の投稿はしつつ内容を改善をしながら、ゆとりあるときに内容の濃い記事を書くことが現時点での僕のnoteの理想的な使い方になりそうです。

まずは、毎日の投稿内容の改善をどうするか。

うーん。考えます。

自分の今まで書いてきた記事を頭の中で振り返ってみます。そうすると大きなひとつの事実が見えてきました。

それは、自分の想いを心を込めて書いた時は良い記事が書けている、という極めて当たり前のことです。

毎回の記事でそれができれば、恐らくマンネリ化を感じないですむのだと思います。

では、どうすれば限られた時間の中で心を込めて書くことができるのかマンネリ化から脱却できるのか。

また考えます。そして気づきます。

それは今、noteの自分の記事に対して思っていることは、つまり現在の自分自身に対して言っているのと同じことじゃないか、と。

仕事に関してもそう、日常生活にしてもそう。なんとなく淡々と過ぎゆく中にある自分自信の改善点が見えてきます。

そう考えた時、改善すべきはnoteの記事ではなくて、自分自身の在りようだ、というところに行きつきました。

<まとめ>

毎日続けることも大切。だけどやっぱり「伝える」ことを疎かにしないこと。

そして伝える際には心を込めないと。

それは伝える側の人間としての在り方がとっても大切。

忙しない中でも毎日書き続けたい。そして書くからには毎回心を込めて書きたい。

今回は、「自分自身のnote記事のマンネリ化」を発端に、結局は自分自身を改善することが大切という結論にたどり着きました。

ダイナミックな変化はすぐには起こせませんが、毎日丁寧に心をこめながら生きるという意識をまずは大切にしたいと思います。その結果がnoteの記事にも現れるといいな。

<あとがき>

コーヒーを飲みながら今回はいつも以上に時間をかけて書きました。

結果として、自分の心がとてもスッキリ。振り返りってすごく大切なのを実感です。

と、ここまで書きながら最近聴いている音楽を思い出しました。

最近よく聴いているのはアメリカの Guided By Voices (略してGBV)というバンドの曲です。

彼らは(というかフロントマンのRobert Pollardが)とにかく多作なことで有名です。そして一曲一曲がとても短い。1〜2分の曲がほとんどです。曲が短いこともあって、ライブでは50曲以上演奏することもザラ。

すべての曲を大好きという訳ではありませんが、1600を超える曲の中には紛れもない名曲が多々あります。

閃きました。僕が理想とするnoteの書き方はGBVだ。

誰がなんと言おうと書き続ける。心を込めて伝える。その中に名曲が生まれるかもしれない。

そんなこんなでまとまりはありませんが、Guided By Voicesの曲の中でも僕がおそらく一番好きなGame Of Pricksという曲で今回の記事を締めたいと思います。やっぱり良い曲。

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12月15日 中江兆民(1847 - 1901)この日死んだ急進的自由思想家。土佐に生まれ、フランスに留学、西欧民主主義をつかみ、自由民権の理論家であった。「兆民選集」「1年有半」

 起てよ国民、酒屋、米屋、小作人、地主、呉服屋、大工、株屋、大中小商業家、工業家。公等は国民に非ずや。斬りすて御免の時代は遠き過去界中に消滅し去れり。公等すでに生産的動物の群を出でて政治的動物の列に入れり。時世と号する無形の汽車は公等を乗せて疾行しつつ、日々月々新たなる光景中に進入せり。悲しきかな、公等はこの汽車に後向きに乗って、しかしてすましおれり。公等の身体は知らず知らず新たなる光景中に入れり。しかして公等の眼睛は常に後方に注ぎて・・・前方を見ることなし。汽車はいよいよ進みて、・・・公等の精神はいよいよ時に後れつつあり。(1年有半)

桑原武夫 「一日一言」(岩波新書)より

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12月15日 ポール・シムノン(1955 - )この日生まれたイギリスのミュージシャン。元ザ・クラッシュのベーシストとして知られる。

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